やしお

ふつうの会社員の日記です。

組織のなかで働く技術

 会社には専門分野の技術とは別に、組織の中で働くための一般的な技術がたくさんある。学校で体系的に教えてもらうものじゃないから会社に入って身に着けていく。僕自身もう会社に入って8年半になるからずいぶん知見が溜まってきた。後輩や新人がその習得に自分と同じ時間をかけるのはもったいない。一度全体を整理しておきたいと思っていた。
 それで書いてみたら長くなって、3分の2に圧縮したけどまだ長いのであらすじだけ先に書いておく↓

 働く上でいろいろな制約が存在していて、その制約に対抗する手段としていろいろな技術がある。この制約-手段のつながりを見ず単に結果としての技術だけを覚えても応用がきかないし身につかない。この技術にはレベルがあって、このレベルがちぐはぐだと上手くいかない。
 「能力と時間」、「ルール」、「他人の感情」、「自分の感情」、「人間の生理」という5つの制約について「制約→技術」を展開していく。最後にこの5つの制約相互の位置関係を考えて、全体像を見てみる。


【目次】



自由であるために制約を見る

 「お仕事のやり方」を書いた自己啓発本はたくさんある。でもその結論を覚えるだけだと、条件が違う場面で無理やり適用しようとして失敗して「意識高い系」と揶揄されることになる。仕事ができる(=組織の技術を身に着けている)人は、根本の態度・方針から結論を自力で導いているので応用が利くし、自己啓発本を読まなくても結果的に同じ結論を導ける。だから、結論を羅列する前にその根本の態度・方針をはっきりさせる必要がある。
 ここではそれを「自由になること」に置いている。幸せでありたい、楽しく生きたいというのは誰にでも共通の願いで、そのための条件の一つが「自由であること」になる。誰かにわけもわからず自分の行動を強制されていると感じるのはつらい。自分の主人は自分だと思えないと苦しい。現実には法律、金銭、人間関係といった制約があるから自由ではないのかというと、そうでもない。制約のせいで不自由なわけではない。サッカー選手がルールのせいでプレーを楽しめないわけではないし、俳人が「五七五」の縛りのせいで不自由なわけでもない。末端の会社員でも不自由だとは限らないし、むしろフリーランスでも環境や他者に振り回されていれば不自由だ。
 制約があるから不自由なのではなく、見えていない制約に振り回されると不自由になる。だから、制約を把握してその上で手段を構築することが自由への道になる。ここでは「組織で働くこと」の全般についてそこを見ていく。

技術のレベル

 制約への手段(=組織で働く技術)にはレベルがある。会社組織はたいがい、
  個人⊂チーム(係)⊂課⊂部⊂……
といった階層構造になっている。この階層に対してそれぞれ対外/対内の技術がある。

 ここではさしあたり個人も最小の組織として見ている。階層構造で描き直すと以下のイメージになる。

 対内が下を、対外が上を見ることにあたる。上を見るとき、上を通して同列の横を見るものとして点線の矢印を付けている。レベル感をかなり大雑把に書いてみると以下のイメージで、この後で細かい中身を見ていく。

  • 個人・対内:チームメンバーとして仕事を受けてこなせる。
  • 個人・対外:チームメンバーとしてリーダーに自分の状況を伝えられる。他のメンバーとも協働できる。
  • チーム・対内:チームリーダーとしてメンバーへ仕事を振れる。メンバーの状況が把握できる。
  • チーム・対外:チームリーダーとして上に状況を報告してチームへの仕事の入出力が調整できる。
  • 課・対内:課長として課の組織デザインができる。チームリーダーに権限の委譲ができる。
  • 課・対外:課長として他課との役割分担、自課の進む方向性、他職場との仕事の受け渡しがデザインできる。


 実際にはこの「レベル感」通りになっていないことが多い。新人がいきなりよその部署との調整を要求されて怒られている職場もあるかもしれない。チームがないから一般課員がチームリーダーレベルでやらざるを得ないこともある。(組織の大小にもよる。)また逆に、課長だけど課長レベルの技術が身についていない光景もよく見かける。
 現実には崩れているからこそレベルの感覚が必要になる。過剰な技術レベルを要求したり、逆に技術レベルの不足を放置しないためには、本来どの技術がどの立場で達成されるべきかをはっきりさせる。通常は自分の立場の1段上の技術レベルを目指すことになり、一課員なら2段上の課長レベルまで身につけられればかなり楽になる。

 レベルの全体を貫く形で基礎認識がある。それは方針や目的であったり、どのレベルでも応用可能な技術であったりする。ここでは制約→技術のつながりを見ることを重視している関係で、この基礎認識を語ることが主になる。基礎認識→対外/対内の技術の各レベルというこの関係が、制約それぞれについてある。「能力と時間」、「ルール」、「他人の感情」、「自分の感情」、「人間の生理」という5つの制約を挙げて、一つずつこれから見ていく。





制約1:能力と時間

 もし能力が∞なら時間はほぼゼロで済み、反対に時間が∞にあれば能力はほぼゼロで済む。しかし現実にはどちらも限りがある。この処理能力と処理時間の制約に対応するための手段・技術がある。
 能力×時間の制約が箱で、そこに仕事や作業という物を入れるゲームだとしたら、

  1. 物の量を減らす
  2. 隙間なく上手に詰める
  3. 箱を広げる

という技術がある。そしてそれ以前に、物の量と箱の大きさを正確に知ることが必要になる。

物の量を知る:仕事を洗い出す、分解する

 「カレーライスを作る」という仕事なら、材料と道具をそろえる→切る→炒める→煮込む→……といった作業に細かく分解する。その中で必要な物や能力や時間が見えてくる。「物の量」、仕事の分量がわかる。
 組織の位置によってこの分解の粒度(粗さ)が変わる。課は「部活帰りの息子を受け入れろ」という漠然とした指示に対して、「夕食の用意」「体操服の洗濯」「風呂の準備」という粒度に分解する。チームは「夕食の用意」という指示を「カレー」「サラダ」「から揚げ」「味噌汁」という粒度に分解する。メンバーはカレーの各工程に分解する。
 分解をせず、いきなり着手して進める/指示を出す人もいる。箱に入れる量がわかっていないから、平気で箱から溢れさせて残業まみれになる。この分解する感覚がないチームリーダーや上司の下にいると、粒度の大きすぎる仕事がそのまま無加工で上から下へ流れてくるから苦労する。

