化粧品CM史で振り返るJ-POP考察 前編
不定期企画のMy Favorite songsシリーズ。
コスメシャーマン三十年戦争
~資生堂VSカネボウ 2大帝国の興亡~
今回は趣向を変えていつもの形式でなく、昭和の化粧品CM史を振り返りながら、昔JOCX-TV2で放映されていたカノッサの屈辱(※)風にまとめてみました。
カノッサの屈辱 (テレビ番組) 1990年4月9日から1991年3月25日までフジテレビの深夜帯(JOCX-TV2)で放送されていた、ホイチョイプロダクションが企画した教養風バラエティ番組。(Wikipedeiaより抜粋) |
世界史では有名な事件なんですが、ご存知ない方のためにコチラも。
カノッサの屈辱 聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077年1月25日から3日間に及んで雪が降る中、カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続け、教皇による破門の解除を願い、教皇から赦しを願ったことを指す。(Wikipedeiaより抜粋) |
日本のCM業界において、化粧品CMは食料品に次ぐ2番目に大きいカテゴリーで、数々の名CMが生まれ、そこで使われた名曲が日々TVから流れていました。
ほとんどの曲がMy Favorite songs~に収録されていて、もちろんソラで歌えます(笑)
第1章 コスメ新大陸の発見と市場争奪戦(~1975年)
1953(昭和28)年に化粧品にも再販売制度(独禁法適用除外:1997年廃止)が認められ、高度経済成長によって国民生活が豊かになったのと相まって、資生堂、カネボウ、小林コーセー(コーセー化粧品)、帝人パピリオといった国内勢に加え、マックスファクター、レブロン等の列強が入り乱れ、”ジパングコスメ市場”を開拓。
60年代に入ってからはポーラ、メナードなどの訪問販売メーカーも誕生し、異業種からの参入も次第増え、まさに群雄割拠する戦国時代に突入する。
その中でも制度品メーカーの資生堂帝国とカネボウ連邦の2大強国は、自国民に告知させるため、1970年代初頭辺りから化粧品CMを増加。
シーズンプロモーションやプレゼントキャンペーンなどの技法を駆使し、顧客の”囲い込み運動”を展開した。
当時のCMは見栄えのいい外国人やハーフのモデル起用が定石で、ビジュアル重視の“舶来モデル重商主義”と呼ばれ、CM音楽も洋楽やBGMがほとんどだった。
○主なキャンペーン | キャンペーンコピー | モデル |
73春 資生堂 | 春なのにコスモスみたい | 青柳雅子 |
---|---|---|
73春 カネボウ | 奪われそうな唇 | ブリッド・マダヌソン |
73夏 マックスファクター | この美しさ・・・パンケーキ | |
73秋 帝人パピリオ | こんにちはメランコリー | |
74春 小林コーセー | うれしい春がやってきた 唇と指先に春あざやか | |
74秋 資生堂 | 海岸通りのぶどう色・ レンガ通りの白い肌 | マジョリー・ホワイト |
74秋 カネボウ | 秋、ほほえみは美しく美しく | ロレイン・ラインボールド |
75春 資生堂 | 彼女はフレッシュジュース | マイティー・ルエロン |
75春 カネボウ | 大人のジョゼ。約束してしまった、 午後の唇 | スージー・デビッド |
75春 レブロン | 唇と指先、春の色 | |
75春 小林コーセー | 輝きほのか。ほほとくちびる |
トリビア①
キャンペーン(Campaign)とは、 ①企業、団体、あるいは歌手や芸能人などの個人が社会に対する宣伝活動を行うこと。 ②目的を持って一定の多数に働きかけること。または、その運動。 とされ、”商戦”と訳されることもありますが、まさに戦いなんです。 キャンペーンの語源はラテン語の”カンプス(campus)”で”平原”を意味し、当時は平原でよく戦いが行なわれたことから”戦場”という意味もあります。 その戦場で野営することが”キャンプ(camp)”で、広い戦場での戦いが”キャンペーン”、戦場での勝者が”チャンピオン(champion)”となりました。 |
