丸岡城桜まつり2016
CHICAGO DOGでお腹を満たした後は、お花見で丸岡城へ。
4月1日から20日まで、丸岡城桜まつりが開催されている。
丸岡中心部からやや東寄りの小高い丘の上にある平山城で、天正4(1576)年一向一揆への備えとして織田信長の命により、柴田勝家の甥、柴田勝豊により築城された。
日本に12城ある現存天守の1つで、国指定の重要文化財。2度ほど来たことがあるが、桜のこの時期は初めて。
絶好のお花見日和で、麓の観光駐車場や隣接する駐車場も軒並み満車で、
100mほど離れた臨時駐車場までかなり埋まっていた。
丸岡城イメージキャラクターの城丸くん。
なんか全然可愛いと思わないんですが(笑)
春限定の桜ソフトの売店には行列ができていた。
減量中なので我慢(涙)
「結構キツいね~」という行楽客を尻目に、本丸(標高約27m)までサクサク登っていく。
ハイカーをなめるなよ! もっとも標高差は17mほどしかないんですが(笑)
桜はまさに満開です。
本丸跡にあるしだれ桜も満開だった。
また桜と松と青空のコントラストも見事。
天守閣入場には300円(資料館共通)がかかるが、入口前までは無料。
天守閣は一度入ったことがあるのと、登山靴を脱ぐのが面倒なので今回はパス。
城内の鎮守社である八幡神社。
祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)とその母の息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、比売神(ひめがみ=宗像三神)
天守閣は独立式望楼型2重3階建で、現存天守の中では最古と謂われている。
一国一城令にもかかわらず、御三家に匹敵する家柄だった福井藩の丸岡城は破却されず、
本多氏、有馬氏などを経て、明治維新を迎える。
石垣は野面(のづら)積で、寒冷地のため屋根瓦は笏谷(しゃくだに)石製の石瓦。
戦前には旧国宝(国宝保存法)に指定されていたが、
丸岡を震源地とする昭和23(1948)年の福井大震災で天守閣が倒壊。
倒壊の2年後の昭和25(1950)年に、新たに重要文化財(文化財保護法)に指定された。
ただしこれは倒壊による降格ではなく、重要文化財は旧国宝と同レベルとされる。
倒壊材の約8割を使って昭和30(1955)年に修復再建されたが、
・再建後の丸岡城が本当に倒壊前と同じ構造なのか不明。
・天守閣の建築年代特定の確証がない。
・学術上の新たな知見が不明
などの理由から、国宝の再指定には至っていない。
最新の研究では、これまで天正年間(1576年)もしくは慶長年間(1596年)頃とされていた天守建造が、
実は寛永5(1628年)のものだったと判明。(2020年7月追記)
しかしここに来て国宝再指定に向けての新たな動きが出ている。
戦後長らく国宝は、姫路城、松本城、彦根城、犬山城の4城だけであったが、
昨年(2015年)に同じく戦前旧国宝で、戦後重文だった松江城が5番目として国宝に昇格。
丸岡城もこれに続けとばかりに県や市を挙げて動いているが、果たして・・・
朗報としては、昨年10月に大阪で、戦前に国が行った解体修理工事を撮影した
165枚ものガラス乾板が発見され、建築構造解明の手掛かりとして期待されている。
また映画戦国自衛隊(1979年)のロケ地になったのは有名で、
夏木勲演じる長尾景虎が春日山城で主君小泉越後守を弑殺するシーンに使われた。
歴代城主として有名なのが、福井藩主松平忠直の附家老として入城した本多成重公。
”一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”
※原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」
家康の家臣で”鬼作左”の勇名を馳せた父、本多重次(作左衛門)が戦場から妻に宛てたたったこれだけの文は、日本一短い手紙として有名で、お仙とは成重の幼名の仙千代。
無駄を省いて要件だけを簡潔に伝えている武骨な武士らしい手紙だが、家族の安全や息子への愛などが詰まっており、これを記念して短い文章で想いを伝える一筆啓上賞が毎年選出されている。
なお今年は、”ありがとう センテンス スプリング!”が大賞受賞濃厚のようです(ウソ)
天守閣前の広場からは、先ほど登った鷹取山。
山頂もはっきりと望むことができた。
天守閣直下にあるこの井戸は、丸岡城の別名霞ヶ城の由来とされる。
説明書きによると、豊原方面から一向一揆勢が攻めてきた際に、この井戸に棲む大蛇が現れ、息を吐いて城全体を霞で隠し、城を救ったとされる。
大蛇くん、今日はお昼寝のようです(笑)
こちらは人柱お静の慰霊碑と祠。
柴田勝豊が築城の際、何度やっても天守閣の石垣が崩れてなかなか完成せず、人柱を募集したところ、近郷のお静という貧しい女性が選ばれた。
お静は息子を武士に取り立ててくれることを条件に人柱となり、天守閣は無事完成。
だが勝豊はその後に近江長浜城へ移封となったため、お静の子は武士になれなかった。
毎年4月になると春雨で堀が溢れたので、これは”お静の涙雨”だとして慰霊の祠を建てたとされる。
来年の桜の時期には国宝昇格のニュースが聴けるといいのだが・・・
やっぱり、桜っていいね!
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