箱の大きさを知る:能力の把握と時間の把握

 処理能力を把握する。分解した仕事について、個人なら自分自身が、チームリーダーなら各メンバーがどのくらいで終えられるかを見積もる。また下は上にその程度を伝える。
 能力の程度(できる/できない、質や早さ)は実績から推定される。「この人なら『カレー作っといて』って言えば1時間後には上げてくれるな」、「この人だと『ジャガイモはこう切って』まで指示しないとダメだな」といった推定の粒度の差が、能力の程度差になる。実績を積んで信頼度が上がるとこの粒度が上昇する。逆に箱の大きさの見積もりを間違えて仕事を納めきれないと信頼度が低下する。
 そして箱を決めるもう一つの要素である時間の把握も必要になる。全体の期限を確認する、また分解した仕事ひとつひとつの期限をそこから算出する。


 仕事を受ける際は、この物の量を知る(仕事を分解する)、箱の大きさを知る(能力と期限を把握する)という2つが必須になる。新人ならまず意識すべきポイントになる。新人でない人でも毎回なにげなくここを怠って仕事を溢れさせしまう人もいる。
 こうして箱の大きさと物の分量を確認したら、これ入らないじゃん、という事態がよく起こる。以下がそれに対する、「量を減らす」、「隙間なく詰める」、「箱を広げる」技術。

物の量を減らす:不要な仕事を捨てる

 不要な仕事を減らすにはまず目的をはっきりさせる。「カレーを作れ」という指示を受けた時、大目的が「部活帰りの息子を受け入れる」なのか「品評会に出品する」なのかで作るものが全く変わる。目的をはっきりさせれば繊細な味のカレーを作って手間隙と金を無駄にして、あげく「全然量が足りない」と文句を言われてカップ麺を追加で出すといった無駄な仕事をせずにすむ。
 「情報の共有」だけが目的なら打合せを開かずにメールで済ませればいいし、何かを決めたければ担当者の下打合せを省いて決裁権者(上司とか)も最初から連れてきてその場で決めればいい。
 ダメ出しを受けたくないから、洗い出した仕事を全部やるという人もいる。それを「準備ができてる」と評価するチームリーダーや上司もいる。念のためインドカレーとレトルトカレーを両方用意して結局どっちか捨てるみたいな。この「念のため」が無駄な仕事を増やす。リーダーや上司なら最初からメンバーに目的とセットで作業を指示する。目的はより上流に遡るほど、不要な仕事を見つけられる。


 この「物を減らす」ために役立つ基礎認識を2つ挙げておく。

物の量を減らす:現状・目的・手段の三位一体

 現状・目的・手段の3つがセットで、うち2つが決まると残り1つが決まる。この関係を理解すると仕事の整理整頓が楽になる。現状(始点)と目的(終点)と手段(向きと大きさ)の三位一体は、ベクトルをイメージするとわかりやすい。

 1つだけでは残りを確定できない。始点か終点のどちらかしか決まっていないと矢印の向きも大きさも決まらない。向きと大きさが決まっていても始点か終点のどちらかが決まらないと矢印を置く場所が決まらない。
 この3つをはっきりさせると、不要な手段がはっきり決まるから捨てられる。仕事を減らせる。

  • 現状と目的から手段を決める:最も素直なアプローチかもしれない。しかし現実的には最初からこの形で仕事が姿を表すことはとても珍しい。改善活動を自主的に展開するときくらいかもしれない。
  • 現状と手段から目的を決める:日常的に最も多い形。いきなり上司から手段(仕事)を渡される。そして自力で現状を把握する。そしてその2つから目的(上司の意図)を逆算する。「目的の把握が重要」と言うのは、この現実があるからだ。さらに把握した目的から今度は反対に手段を検討して不要なものを削っていく。
  • 目的と手段から現状を決める:「息子の腹を満たす」という目的と、「ご飯を用意する」という手段が決まっていれば、想定している現状は「息子は空腹」だとわかる。しかし本当の現状が実は「おやつ食ったばかり」なら、手段が間違っていることがわかる。想定している現状を逆算して実際の現状と照合しズレを確認することで、手段の妥当性がわかる。無駄な仕事を減らせる。
物の量を減らす:完成度7割で済ます

 かけたコスト(時間や手間や金)と完成度の関係は下のイメージで捉えられる。

 完成度7割まで1時間でできたのに、9割まで上げると3時間かかるということが起こる。完成度は9割必要か7割でOKか、目的と現状から照合して決める。社内向けの説明資料をむやみに作り込んだりしないといったセーブの仕方をする。9割求めるタイプの上司には「9割でやるとこっちの仕事が入りきらない」という説明を正確にする必要がある。
 さらに人に依頼した仕事なら、目的に支障がなければさらにその7割(7割×7割なので5割)くらいの完成度で受け入れる。「100%より低い」ではなく「ゼロよりずっとマシ」で見た方がお互いの精神衛生にもいい。

隙間なく上手に詰める1:個人

 ふつうは個人が複数の仕事を抱えている。この順番を調整して隙間を詰めて、全体のかさを減らす。作業の洗い出しと整理(不要なものの廃棄)が終わったところで、優先順位を決める。
 優先順位は緊急度×重要度で決まる、その大小の組み合わせで4エリアに分ける、という方法が一般的だ。(ググればすぐ解説が出てくる。)

 緊急度は「締切りとの距離」で、重要度は「必要性の大きさ」になる。
 図の右上Aは誰でもすぐにやる(クレーム対応とか)。左下Cはそもそもやらなくていいから整理のプロセスで既に消えている。問題は左上Bと右下Dとの付き合い方になる。

  • 左上B:すぐに終わる仕事は先に片付ける。仕事の「数」が多いと心理的な圧迫感がある。「あれやらなきゃ」と頭の隅に残っていると思考や気持ちを邪魔してくる。やることリストから消すゲームと思って先にやる。また重要度の低さから考えて、本当にやる必要があるのか(ただの社内的な満足のため等)、やらずに済む道も考える。
  • 右下D:完全に後回しにしない。緊急度の高い(左上&右上の)仕事に時間の100%を費やしているうちに、放置していた右下の仕事の締切りが迫って上に上がってきて、この繰り返しで常時ギリギリでバタバタしてる人がよくいる。緊急度が「低い」は「ゼロ」じゃない、この「ゼロじゃない」に相応しい時間配分で絶対に少しずつ進めておく。「ちょっとずつ進める」を実現するには仕事が分解されていることが前提になる。


 そのほか以下も留意して優先順位を決めてカサを減らす。

  • 後工程がある仕事は先に流す:誰かへのお願いごとは後回しにしない。他人・他部署がやってくれてる間に他の仕事ができて隙間を詰められる。
  • 「手を動かす工程」と「頭を使う工程」を分離する:朝一で今日やることを組んだら後はそれに従ってやるとか、パワーポイントの資料を作るなら書く中身を考えた(絵コンテを作った)後でスライドを作る(フォントや見た目をいじる)とか。


