←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

嘘八百万。映画『シン・ゴジラ』感想文

はい、ネタバレへの配慮とか全然ないよ!

400字くらい俺がぜんぜん関係ない話をして時間を稼ぐからまだ観てない奴は回れ右して今すぐ劇場へ足を運べ!

たぶん後で同じような話をするとは思うんですけど、なんか「3・11以後の映画」みたいな言い方があるのかな、3・11という言葉ないし概念を含めたこの映画への評価ってたぶん世の中にたくさんあると思うんですけど、僕個人の見解としてはそんななんかシリアスな難しい話じゃなくって、乱暴な言い方をすると「せっかく3・11に出会ってしまったのだから、どうせなら『シン・ゴジラ』くらい観ておかないと割に合わない」「3・11を今更なかったことにはできないのだから、じゃあせっかくだし『シン・ゴジラ』でも観て元を取ろう」みたいな感じに僕はなります。もちろんもっと厳密に言えば、3・11以外の色んな災害とか色んな人災を含めてですけどね。なので、「全日本人観るべき」とは僕は言いませんけど、「せっかくだし」の対象がすべての日本人であることはまぁどうしたって間違いないよね。

だからみんな、こんな感想文読まなくていいから、劇場へさっさと足を運べ! 俺が400字全然関係ない話をして時間を稼ぐから!

あのーなんか、庵野秀明っていうauのCMの人がいるんですけども。いや、それ『風立ちぬ』の話の時じゃね!?っていう。今、auのCM、桃太郎しか金太郎のやつでしょ!?っていう。いや、あっちにも庵野さん出てなかったっけ? あたま山役だっけ? 知ってる、あたま山? さくらんぼを種ごと食った男の頭に桜の木が生えるって話なんですけど。頭に桜が生えたもんだからみんな男の頭の上で花見を始めるんですけど、男はうるせえって怒っちゃって桜を頭から引き抜くんです。そしたら今度は引き抜いてできた窪みに雨水が溜まって池になっちゃってね、みんなが釣りを始めるんですよ。怒り心頭した男は最後、自分の頭の池に身投げして死んじゃうんですけど、「え、自分の頭の池に身投げ?どういうこと?」って思うかもしれないですけど、まぁそういう話がありまして、書いてて気付いたけど、ほんとに庵野さんってあたま山っぽいな。エヴァと庵野さんの関係ってほとんどそのままあたま山じゃん。

はい、そういうわけでね、ぼちぼち『シン・ゴジラ』の話始めようと思うんですけど、よろしいですかね。

まず、あらすじ、っていうかこの映画がなんなのかって話でいうとね、庵野秀明っていう五歳児がいてですね、そいつが右手にゴジラを持ってて、左手に日本を持ってて、それを戦わせます。それだけの映画です。両手に持ったそれを高々に掲げて、口で爆撃音とかやりながら互いを宙に旋回させて、負けるな!やっつけろ!ズバババババ!避けろ!立ち上がれ!反撃だ!って庵野がひとりで延々はしゃいでます。それを見守るだけの映画です。それだけの映画にみんな大興奮してるんです。僕も大興奮しました。それだけで、よかったんだ。って思った。

なんだろね、「面白かった~」ってだけで、あんまり語ることがない映画と言っちゃえば俺の中ではそういう映画だなーって感じなんですけど。ただ語ることないけど、面白い面白くないで言えば、めちゃめちゃ面白い。朝9時の回で11時過ぎに観終わったんだけど、「これ、昔の映画館だったらそのまま座ってとりあえずもう一回観るなぁ、その調子で気付いたら夕方なってそう」とか思っていたら、一緒に観ていた嫁が「これ、昔の映画館だったら夜までずっと観てられる」と言ってきて、なんかそういう映画です。ネタバレ注意さんざ言ったから別に言いますけど、庵野さん左利きなんで、今回は左手に持ってた日本がたまたま勝ったよね。あの子供の人形戦わせ遊びってやっぱ利き腕の方が勝率高いんだって。それもまぁ、たまたまって話でね、別にそういうもんだってだけの話だとは思うよね。なんか巷では現政府を良いように書いてるとか、日本万歳感が右巻きだとか、自衛隊がどうのとか、あるみたいですけど、怪獣映画ってそういうもんで、色んな描写にあんま意味はないというかとりあえずここはそりゃこれくらい言わせとくでしょってくらいのもんだと思うんですよ。そもそも怪獣映画っていうか初代ゴジラが敗戦とか核の脅威みたいなものが背景にあって、国家のあり方、人類のあり方みたいなのを踏まえて作られたんだみたいなことは色々あるのだとは思うんだけど、もちろん今作もそういう意識はもちろん作ってくうえで絶対必要だし実際あったと思うんだけど、それは必要だったというのがホントのところで、そっちが本質なのか?メッセージ性の映画なのか?って言われると、俺はそうではないんじゃね?と思えて、やっぱこの映画の面白さって左手と右手を戦わせるっていうただその一点にのみあって、庵野の興味の原点も絶対そのただ一点で、これが2016年の日本に相応しい映画だって観た人が思うなら、一回それを本気でやってみたいと思っていた庵野が「今だ!!」って世の中のタイミングを読んだってだけの話で、いつの時代だって怪獣映画はこういうもんだ、こうあるべきだって気はする。だから、あんまり難しいことは考えず、気軽に観ていい映画だと思う。