第2章 ”新音楽族”の大移動(1976年~1979年)
国連が75年に提唱した”国際婦人年”により、女性の社会進出や活動範囲が広がるにつれ、コスメCM界にも変化が見られ始める。
それまでの洋楽やイージーリスニングなどイメージやBGM的に選ばれていたCM曲から、曲名やサビの部分が、キャンペーン名・商品名とタイアップ(コラボ)した楽曲が出現。
特に“新音楽(ニューミュージック)族”と呼ばれる、TVとは一線を画していた辺境の各部族が、大挙して資生堂帝国・カネボウ連邦内になだれ込んできた。
出来事 | タイアップ曲/アーティスト | キャンペーンコピー | |
76年 春 | ガンダーラ族の侵入 | ♪僕のサラダガール /ゴダイゴ | カネボウ サラダガール |
---|---|---|---|
76年 秋 | バンカー族の侵入 | ♪揺れるまなざし /小椋佳 | 資生堂 ゆれる・まなざし |
77年 春 | オリビア族の侵入 | ♪マイピュアレディ /尾崎亜美 | 資生堂 マイピュアレディ |
78年 夏 | 曲芸族の侵入 | ♪Mr.サマータイム /サーカス | カネボウ Mr.サマータイム |
78年 夏 | キャロル族の侵入 | ♪時間よ止まれ /矢沢永吉 | 資生堂 時間よ止まれ、まぶしい肌に |
78年 秋 | ベーヤン族の侵入 | ♪君のひとみは10000ボルト /堀内孝雄 | 資生堂 君のひとみは10000ボルト |
78年 冬 | かぐや族の侵入 | ♪夢一夜 /南こうせつ | 資生堂 素肌有情 |
特に78年夏から秋にかけては、タイアップした曲はいずれも大ヒットを記録。
両国も期待したキャンペーン目標を達成し、”ノルマ(ン)征服”と呼ばれている。
新音楽族たちは自分たちの路線を押し付けるのではなく、むしろミーハー族支持者に
迎合する融和策を実施。
保守的な古参の支持者からは懐疑的な意見もあったが、新たな支持層を獲得していった。
よっし~のお気に入り①
モデルはルーシー島田さんで、ニッチェ江上ではありません(笑) ギャリソンキャップやベレー帽が決まっていますね。 |
タイアップ曲が売れると商品も売れると知ったコスメ業界はもちろん、CMとの相乗効果で楽曲が売れること知った音楽業界もこぞってタイアップし始める。
また新音楽族の活躍に伴い、それまでの“舶来モデル重商主義”から脱却し、”国内制モデル業(モデュファクチュア)”の動きが見られるようになり、小林麻美、夏目雅子、浅野ゆう子、小野みゆきといった日本人離れしたスタイルのモデルたちの登用が顕著になってくる。
さらに新音楽族の侵略に危機感を抱いた旧勢力の”ミーハー(歌謡曲)族”たちも、失われた自分たちの領土を取り戻すべく、”レコンキスタ(国土回復運動)”を展開した。
♪カルビはハラミより美味しい、もとい、♪君は薔薇より美しいのモデルは、映画ロミオとジュリエット主演のオリビア・ハッセーで、このCMがきっかけで翌80年に布施明と結婚したのは有名ですね。
また南沙織や桑江知子などの女性アイドル歌手の楽曲が使われ始めたのもこの頃から。
よっし~のお気に入り②
デビュー曲がポーラ化粧品CMに使われたことで大ヒットし、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得。作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一。アイドルとしては微妙だが、歌唱力は素晴らしいです(笑) |
第3章 三国志時代と女性シャーマンの台頭(1980年~1982年)
1980年(昭和55年)はコスメCM戦争史ではエポックメイキングな年で、それまであまりTVCMをしていなかった訪販界大手のポーラ王国が、前年に創業50周年を迎えたのを機に、二大勢力が繰り広げるCM戦争に宣戦布告。
さながら魏(資生堂)、呉(カネボウ)、蜀(ポーラ)という三国鼎立の様相を呈する。