 こうして決めた優先順位を事前に上司やリーダーや周りの関係者に伝えて、進捗を見えるようにしておく。

隙間なく上手に詰める2:チーム

 チームの中でメンバー間に繁閑のムラが出る。このムラをならす。

  • 情報のムラをなくす:メンバー同士で仕事のやりくりをするには、メンバー間の能力や知識の差が少ない必要がある。状況や製品の仕様といった情報をあらかじめチーム定例なんかで少しずつ共有しておけばメンバー間でのやりくりの土台になる。
  • 仕事の属人箇所をなくす:メンバー間の能力の差に依存しない体制、個人の能力に頼らずに済む仕組みを作る。マニュアルを整備する、知識体系をまとめる、作業を自動化する等、「ど素人が追加メンバーになっても最短でキャッチアップできる環境」を目指しておけば、誰かが骨折したり入れ替わったりしても対応できる。
  • 業務負荷の把握:各人の業務量で負荷を把握するより、本人の主観的な負担感を聞いた方がかえって客観的な負荷を把握できる。負担の程度は業務量だけでなく、当人の処理能力や締切や他人の心理的圧力、その他の畳み込みで成り立っているから、トータルで見るには主観的な負担感を把握する方がいい。それがメンバー間で等しくなるように調整していく。

 チームリーダーがこの技術を担わない場合はチームメンバーがやることになる。

隙間なく上手に詰める3:課

 組織デザインの技術。

  • チームを作る:仕事を振る相手がいなければ課員の間のムラをなくせないからチームを作る。横浜市営地下鉄が「全席優先席」にしたら「誰も譲らない」という結果を招いたように、「協力すべき相手(席を譲るべき人)」を限定させないと、お願いする方も手伝う方も動きづらい。チームの規模はせいぜい4人程度で、これ以上多いと共有するコストやお願いする相手が分散して有効性が低くなる。
  • 役割分担をはっきりさせる:これが曖昧だとお互いが「自分の仕事かな?」と思って手をつけたり「相手の仕事かな?」と思って手を出さずに効率が落ちる。本人だけでなく周囲にも役割を知らしめる。役割を与える時は同時に権限の委譲も明確にする。権限の委譲とは、人員・設備・予算・時間を与えて「ここまではあなたの好きにしていい」をはっきりさせるということ。


 仕事のエリアが不明瞭だと「仕事を大量に抱えてさばききれない人」と「縄張りを自分で引いて範囲外を一切やらない人」に二分されて負荷のムラが増大し、不公平感も増大する(よく見かける)。
 この役割分担・権限委譲が不明瞭な職場では、以下のようなプロセスで担当者が決まる。最初は簡単な「お願い」から始まって、その作業をしているうちに周囲の関係者から「この人が担当なのかな?」と仕事がだんだん依頼されるようになって、事実上の「担当者」になったあたりで上司がしれっと「君は担当者だもんね」みたいに言って、「えっ俺担当者だったの?」と本人がびっくりする。この間、「なんで当然のように俺にみんな振ってくるの?」と不満と負荷が溜まることになる。
 上司が組織デザインをしない職場にいる場合は、個人が自力でやることになる。ただし権限がなく直接手を下せない。理解のある同僚や力関係的に言いやすい後輩を巻き込んで、仕事を少しずつ共有していって徐々に事実上のチームを形成していくというような、間接的なアプローチを取らざるを得ないためつらい。そして上司が「ちゃんと担当者が自分で責任もってやれ!」と言ってせっかく作ったチームを破壊することもあるかもしれない。

箱を広げる:能力や時間を拡大する

 ここまでが、箱に入れる物(仕事)のかさを減らして、隙間なく詰めるという技術だった。この他に箱(能力×時間)自体を広げることも考えられる。

  • 時間の拡大:締切りを引き延ばす。これも目的や状況をさかのぼっていくと案外できたりする。当初とりあえずで決めた予定が生き残ったままになっていて現状と実は合っていないとか、体面上早めに設定してみただけだったとか、他の仕事と合わせて引いた日程だったとか、実は本当の締切りではなかったりすることが結構ある。
  • 能力の拡大:個人であれば、専門知識を高めたり、この記事の各種技術を身につけたり、外部装置を導入して個人の能力を高める(紙やPCで人間の記憶容量や整理能力を高めたり、エクセルのショートカットキーを覚えて処理速度を上げたり)。リーダーや上司であれば、教育機会を提供して能力を上げたり、人を増やしてチームや課のトータルの処理能力を上げる。


 この一連の技術が、能力と時間の制約に対する手段になっている。
 「物(仕事)の量を知る」、「箱(能力×時間)の大きさを知る」という現状把握をしたら、「量を減らす」、「隙間なく詰める」、「箱を広げる」という対応を取る。



制約2:ルール

 法律や国際規格、契約、就業規則や社内規定、職場内の独自ルールなどなどの制約がある。そうした「見えるルール」だけでなく「見えないルール」もある。これらに対する技術がある。

ルールの意味、ルールを見る目的

 ルールはセーフとアウトの境界を定めている。踏み外したのがバレると罰がある(刑事罰や社内処分、文句や仕事の差し戻しなど)。ルールへの適応は2段階ある。

  1. 違反しないようにする
  2. ルールぎりぎりいっぱいでプレーする

 まずはストライクゾーンの真ん中に投げられるようになってから、ゾーンぎりぎり端に投げられるよう技術を上げていくイメージ。ここからルールに対する技術の目的として、

  1. 消極的な目的:攻撃(罰)から身を守る(段階1に対応)
  2. 積極的な目的:防御しつつ最大限のプレーをする(段階2に対応)

 特に2ではルールをどこまで正確に把握しているかが決定的に重要になる。

見えるルールを見る

 ルーチンワークをこなす限りはルールを詳しく知る必要がない。すでにルールに適合するように作られているからだ。しかしルーチンから外れる場面でルールが問題になる。ルールブックを読もうとしない人はたいてい「常識的に考えて」で対応しようとする。しかしその「常識」が、ルールの範囲に対して狭すぎたり範囲を外れていたりするせいで最適解を出せない。

 ルールを把握する場合、原典→ルール作成者の解説→身近な詳しい人の解説、の順でより噛み砕かれている(より自分の仕事に適した説明になっている)一方で、より不正確でズレが生じている。ルーチンワークの位置付けを知りたいだけなど大雑把に把握すればいいなら身近な人に聞けばいいし、ギリギリ目一杯の攻防(他社や他部署からのねじ込みへの対応)をするなら原典を正確に読み込む、と適切なレベルでルールを見る。