僕もこれ書き終わってから色んな人の感想文を読みに行くところだからあんまよくわかってないんだけど、たぶん俺はここらへんの話題で「うーん、なんかみんなが言ってることは俺の中ではちょっと違うんだけど」ってなりそうなところを書いておくと、なんか思ったのは、やっぱリアルとリアリティは違うな!ってことで、そのうえでこの映画すげえな!って気持ちは同じなんだけど、特撮的な、爆発とかでの建物の壊れ方とか煙の感じとか、そこらへんのリアリティってのは僕全然わからないから置いておくけど、そういう映像以外の部分、ストーリーとか演出とか、そういう部分の話で言えばこの映画は全然リアルじゃないよ、ってことは言いたい。みんなが「リアルだ」って感じたからそういう現実の政府とか国のあり方みたいな話とリンクしてくるのかなぁとか思うんですけど、だいじょぶだいじょぶ、全然リアルではないから。徹頭徹尾、ガキの児戯だから。現実に即した話では全くないわけですよ、だってそれで言ったら、石原さとみとか、あんなかわいいやつ、現実にいるわけねえじゃん。知ってんだかんね、俺。あいつ別にそんなすげえ優秀なエージェントなんかじゃねえし、ハーフでもねえし、英語もあれイーオンで習ってんだろ?見たもん俺、テレビで。で、ゴジラの中の人は公文やってんだろ? 主人公はスタディサプリで勉強してるし、塾通いばっかじゃねえかなんなんだよ! あと俺4DXで見たんだけど、初めての4DXではしゃいじゃって観る前に俺ふざけてツイッターとかで「石原さとみの匂い嗅いできます!」とか言ってふざけてたんだけど、一回どっか長谷川博己と二人っきりで喋ってるシーンでマジですげえめちゃんこ良い匂いしなかった? 俺すげえ「マジかよ!」って思ったんですけど。石原さとみのレヴールの香りきたコレ!って一瞬思ったんですけど、騙されないかんね!石原さとみレヴールなんて市販のシャンプーほんとは使ってるわけないの知ってるかんね!つって、そもそも石原さとみのシン・ゴジラという作品内の役柄もまったく現実味がないし、本物の方の石原さとみもかわいすぎてまったく現実味ないしですげえ複雑なんだけど、ただ俺がすげえ思ったのは、石原さとみがああいう役で出てこなかったら「マジでゴジラにはどうしたって勝てないんじゃないか」っていう気がして、そりゃ映画なんて嘘っぱちでどうとでもできるからゴジラを倒すことはできるんだけど、それじゃあなんか納得いかない、みたいなそういうことって全然起こりうるし、そういう観客の納得感を調整&調整するのが結局映画にリアリティを持たせるってことなのかなって思うし、そういう意味で石原さとみのポジションっていうのはすごく大事だったんだなと思うし、あの石原さとみが存在しないとああはならないっていう世界観はやっぱリアリティがあるだけでリアルでは決してないよね、と思う。

現実に即しているってことと、現実臭いとか本物臭いってことは全然違って、むしろ現実に近づけようとした方が何故か嘘臭くなってしまったりする。そういう意味で言えばこの『シン・ゴジラ』っていう映画は本当に首尾一貫して嘘だらけなんだよな、と思う。ただ、その嘘っていうのは、ぜんぶ我々が信じてきた嘘なんだよな。だから本物みたいだって思ってしまうんだ。2016年現在の我々が現実を解釈するために、傷つかないために、傷を癒やすために、もう一度笑うために、生きるために生み出してきたさまざまな嘘、そういう嘘にこの映画はまみれているんだ、って思った。だから、嘘八百どころか、嘘八百万だって思った。やおよろずが宿った映画だと思った。だから、あの映画を、やっぱ僕は徹底してただの娯楽だと思っているのだけど、もしあの映画から何かもっと具体的な何かを受け取った人がいるならばそれもやっぱりその当人が騙されたくて自分から率先して見た嘘なのだから、それでいいのだと思う。そういう現代を生きるすべての日本人が色んなモノとかコトに対して思っている八百万を餌にして、あのゴジラは誕生したのだと思う。そのうえで、ゴジラは僕にとってどうしたって最高の娯楽だった、娯楽以外の何者でもない、と思った。ストーリー自体が日本総力戦そのものなわけだけど(繰り返すに僕は左手に持ったのがたまたま日本だったというだけで、これが日本を考える映画だとはそれほど思わないのだけど)、そのうえで最後に流れる膨大な量のスタッフロールもまた総力戦という感じで、なんだか見てるだけでグッと来るものがあり、「これで最後『and YOU!』って出てきたら最悪だな」と思ってハラハラしていたのだけどさすがにそんなことはなかったけれど、言われなくてもなんだか「and YOU!」と言われたような気がしたのはなんでですかね。それはやっぱりあの映画は僕の想像力や嘘も食って、食って食って食い尽くして、初めて成立していたもののように思えるからだ。

僕なんか、続編観たいとか思ったけどね、「何言ってんだ馬鹿」「この映画はそういう商売っ気で二作目やって駄作にしちゃうようなそういう映画じゃねえ」って思われるかもしれないけど。純粋な気持ちで観たいと思う。だってあの映画の世界ってさ、ゴジラで検索してもよくわかんない一件しかヒットしないんだよ?こっちからするとありえないじゃん。そんな架空の架空すぎる日本が、ああやって一度ゴジラを経験してさ、次にもう一回ゴジラが来た時はどうするのか、もっと手際よくやれるのか、次に備えていた秘密兵器があったりするのか、二回目ってことに慢心してヘマをこいたりはしないか、前例がある状態でもう一度ほんとうの意味で一丸となれるのか、僕は心からそんなの見てみたいけどね。ゴジラが我々のやおよろずを食って、また現れるなら、僕はそれすげえ普通に観たい。以上です。