令和7年の年明けに際して
令和7年が明けました。喪中なので「おめでとうございます」とは申し上げられませんが、今年もブログ「私的憂国の書」を宜しくお願いいたします。
昨年のこの日、能登では大きな地震があり、今も多くの方が昔の生活を取り戻そうと、懸命に頑張っておられます。この災害に対する政府の動きは、悲しいほど遅かった。被災地を政治が支えるという近代国家のメカニズムが、能登では十分に発揮されてこなかったことは、極めて残念です。もちろん、支える主体となるのは国民です。阪神淡路や熊本、東北に対して抱いたモチベーションを、能登にも向けたいものです。
さて、2025年はどんな年になるのか。ひとつの大きな変化は、20日後の米国におけるトランプ大統領の再登場であり、その強烈な個性に対する世界各国の駆け引きと対応といったところでしょうか。トランプ氏の再登場には、いくつかの混乱と対立が生じることでしょう。しかし彼は悪者ではなく、米国国民が民主主義というプラットフォームの基盤の上で決定した選択なのです。
それを朝日新聞はこう書きます。
胸騒ぎがする。波乱が起きる予感が。それが何かはわからない。いつにも増して先が見えない年が、明けた。
不確実さの原因の最たるものは、米大統領に返り咲くトランプ氏だろう。
「中国に高率関税を」「パナマ運河を米国に返せ」「軍を動員して不法移民を国外追放する」。本気か。はったりか。あえて世界を不安に陥らせる戦略なのか。
波乱ならまだわかるが、「胸騒ぎ」とはなんなのか。辞書によると、胸騒ぎとは「心配ごとや凶事の予感などのために不安が高まり、胸がどきどきすること」とある。朝日はトランプ氏の再登場に「凶事」の意味も込めているのです。なんとも朝日らしい。
そして朝日は、そのコンテクストから国内の政治に話を振ります。
一見して不安定にみえる少数与党が、日本を変える好機ともなりうる。
昨秋まで続いた自民「1強」時代は、あまりに多くがブラックボックスで決められた。安全保障やエネルギーなどの基幹政策ですら、有権者の目が十分に及ばぬところで変えられた。
今年は与野党間の政策形成の過程がより可視化されるように、潮目を変えたい。有権者の側が変調や逸脱から目をそらさない。しっかりと声を上げる。強靱(きょうじん)な日本の社会を築く。そんな年にしたい。
少数与党を好機と捉えるのは反自民、反権力を社是として来た朝日の歴史からくる本音です。しかし、国策がブラックボックスで決められたというのは朝日の言いがかりに他なりません。今の政治、国策をブラックボックスで決められるような環境にはありません。むしろ、それを「密室の政治」ばりにいうのは、メディアとしての取材力を糊塗していることにしかならない。
有権者はしっかり声を上げています。そのプラットフォームが既存メディアからSNSにシフトしただけの話。メディアは批判しかしないから、そのことが有権者の政治離れを誘発している側面もあるでしょう。メディアとは媒介のこと。政治の現場と読者、視聴者の媒介が彼らの役割です。そのメディアが、政治に対する有権者の興味を繋ぎ止めるという役割を果たせていない。こんな言説をつづけていけば、彼らの淘汰は早まるだけです。
グダグダ書きましたが、元旦の朝日社説ウォッチは恒例行事です。ご容赦ください。
皆様にとってより良き一年になりますように。
神宮にて
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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