見えないルールを見る

 組織の中には見えない/見えにくい独特のルールが張り巡らされている。上司に報告を入れるべきタイミング、部署間での意思決定の調整、書類の通し方、上司への意見の仕方、決定への従い方、等々。これらはマナーや慣習ではなく実はルールになっている。ルールだから踏み外すと「当然ダメだろ」という態度で上司や他部署の担当者から文句を言われたり怒られたりする。ただの慣習だと勘違いしていると、いつまで経っても「なんで文句言われなきゃいけないの」と苦しむことになる。どれくらい・いつ報連相をすればいいのか、いつまでも加減がわからなかったりする。
 これらは

  • 課長は労使関係の使用者である
  • 課という役割分担が存在する

という2つの前提から出発してある程度整合的に構築することができる。その辺は以前にやや詳しく書いたのでここでは展開しない。


  会社のなかの筋を知る - やしお


 できている人でも実は、組織のルールだと思ってそうしているわけではなかったりする。自分の周りの人について「この人の立場でされると困ることは何か」を常に洗い出していて事前に全部潰すことで、他人に文句を言わせないようにしているだけだったりする。
 その先、「なぜ相手が困るのか」という論理を辿っていくことでルールとしての姿が見えてくるのだけれど、そこまで辿る実践的な意味はあまりないため、そこまで見ようとする人は少ない。それで、できない人から「どうしてそうするんですか?」と聞かれても、「そうしないと○○さんがこうなって困るでしょ」と個別具体的な事例に対して言うくらいしかできない。
 厳然とルールとして存在しており、みながそのルールに従ってゲームをプレーしているにもかかわらず、そのルールが目に見える形になっていないのは、ルールを可視化する契機が日常業務の中にないからだ。これが「見えないルール」と呼んでいるものになる。「筋論」や「建前」と呼んでいるものが大体相当する。

ルールの環境整備

 課長やチームリーダーならルールが見えるように整備しておく。見えるルールについては、ルールブックをネットワークドライブに置く、ファイルを書棚に整理して明示する、課員に教育するとか規格書を買う、といった整備をする。
 見えないルールも目的とセットで見えるルールに転換する。上司が「報告が遅い」とか「なんでいちいち相談するの」と苛立ち、一方で部下が「どのタイミングで報告入れればいいかわからない」とか「どこまで自分で決めていいかわかんない」と困惑しているくらいなら、「こうなると困るから(目的)、この条件で報告を入れる(手段)」と見えるルールにした方がお互いの精神衛生にずっといいしその都度考える無駄が省ける。
 またルールの編集権がある場合は編集する。ルールはある目的のために設定されるが、現状や適応度合いの変化で徐々に目的からズレていくから手入れが必要になる。
 ちなみに課長は「課の意思そのもの」という建前があって例外処理の決裁がメインの仕事になってくるから、誰よりもルールを把握しておく必要がある。

ルールの各種利用法
  • 防御する:ルールから無意識に外れているといつか責められて守りきれなくなる。特に仕事の例外処理を求められた時はルールに適合しているかチェックする。日常業務についても、慣れたところでルール上の位置付けをチェックする。建前方面の防御力が無自覚に低いと「なんで俺はがんばってるのにつまらないことでダメ出しするんだよ!」と苦しむことになる。
  • 仕事を押し返す:見えないルールを見て、自分が本来やるべきでない仕事をむやみに引き受けない。別の部署から不当に仕事をねじ込まれそうになったら筋論で押し返す。もしくは自分で受けずに上長経由で依頼するよう突き返す。「この仕事は上司が自分に指示できる内容になっているか」で考えるとわかりやすい。このとき筋論だけだと相手の感情を害するので、実態側(実際の効率や利益や事情)も沿えて「私もやって差し上げたいんですが……」の雰囲気を出して「私はあなたの味方ですよ」の形も作っておく。
  • きちんと引き受ける:上の話とは逆に、ルールを見て筋を理解することで、本来自分がやるべき仕事を間違ってやり渋ったりして「何言ってんのお前の仕事でしょ」と言われないようにする。
  • 正しく恩を売る:誰が・どの部署が本来やるべき仕事なのかという筋をはっきりさせた上で、相手の代わりにやってあげれば恩を売ることができる。恩着せがましい言い方をすると角が立つので、最初は「あなたの仕事」を前提にした物言いをしておいて、途中でひょいっと肩代わりしてあげると素直に喜んでもらえる。一番良くないのは、なんとなく肩代わりした仕事だったはずが慣習化して、相手も曖昧に「そっちがやるのが当然」という態度を取り始める状態で、心理的にも(やってあげてるのに!)と辛くなるし、「役割分担で効率化する」という本来の目的も失われる。
  • ルールの幅を見る:「ルールは境界線」といっても案外その線には太さがある。特にローカルルールほど内部に論理的な矛盾を含んでいてアウトとセーフのどちらにでもできたりすることがある。ギリギリのことをやる場合はこのグレーゾーンに納めて言い逃れられる形は最低限整えておく。境界線の幅や破れを抑えると自由度が増す。
  • 相手との把握量の差を利用する:相手がルールをきちんと把握していなければ、ルールの幅の上=グレーゾーンで相手に仕事をねじ込むことができる。グレーゾーン内で「それはあなたのお仕事ですよ」という筋を立てて、本当は同時に「そうではない」の筋も成立するけど相手が気づかなければねじ込めてしまう。これはずるいのでよほど困っている時以外は使わない。
  • 上司に責任を押し付ける:見えないルールで報連相のタイミングを正確に抑えておけば、まずい事態になっても「あの時点であなたはその情報を知り得る状態でした、止められる立場にいたんですよ」の形で自分を防御できる。責任を取るのが上司の仕事だから、常にこの形を保つことはむしろ課員の側の義務になる。
  • ルールを作る:自分で作ったルールでも、「関係者が了承した」という形さえ作れば(会議で見せて誰も反対しなかった等)効力を生むことができる。そこを盾に「ルールなので」で押し通すことができる。ただし自分で作ったルールを逆に相手に利用されて縛られる場合もあるため作る際は様々なケースを代入してデバッグする。また他人がルールを成立させようとしている場合も、どんな縛られ方が生じ得るか、境界条件をたくさん代入して成立前に訂正する。
  • ルールを破る:ルールは違反発覚時のリスクと、実態的な損得を天秤にかけて、守るか破るかを自分で決めるものだ。「夕方5時にポットの電源を切る」って職場ルールをお局的存在がいない日は無視するとか、ばれない上に誰も損することがない嘘をつくとか。法律違反やコンプライアンス違反は会社や従業員個人として耐えられないし、就業規則違反は従業員個人として耐えられないし、嘘をつくと管理コストが跳ね上がるし結局、社内ルールのうちローカルに近いものが主に破るかどうかの対象になることが多い。

