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男は女を救えない、なぜなら思い描くハッピーエンドが異なるから。

ごめんね、びっくりしたよね、突然。いきなり男とか女とか言われたらびっくりしちゃうよね。

ごめんね。

自分でもよくわからないけど、今日のおじさん、なんだかすっごく主語がおっきいんだ。おっきくなっちゃった。怖くないから、ほら、触ってごらん? おじさんの主語、人類を二分しちゃった。男と女だね。アダムとイブだね。なんだか恥ずかしいね。

でもね、それでも僕は本当にそう思うんだ。なぜなら思い描くハッピーエンドが異なるから、男は女を救えない。女も男を救えない。ビンビンにおっきい主語としての男と女は完全に違う生き物だから、まずそれを把握しなければ誰も救われない、あーおっきい主語おっきいこんなにおっきい主語はじめてだよー、具体的な各々の生活レベルに落とし込むには相当に無理があるよー、そういう自覚はこっちとしてもあるから、まあ与太話とか観念論とかそういうもんだと思って聞き流してくれたら嬉しんごんごんご、ドラえも~~~~~~~~~~~ん!!!!!

「すべての男は、マザコンかロリコンである」とは日本を代表する哲学家・股潜牙二郎(またくぐり きばじろう)の遺した言葉として有名ですが、私はこれを「そうだよなー」と思っている。股潜先生は哲学家であるほかに作曲家としても著名な先生であり、あの単体の女優さんがなんかラメ?スパンコール?みたいな光沢のあるビキニで扇情的なポーズを撮るAV冒頭のシーンの音楽? なんか♪ンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥみたいな裏打ちがすごい低音あるじゃないですか、あれを作曲した人としても有名な股潜牙二郎先生が「すべての男は、マザコンかロリコンである」とおっしゃってたわけですけど、僕はそれをいつもなるほどなと思うわけです。思い当たる節がある。これはつまりどういうことなのかというと、男は常に女性性に不変を求めるということなのです。ひとつはマザコン、つまりは母性。いついかなる時であろうと、無条件に愛してくれる不変の母性を望む、それがマザコンです。そしてもう一つはロリコン、これもまた不変を希求する存在です。未成熟な幼い女を愛するロリコンですが、未成熟な身体を愛するということはつまりその身体の成長を忌み嫌うこと、変化を恐れること。つまりはどうあれ、股潜先生の弁を真に受ける限りにおいて、男は女に不変を求めるんだなってことについてはどうにも他なりません。

詰まるところ、どうあれ、男は女に永遠不変を求めています。女はどうなんだろう。

女が男性をどう考えているのかはさておき、どうにも女は自身の変化を求めているようです。もっと大人らしい自分、もっとテレビに出てそうな自分、もっと自分らしい自分、そういうものを女は求めていて、ハクバノ王子サマが待ち焦がれて随分ウェルダンらしいと私の耳にも入っています。

これを以って、かなり砂漠な地図が原風景として私たちの眼前に立ち現れます。私たち「男」というやつは、貴女に変わってほしくない。貴女のままでいてほしい。貴女は貴女のままで美しい。無垢な少女か、あるいは母親として、居続けて欲しい。一方、貴女は、「女」は、変わりたい。そんな男の思うままの貴女で居続けるのはまっぴらごめんで、今までとは違った自分を探して、見つけたらそのままになりたい見習いたい。貴女はどうも、そうらしい。

僕たちは貴女に変わって欲しくない。そのためには何だってしたいし、するし、してきた。  本当にしてきたんだ。  しかし、貴女は変わりたかった。僕たちの思惑はてんで的外れに、貴女は変わりたかったんだ。ハクバノ王子サマを求め、随分ウェルダンだったらしい。

救ってほしいと言われたことはあったし、救いたいと思ったこともあった。それは遂ぞ叶わなかった。なぜなのかは好い加減わかる気もするけれども、わかった時点でもう一生わからなくなってしまうような気がして、随分具合が悪い。

股潜牙二郎先生の言うことには、男と女のハッピーエンドはずいぶん異なる。男はずっとこのままでいたかった。いつまでもいつまでも暮らしましたとさって、貴女としたかった。女は、そうは思わなかった。白馬に乗って、いつまでもいつまでもから遠ざかりたかった。変わりたかった。女ではない何かに変わりたかったのかもしれない。僕たち男は、ずっと貴女に女でいてほしかった。それがマザコンでもロリコンでもいい、ずっと貴女と一緒にいたかったから、僕は貴女にずっと女でいてほしかった。しかし貴女は僕にとって女ではなかったし、貴女は女として女を生きようとした。それだけの話で、僕たちは、すごく不自然だった。そして尻拭いをするか・しないかを、した。

股潜牙二郎先生の言うことには、男と女のハッピーエンドはずいぶん異なる。男は女に不変を望み、女は自身に変化を臨みそのために変化を促す男を求める。何せ今日のおじさんは主語がおっきいので、大目に見て欲しい。とろんとした目つきをして欲しい。しかしこれはどうにも事実である。事実であり、ここが出発点である。アホみたいに口をあけて寄り目で涎を垂らしたときの俺と貴女は、概ねそんな関係である。出発点である。そっからどうするかねって話で、どうにでもすればいいんだろうけど、始まりとしてはそんな感じで、どうにでもなるけど、かっこつけてるうちはどうにもなりませんよみたいな。そういうことを思ってこの話を終えますし、貴方が貴女がいつどこで誰を愛さず誰を愛し、誰を大事にしようとするのかも知らぬまま読まれぬものを、書いています。何せ暇ですから。何せ「救う」という言葉が、鼻を垂らしていますから。以上です。