特に80年春のキャンペーンでは、3国こぞって女性シャーマン(歌手)を起用。それまで男性シャーマンが主流だったコスメCM戦争に一大旋風を巻き起こした。
マクロ経済的には79年の第2次オイルショックによる景気停滞期に差し掛かっており、高度経済成長が終わった時代の閉塞感を打ち破ろうと、女性シャーマンたちにすがったのだろうと思われる。
モデルは当時16才のメアリー岩本という芸名だったマリアンさん。翌年にドラマ「俺はご先祖さま」では未来人を演じた。 |
モデルは当時22才の松原千明さんで、石田純一さんの前妻で、すみれさんのお母さんとしても有名ですね。 |
よっし~のお気に入り③
80年春の3社のキャンペーンソングはどれも大好きなんですが、この曲が一番大好きです。 |
ポーラ王国は同年秋には、則天武后ユーミン(♪星のルージュリアン)も起用。
だがポーラ王国は二大勢力とは基本戦術(訪販)が異なるため、次第にTV露出度が減っていく。
資生堂帝国は拮抗する状況を打開するため、それまで大人の女性向けだったコスメCM界に、新たなヒエラルキーを創設。
ニキビに悩む若者向けに、洗顔フォーム“エクボ”を投入。
そして若者世代を取り込むべく、1人の新人シャーマンにその大役を委ねたのだった。
その新人シャーマンは、同年♪裸足の季節でデビューしたばかりの卑弥呼(松田聖子)で、秋には♪風は秋色が、エクボ・ミルキィクリームにも採用され、10代の若者を中心に”エクボ教”の開祖として絶大なる信仰を集める。
当初CMモデルのこの子が歌っているのかと思ってましたが、モデルは山田由紀子さん。実は聖子さんもCMモデルオーディションを受けたが、まだ また両者が同製品のPR会に参加した際、山田さんの方には長蛇の列ができ、聖子さんの方にはほとんど集まらなかった。一連の出来事は”エクボの屈辱”と呼ばれている。 |
”エクボの屈辱”を受けた卑弥呼聖子も、翌81年の♪夏の扉ではシャーマン兼モデルとなり、ビジュアル(色)より歌声(才)が重視されてきた従来のシャーマン像に、才色兼備という新たなるハードルを持ち込んだのも画期的だった。
一方、カネボウ連邦も資生堂帝国の勢力拡大を看過しておらず、20代女性向けの新ブランドを目指す、”レディ80の勅令”を発布。”新音楽族”、”ミーハー族”を続々と投入し、大々的にPRを展開した。
この年神戸ポートピア博が開催され、出だしの♪ほら春咲小紅ミニミニ見に来てね~が、♪ほら春先神戸に見に見に見に来てね~と聴こえるのと、作詞がコピーライターの糸井重里さんなので、てっきりポートピア博の宣伝だと思ってました(笑) ※公式ソングはゴダイゴの♪ポートピア。4日連続で見に行きました(どうでもイイ情報w) |
当時「青い珊瑚礁」や「エンドレス・ラブ」で人気絶頂だった女優ブルックシールズに変な踊りをさせたのが衝撃的でした。また彼女の父は外資系化粧品メーカーレブロンの重役で、ルネサンス期に絶大な権力を誇ったメディチ家の血筋を引いているそうです。若い人はカバー(SHAZNA)の方しか知らないのかな?(汗) |
この時期はシャーマン的にはカネボウ連邦が優勢で、むしろ資生堂帝国は劣勢だった。20代女性をターゲットにしたレディ80のカネボウ連邦は、起用するシャーマンも世代受けを考えてよくセレクトされていた。
一方資生堂帝国は、二匹目のドジョウを狙ったクリスタルキングの♪蜃気楼(80年夏)のヒット(年間16位・54.6万枚)以降は
80年秋 ♪おかえりなさい秋のテーマ/加藤和彦
80年冬 ♪魅惑・シェイプアップ/内山田洋とクールファイブ
81年夏 ♪サマーピープル/吉田拓郎
など、とても若い女性層に受けない中年男性シャーマンを連続起用するなどの失策が続く。
学会ではこれは”オッサーマン捕囚”と呼ばれている。
後編につづく・・・
※本論は筆者の私見に基づくもので、特定のメーカー、歌手等を讃美、批判するものではありません。
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