制約3:他人の感情

 組織は人の集合であるため、その中で働くということは他人と協力するということになる。その他人は感情を持っており外部から直接操作することはできない。この制約に対してコミュニケーションの技術がある。ここでは「相手の自尊心を傷つけないこと・慰めること」を目的として展開する。自尊心を損なわせると意欲をなくす、萎縮する、恨みを買う、攻撃的になる等々いいことがない。
 最も注意すべき点は、これは「気を使う」こととイコールではないということだ。気の使い方やマナー、礼儀は本来、「あなたを見下していない」と伝えて相手の自尊心を傷つけない手段として発達・習得されてきた。しかし固定化してくると手段が目的とすり変わっていって有効性が減ったり、弊害が出てきたりする。だから一旦常識を捨ててあくまで目的から見て手段を構築しないといけない。(一番最初に、自己啓発本の結論だけ覚えても仕方がない、といったのと同じだ。)
 なお、自尊心をわざと傷つけることで相手を支配するという技術もあるが、「幸せである」を双方向で実現するという大本の目的から外れるから採用しない。

自尊心というもの

 自分には生きる価値があると信じていたい、という条件があるという前提から出発することにする。「自分はなんのために生きているのか」と一度も考えずに済む人というのがほとんどいないという現実から考えると、この前提は妥当性がある(誰にとってもそうであり得るような前提である)と思われる。(仮に生まれた時から人間社会という存在を全く知らないまま、完全に自給自足の生活を送っている人、というのがいたとすれば、この条件から解放されているかもしれない。)
 ではこの「自分には価値がある」という感情、つまり自尊感情はどういう形で成立するのか。自尊心は、目で見えないし手で触れられない。その実在しないものを心底信じるにはどうすればいいのか。自分一人が「ある」と言うだけでは、本当にあるのか確証が持てない。しかし他人も「ある」と言ってくれたら信じることができる。これが一つの方法になる。よく「承認欲求」と呼ばれるものもこの範疇に入る。「地球は太陽の周りを回っている」と自分で見ていなくても、みんながそう言うなら信じられる、というようなことだ。
 また別の方法もある。当人としてありったけの力を使って真剣に考え抜いた結果、「もはやそうでしかあり得ない」という結論に至れば、他人からの承認を必要とせずに信じることができる。様々な観測結果やそこからの理論構築の結果、「もはや地球は太陽の周りを回っているとしか考えられない」という結論に至れば、他人がどう言おうと本人は完全に信じることができる。これは建物で言うと基礎工事にあたる。


 このプライドの基礎工事が弱い人は、上の建物を必死で守ろうとする。鉄道マニアで、知識不足を突かれると必死で取り繕うタイプの人がそうだ。会社で「俺はこの製品の専門家だ」といった自負が強くて、「俺に意見するな」という態度の人がいる。そうした人はプライドを守るために仕事を囲い込もうとするし、別の仕事を覚えようとしなかったり、配置転換や退職でプライドを担保していた仕事を取り上げられると心が折れてしまう。
 しかし例えば「この分野をより深く見たいという自分の姿勢そのもの」や「組織で最高のプレーをする自分の姿勢そのもの」といったより根本に近い箇所にプライドを持っていて基礎工事がしっかりしている人は、たとえ上部の建物がどうにかなったとしてもすぐに立て直せる。
 プライドの置き場所をどこまで掘り下げているかでこの堅牢さが変わってくる。建物にプライドを持っていてもいいけれど、基礎工事が大切だということだ。


 結局、本人が自分の手で掘り下げることでしか「もはやそうとしか思えない」という地点にまではたどり着けない。他人がこの基礎工事を肩代わりすることは原理的にできない。
 それだから、他人としてできることは、「建物を傷つけないこと」と「建物の材料を提供すること」になる。相手を見下したりけなしたりしてプライドを傷つけないことと、相手を誉めたりしてプライドを慰めることが手段になる。

建物を傷つけない1:ダメ出しをしない関係をつくる

 後出しのダメ出しは「お前はこんなこともわからないバカ」と言うのに等しい。相手の自尊心を傷つけ、やる気を削ぐ上にやり直しで時間を無駄にする。ダメ出しをしてしまうのは、

  1. 能力が仕事の水準に対して足りない(例えばはさみすら使えない幼児に包丁を渡して「にんじん切って」と頼む)
  2. (能力は十分でも)成果が要求からずれている(いちょう切りにしてほしくて「にんじん切って」と頼んだら乱切りで出てくる)

 1は仕事を適切なレベル(粒度)にして権限とセットで渡す。2は仕事の方針・目的・条件等を事前に伝える。きちんと機能すれば、プレーヤーは「こういう理由でこうしたいがいいか?」と聞いてきてマネージャーは「OK」と言うだけの関係になる。プレーヤーとしては自己決定権を持てるため自尊心を最もよく確保できる。理想論のように見えても、ここを目指すと思ってやる。マネージャー側にとっては、後出しのダメ出しの方が頭を使わなくていいから楽だが、プレーヤーの意欲を殺さないためにはやるほかない。
 なお最悪なケースは、「自分で考えてそうした」という言い方をプレーヤーに強制しながら、マネージャーがダメ出しを常態化することで、プレーヤーは奴隷のような気分で働くことになる。

建物を傷つけない2:説教を説教にしない

 一方的に相手の難点を指摘・非難するのが説教で、「あなたを見下している」というメッセージそのものになる。相手の自尊心を傷つけて(もうどうでもいい)と思わせるか(殺す)と思わせるかのどちらかになる。
 説教は以下のようなプロセスで起こる。アドバイスをすると、相手の自尊心を少し傷つける。むっとした相手が黙る。黙るから伝わっているのか不安になってさらに忠告を重ねる。相手はますますむっとして黙り込んで、ますます言葉を重ねたり非難して、説教の構造が成立する。
 説教の構造を回避する技術が、される側とする側の双方にある。される側は黙らずに、「僕もそこがどうしていいかわからなかった所なんです」とか「こうすればいいわけですね」とか次々に言うことで、相手に伝わっていないのではないかと不安にさせない。する側は「助言を与える」という形で入らないよう、「最近課題だと思ってることない?」など相手に喋らせる形を保ち続ける。特に「あなたの課題は何?」と聞くより「あなたが思う周りや組織の改善点は何?」と聞く方が相手の自尊心をより傷つけないため喋ってもらいやすい。
 そもそも「アドバイス」自体が、相手の自尊心を傷つけることだと理解する必要がある。本人が本人の最大の専門家で理解者だ、という意識で接する必要がある。

