2026-05-11

現場にいる自分」に酔い始めた活動家を見るのが苦手だ

昔は、「現場に行く人」はそれだけである程度信頼していた。

 実際に危険場所へ行って、デモ紛争地や被災地取材して、空気を伝えようとする。少なくとも、安全から冷笑しているだけの人よりは誠実なんだろうと思っていた。

 でも最近、どうも苦手なタイプがいる。

 だんだん問題のもの」じゃなく、「問題そばにいる自分」が主役になっていく人。

 最初現場の話をしていたはずなのに、途中から全部が“自分物語”になる。

 誰に睨まれた。

 誰に妨害された。

 どれだけ危険だった。

 どれだけ傷ついた。

 どれだけ理解されないか

 もちろん実際に危険な目にも遭っているんだろう。

 でも、見ていると時々、「活動」と「自己演出」の境界がわからなくなる。

 あと、あの手の人たちって、常にテンションが最大値なんだよね。

 全部が「歴史的瞬間」で、全部が「民主主義危機」で、全部が「命の問題」。

 ずっとフルスロットル

 でも、人間って毎日ずっと極限状態では生きられない。

 だから途中から現実を大げさに語ることでしか熱量を維持できなくなる。

 そして周囲も、そのテンションに飲まれていく。

 SNSだと特にそう。

 静かに事実を積み上げる人より、「大変だ!!!」を連発する人のほうが拡散されるから

 結果として、「本当に大事問題」が、なんか“テンションの高い人の自己表現”みたいに見えてしまう瞬間がある。

 あれ、かなり損だと思う。

 たぶん本人は本気なんだろうけど、本気であればあるほど、「自分正義主人公である物語から降りられなくなるんだろうな、と思って見ている。

  • 「AI作文で賢くなったつもりの自分」に酔い始めた増田を見るのが苦手だ

  • それに加えてバカボンボンの出自を隠す効果があるんだよ 使命に命を燃やしてる有能っぽく見えるだろ?

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