「あの人はとってもグルメなんですよ。」「山村さんはグルメですよね。」という日本語なのか英語なのか、訳の話分からん言葉がある。グルメという定義とはなんぞや?
私が考えるに、「その食べ物、食材を最高の状態で食しようとする人」なのであろう。要するに一食に対してどれだけ真剣に考えて食べているか?という事に繋がる。そう言う定義で、私はグルメである。
「明日、死ぬかもしれない。よって最後の食事と思って、一食一食、真剣に食べろ。」これは池波正太郎師の言葉であるし、小山薫堂さんは、ご自身の連載のタイトルを「一食入魂」と題してその心を表している。
例えば、納豆があるとする。別に高い納豆ではない。遺伝子組み換えをしていない小粒の3パック2〜300円のものでよい。これをパックから取り出して、タレとからしを入れ、適当に混ぜて食べる人。これはグルメとは呼ばないのであろう。納豆をまず、100回混ぜて、タレを入れ、また100回混ぜる。からしを入れてまた混ぜる、しょうゆをたらしてまた混ぜる。刻みねぎを入れてまた混ぜる。ごま油を少したらして、また混ぜる。そしてご飯にかけて食する。これはなんと言っても最高に旨い!! こうやって同じものでも、それを美味しく食べるために時間も労も惜しまない。これがグルメな人なのであろう。
インスタントラーメンだって、色々な工夫でいくらでも美味しくする事ができる。少しのだしパックやねぎ、卵、ねぎ油、最高の胡椒があって、少し炊き方や食べ方にこだわれば、同じ100円のインスタントラーメンをその辺のラーメン屋にも負けないラーメンに変身させる事が出来るのである。
残りの人生が後、30年だとしたら三食食べて、30000回程度。夕食は10000回しかないのだ。たった一万回しか人生で食べれないのである。
生きる為に食べているのであるから、口に入れば何でもいいんだ。これも生き方であろう。しかしながら、せっかく、鋭く感じられる味覚という感覚を持って生まれ、食べ物を選択する事が出来る豊な国に運よく生まれて来たのであるからそれを愉しんでもいいんではないか? 時間だって皆限りがあるが、同じ80年の人生だって、人によって中身も深さも全然違うはずだ。食べるという事もそう言う事だと私は思っている。
それが出来たら、もう基本的にはグルメだ。そしてもう一つは美味しいものを知るという事であろう。味のレベルと言うのはいかに美味しいものを知っているかという事も片方である。これには少々、投資が必要である。まぐろだって、ししゃもだって、鮭だって、肉だって、本当に美味しいものとそうでないものと差は恐ろしいほど激しい。そして本当に美味しいものは全体のほんの1%程である。私もほとんどを知らないのであろう。であるから出来る限りそれを知りたい、一つでも多くその最高のものを食べたいと日々願っているのである。
食欲の「欲」は本能的なものと、そして生きていくために必要な「欲」なのであるが、その「欲」を愉しむもの。一食、一食を愉しむ。一口、一口を大事に美味しく頂く。楽しく、そして美味しく頂く事が、病気も防ぐ。どうせ食べるんですから。生きている限り。
さて今日は何を頂こうか?
P.S. エキサイトユーザーの皆様、弊社関係各位
お盆も終わろうとしておりますが、暑い日が続いております。体調を崩しやすい時期ですので、体調にご留意されます様御願い申し上げます。これからもエキサイトを宜しく御願い申し上げます。
山村幸広
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