建物を傷つけない3:相手にとってわかりやすい人間でいる

 (なんだこいつ?)と思う相手が近くにいると不安になる。「こいつがおかしい。自分はおかしくない」と自尊心を安定化させるために攻撃的・敵対的になる。だから相手にとって理解可能な人間であるようにする。例えば質問するときは事情や目的も伝えるとか、無意味にうろうろしないとか、相手から見てわかりやすい人間であるようにする。そのうち「我々と価値観が一致している=コミュニティのメンバーだ」という実績が積み上がって、「こいつがそうするのは何か理由があるんだろう」という信用のおかげで動くのが楽になってくる。
 特に新人は組織にとって未知の人間なのでこの点をしっかりやる。

建物の材料を提供する:褒める

 褒めることは、ダイレクトに相手の自尊心を肯定する。驚くほどうれしくなって意欲もみなぎってくる。みんな自分のことを褒めてほしいといつだって思っている。
 ただし褒めるポイントに注意する。コンプレックスの部分を褒めると、「私はここが私自身の弱点だと思っている」という相手の認識の否定となるため逆効果になる。自己評価の高いポイントを褒めて肯定されることが最もうれしく、本人がいいとも悪いとも思っていないポイントを褒めて長所を発見できるのが次にうれしい。
 嘘で褒めるとバレる。本人が本人の最大の専門家なのでおべっかはすぐに見抜かれる。本気で「この人のここが素晴らしい」と思うポイントを理由含めて伝える必要がある。そのため結局、常日頃から「いいとこ見つけ運動」をすることになる。
 例えばスマホゲームを誰に頼まれもせずにやり続けられるのは、適切に褒めてくれるからだ。しっかりしたルールの中で、少しチャレンジングな課題に取り組んで、上手く行った時はスコアといった数値で正確に評価して褒めてくれる。その形さえしっかりしていれば、たとえ内容自体はまるで無意味な作業であっても人は喜んでやれる。それだけみんないつだって褒めてほしいということだ。

慣習の弊害例1:上下関係に頼らない

 先輩だから、年上だからで妥協したり尊重したりして相手の自尊心を慰めるという一般的な方法・慣習がある。度が過ぎると弊害が起こる。「先輩に従え」で納得のいく説明を怠る。「先輩に申し訳ない」で仕事のパスを出さない。試合だと思えばわかりやすいかもしれない。試合中なら「先輩だから」というのは理由として機能せず、得点することだけを考えることになる。試合中かオフかという意識が仕事でも必要になる。(協議と違って明確な線引きがないせいで混同しがちになる。)
 なお体育会的な上下関係に不馴れな人が急に後輩を持つと、気持ちよくさせられて「自分は偉い」と勘違いし、その関係性に依存して振る舞いが雑になる。特に気を付ける必要がある。

慣習の弊害例2:意図の先読みに頼らない

 日本社会は特に、相手の意図を汲み取る技術に優れているため、先回りして動きがちだ。(コミュニケーションを成立させるときに「自分が一生懸命説明する」か「相手が一生懸命理解しようとする」かどちらかの方法があって、日本社会では後者の受信者側負担の傾向にある。それで表現が下手と言われたり、物事をはっきり言うのは失礼といった価値観があったり、作者の意図を読み取る国語教育がウェイトを占めていたりする。)
 上司や別部署の担当者の意図を先読みして動くし、その「おもてなし」ができる方が優秀とされているが、無駄な仕事を生みやすい。またいつまでも自分で意図を明確にしようとせずに相手が汲み取ってくれるのを期待しているせいで、表現の技術も向上しないし、意思決定が遅い。そうした弊害を減らすために、意識して受信者側負担に偏り過ぎないようにする。

その他、他人の自尊心を傷つけない/肯定することあれこれ
  • 興味を持つ:相手の仕事や話に興味を持つ。軽く質問を入れるだけで「あなたに興味がある」というメッセージになる。結局みんな「私を好きな人が、私が好きな人」なのだ。
  • にっこりする:「私は許されている」と安心できる。むすっとした顔だと「なんだこいつ」と意地になる。知り合いに知らんぷりされたりすると不安になる。相手を不安にさせない。
  • ポジティブ風に見せる:文句や言い訳は「文句言わずにやってる相手」の否定になりかねない。(食べてる相手に向かって「私それ好きじゃないのよね〜」と言うのに似てる。)やる気ある風、より良くしたい風の言動にする。
  • 順接の接続詞を使う:接続詞だけで文全体の逆・順(肯定・否定)のイメージが作られる。続く内容が明らかに相手の否定でも、「しかし」「いえ」ではなく「確かに」「そうですね」から入るだけで否定の印象をかなり和らげられる。
  • 相手に言わせる:答えまで一歩手前のところまで揃えて相手に「どうしたらいいでしょうか」と答えを言わせる。どれだけ形式的でも押し付けられた答えより自分で出した答えの方が、自尊心を傷つけられずにはるかに受け入れやすい。
  • 世間話や雑談をする:たとえ天気の感想ひとつでも「この人は価値観を自分と共有している」という安心感を与えられる。「相手にとって了解可能であること」の手段のひとつ。
  • 結論に至る道を見せる:「とにかくやれ」と指示して見下さない。結論に至るプロセスも伝えれば心底納得して動ける。誰だって「自分の主人は自分」だと思っていたい。
  • 上手に他人を無害化する:例えば嘘をつく人は裏取りで仕事が倍に増えたり組織にとって困るし、能力が足りないけれど意欲がすごい人も困る。やむを得ず誰かを影響の少ない仕事に追い込む際は、ここまで挙げた手段も使って「いかに意義深い仕事で、あなたがやってくれるとみんなが助かるか」という理屈を作って相手の自尊心を尊重しながら進める。


 これらの「他人の感情」に対する技術を、「そういう柄じゃないから」、「仕事ができればそれでいいから」といって避けている人もいる。しかしこれも組織で働く仕事のうちで、性格とは無関係にただの技術でしかないと割り切ってやった方が、最初は面倒くさいようでもかえって楽になる。



制約4:自分の感情

 自尊心は他人に限らずもちろん自分に対しても制約としてある。「制約3:他人の感情」に書いた自尊心に関する基礎認識そのものはここでも共通で、ここでは自分の自尊心を守るための技術の話になる。

自己決定権を確保する

 「自分の主人は、他の誰でもなくこの自分である」という実感によって自尊心が支えられる。自分が自分をコントロールできているという実感は強い幸福感を生む。
 「全ての仕事は自分が決めてそうしている」という形にできればいい。(究極的には嫌なら会社を辞められるのだから、今自分がやっている仕事は自分が選んでそうしたのだ、とも言える。現実的には生活がかかっているから、心理的に支配されているからといった理由で辞職が選択肢として機能していないとしても、形式的にはそう思うこともできる。)そのためには、あらゆる作業について「どうして自分はそうするのか?」という合理的な理由を立てる。そしてそもそもやらなくて済むか、本当に自分がそれをすべきなのか、より効率のいい方法はないか、と疑い直していく。これはつまり、「制約1:能力と時間」で展開した手段を用いるということになる。そうやって「やらされている」という感覚を減らして自尊心を保護する。


 意義のわからない作業をさせられるのはつらい。昔、囚人に穴を掘らせて、その穴をまた自分で埋めさせるという無意味な作業による拷問があったと聞く。「新人だから」という理由で、上司が飲んだ空き缶を捨てさせられるといった誰でもいいはずの作業を押し付けられたりすると、やる気が消滅する。なんとかして意義を見いだす。「現時点で他の仕事をこなす能力がない以上、自分がそうすることで全体最適になっている」と考えるとか。
 自分の能力と比べてあまりに簡単なルーチンワークをただ続けるばかりの日々だと、これもやる気がなくなる。何か改善してみるとか仕事を変えてみるとか働きかける必要がある。自尊心を保って意欲を維持するには、どうしても「自分がより良くなっている」か「自分が周りをより良くしている」という感覚を持てる状態にする必要がある。


 なお、「制約2:ルール」のところでは「全ての仕事は上司が決めたものだ」という認識が必要だと書いた。一見矛盾するようだが、この「自分で決めている」と「上司が決めている」の両方を同時に満たす必要がある。実感の面では「やらされている」という感覚をなくして自尊心を守るし、形式の面では「上司に指示されている」という形を成り立たせて身を守る。

居場所を見つける

 自分がこの組織で他者から認められていると信じられるようにする。ここが自分の居場所(のひとつ)だと思えるようにする。
 そこに失敗すると、その不安を埋めようと「俺は大切な仕事をしてるんだぞ!」というアピールが始まってひとり言おじさんが誕生する。「あー、やべー」みたいなことをことさら大きな声で言う人になる。
 もしくは、自分の仕事の重要性をことさら強調して、他人にもさも重要であるかのように求めることになる。実態を無視して些細なルール違反を言い立てるお局様的な感じになる。
 あるいは、「自分の能力を認めずに大切な仕事を渡さない上司や同僚が悪い」と被害意識を高めて攻撃的な態度や投げやりな態度をとり始めて、激おこおじさんになる。かなり周りがしんどくなる。
 ひとり言おじ/おばさん、激おこおじ/おばさん、お局様になってしまうと、周りが幸せでないだけでなく、不安に常時さいなまれている本人もつらい。


 それを避けるにはまず仕事を確保する。「制約1:能力と時間」では、一人が仕事を囲い込まずにチームで共有することがムラの解消(物の隙間を詰めること)のために重要だと書いている。一見、この話と矛盾するように見える。
 それは「作業をこなすこと」を仕事と見なすか「仕組みをつくること」を仕事と見なすかという視点の違いになっている。「仕組みをつくること」を仕事としてこなせて、そのことで自尊心が確保できるレベルにあれば「制約1:能力と時間」に書いた通り仕事を囲い込まないことが正しい。しかしその水準にまだ達していなければ、自尊心の確保のためにさしあたり仕事の囲い込みもやむを得ない。「自分はこの仕事の担当者だ」というプライドの持ち方をまずはする。チームリーダーならプレーヤーのレベルに応じてそうした形で「自分はちゃんと役に立っている」というプライドを一旦持たせて安心させた上で、仕組みづくりも仕事なのだという面を少しずつ知っていってもらう。


 囲い込みをしないまでも、社内で失業しないようにする。何もやることがないというのはつらい。新人が放置されて何をしていいかもわからず一日を過ごすという光景があったりもするが、「お前の存在は無意味だ」とバカにされているようで精神的なダメージが大きい。もしも暇になった場合に備えて、日頃から自分か周囲の改善点を探しておいて、いざ暇になったらそこに取りかかる。「自分がより良くなっている」か「自分が周りをより良くしている」という感覚が自尊心を支える。逆に新人を抱える先輩や指導員ならそうした「仕事」をきちんと用意しておく。


 それから気分転換できる場所を見つける。職場を自分の居場所のひとつにできていないならなおさら、できている場合でも他人の目に常時さらされるのはしんどい。営業職ならお外でちょっとサボるとか、作業場とか実験室とかに自分のスペースを確保するとか。オフィス勤務の人だと個室トイレくらいしかないのかもしれない……しかしそれでもどこか確保する。
 逆にそのデザインをできる立場の人はそこを配慮する。個人の机をパーティションで区切るとか、トイレ時間をとやかく言わないとか、自分のスペースを職場で確保することを咎めないとか。「こっそり鼻がほじれるレベル」をひとまず目指せば良い。

自分にできないわけないって思う

 「自分には無理」と思うと自尊心が傷ついてしまう。とりあえず「自分にはできる。しかし今は知識か技術が不十分でできないだけだ。小さく分解してワンステップずつクリアすればできないなんてことない」くらいに思っている方が楽だ。
 スケールの大きいことといきなり比較してみると気分が楽になる。「人類が重力波を検出してる時代だぞ」とか、「人類が吉田沙保里を倒した時代だぞ」とか、「オバマやゴーンより忙しいはずないだろ」とか思うと、こんなことくらいできないって方がおかしいじゃんってバカバカしくなる。
 とはいえ気の持ちようだけで完全に自分を信じさせるのは難しい。実際に上手くいった経験の積み重ねが必要になる。ちょっとチャレンジングだけど達成できる課題を順々にクリアして「そっか、自分はこれくらいできるじゃん」と自信を積み重ねていく。本人も「自分を信じ込ませる」という意識でそうした課題を設置してみるのがいいし、リーダーの立場にあればそのステップをメンバーに提供していかないといけない。



制約5:人間の生理

 人間は意識によって動作する機械ではない。動物の一種だ。それでもろもろの生理現象を伴っていて、パフォーマンスも影響を受けているという制約がある。風邪で熱があって弱っている時なんかに特に思い知らされる。
 これは組織の技術というより、人間一般にかかわる制約なのでどうしても確保しないといけない。生理学の専門家ではないけれど、ある程度「そうらしい」とわかっている点をメモしておく。

  • 排泄・食事・睡眠の決定権:この決定権が奪われると驚くほど呆気なく本人の主体性が奪われる。監禁事件や拘束施設ではここをまず奪うという。この辺の生理現象を自分自身が管理している、という感覚が、自信の全体を支える大黒柱になっているようだ。配属された新人はとにかくトイレとご飯の自由を確保するし、新人の指導員なら真っ先にそこを伝える。そこを奪うタイプの職種(夜勤がある運転手とか、排泄の制限がある食品工場とか)の場合は、まずそのせいで相手の主体性を奪っているという前提で他の部分をケアしたり、できるだけ制約を緩めたりする。
  • 睡眠時間:6時間以下が続くと判断能力が3割になるといった話もあるし、早死にするという話もある。睡眠時間の確保のために残業を減らすことが必要で、「制約1:能力と時間」で展開した手段が有効になる。
  • 趣味:終業後も仕事の気掛かりや不安をぐるぐる考え続けているとストレスが溜まる。完全に切り替えて一旦忘れられるくらいの、仕事とは別に真剣に考えたり取り組める何かを作っておく。残業がかさむと切り替えがうまくいかなくなるから減らす。
  • 筋力:筋力が落ちると意欲も一緒に落ちるようだ。筋力がある程度あると、動くこと自体が苦でなくなってくる。しばらくちょっと筋トレを続けてみると実感としてよくわかる。
  • 動作は感情に従属しない:やる気があるからやれるというより、やるからやる気が出てくる。怒っているから怒った顔をしているだけでなく、怒った顔をしているからますます怒る。行動は感情の結果という一方的な関係ではなく相互作用になっているという理解を持てば、とりあえず動くことでやる気を引き出すとか、無理やりにっこりすることで怒りを抑えるといった手段が見えてくる。
  • 全部投げ出すタイミング:睡眠が極度に削られたり、心理的な圧迫を継続的に受けていると、人間はあっけなく自主的に死んでしまう。逃げないといけないが、気づいたときには逃げる元気がなくなっている。「現状を自分の力で変える」という意欲そのものが奪われて逃げ道がなくなる。津波でも、波が見えてからでは遅い、海が引いたら逃げないといけない。しかし脅威そのものの姿ではなく、前兆を見た段階で行動するのは難しい。事前に「このレベルを切ったらもう止める」というラインを定量的に設定して、意思とは無関係に行動できるように決めておくくらいしかできない。



5つの制約の位置関係

 制約として「能力と時間」、「ルール」、「他人の感情」、「自分の感情」、「人間の生理」の5つをあげた。
 ある手段(技術)はひとつの制約から導かれているとは限らず、複数の制約を満たす形で成立するものもある。例えば「チームを組んで仕事のムラをなくす」という手段は、仕事の隙間を減らして上手に詰めるという点で「能力と時間」に対する手段になっているのと同時に、残業を減らして睡眠や余暇の時間を確保するという点で「人間の生理」に対する手段になっている。
 またある制約から導かれても、他の制約に抵触すればその手段は否定される。例えば「ルール」という制約を満たすために、ひたすら規則を盾に相手を責め上げるといった手段があったとしても、相手の自尊心を傷つけるという意味で「他人の感情」を、仕事が停滞するという意味で「能力と時間」を満たさないから、採用できない。
 しかし他の制約を満たさない場合でも採用される手段もある。仕事の囲い込みという「自分の感情」を満たすための手段は、仕事のムラを生じさせる点で「能力と時間」を満足しないはずだが、その人のレベルによっては「自分の感情」を優先させるために採用される。
 このように各制約は独立して手段を導いているわけではなく、なにかしら相対的な位置関係を内在させている。そう考えると、最初に示したこの図、

で、各制約が横並びでそれぞれ独立して技術が導かれているのは、この点を正確に反映しているとは言えない。ではどういう関係になっているのかということをはっきりさせてみる。


 まず「能力と時間」と「ルール」は実態と建前として対の関係にある。実態を重視すると建前がおろそかになり、建前を重視すると実態がおろそかになる。仕事を効率的にこなそうとして手順やホウレンソウがおろそかになったり、逆に手続きを重視し過ぎて仕事が遅くなる。このようにこの2つは対立しがちである。手段は、この両者を対立させずに止揚するような、両者を満たすようなものでなければならない。

 太陰大極図っぽいのを急に出してみたのは、対立する、しかし調和させる、というイメージ以上の意味はとくにない。


 「他人の感情」と「自分の感情」も似たような関係にある。例えば自分の自尊心を満たすために相手を見下すようなことをすれば、両者は対立する。しかし両者を同時に満たすような手段は構築できる。


 さらに階層の違いがある。「能力と時間」と「ルール」は組織としての制約になっている。人が複数集まって協働する、そのとき仕事をどうこなすかという話と、利害関係の調停や円滑化のための規則が存在するという話だ。「他人の感情」と「自分の感情」はそれより一段階より広い話で、組織に限らない話になっている。「人間の生理」はさらに一段階より広い話になっている。
 人間という生物があること→その人間に感情があり、それが自分以外に存在すること→それら人間が集まって協働すること、という段階でそれぞれの制約が対応している。そのため、どうしても制約間の対立を解消する手段が得られない場合は、より一般的な制約が優先される。「組織で働くこと」より「生物として生存すること」の方が優先されるというわけだ。

 この三段階の制約に照射されて手段がある。この手段には最初に書いた通り、基礎認識と、そこから出発して内的・外的にそれぞれレベルがある。
 しかし手段は、制約からのみ構築されるわけではない。そこには現実的な条件がある。組織規模の違い、部で100人以上いる大企業と20人程度の中小企業とでは当然採用される手段が違う。あるいは組織の性格の違い、体育会系の価値観ばりばりの職場とウェブ系IT技術者集団ではやはり採用される手段が自ずと異なる。個別具体的な現実から投射して手段は構築される。


 ついに変な図に到達した。組織のなかで働く技術の体系をこうしたイメージで捉えて整理することで、自己啓発書やビジネス書を読み漁ってやみくもに使おうとしたり、一度覚えたやり方を硬直的に使い続けたりせずに、自力で現実に合わせて妥当性のある手段をきちんと導けるのではないかと思っている。とにかくハッピーな気分で楽に働きたいと思ってるだけだよ。






 わざわざここまでしてるのは、僕自身が全然できてなかったからだ。15歳からバイトをいくつかやってたけどだめだめだった。言われたことをやればいいと思って、でも言われたことすらまともにできてなかった。人間関係も高専に入ってからまともに友人ができていなかった。あまりに苦しくて何とかしようと思って、地方から出てきて就職して「どうしてダメなのか」「こうした方がいいんじゃないか」と一つずつ変えていった結果ずいぶん楽になった。
 もし学生の頃から無意識に上手にできていれば、真剣に考える契機もなかった。でも僕の場合は全部意識して変えていくよりしょうがなかった(まだ途上だけど)。だから「これは技術だ」という言い方をしている。ある理屈があって成り立っているし、そこを押さえれば誰だってできるようなものでしかない。そうでなければ「あなたはできない人だからずっとできない」ということになってしまう。
 誰かがその「技術」を整理しておけば、他の人は同じだけの苦労はしなくて済むかもしれない。15歳から15年経ったことだし、一旦まとめておいてもいいかなと思って。