森下洋子、叙勲は「恥ずかしい」…バレエ歴70年を超えても踊り続ける理由
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2024年の締めくくりに書きたいのは、森下洋子さん(76)のことです。秋の叙勲で旭日重光章を受けて新聞やテレビで晴れやかな笑顔を見た人は少なくないでしょう。もちろん、受章はゴールではありません。末永く踊り続ける決意を新たにする機会となったようで、12月は「くるみ割り人形」のヒロイン・クララ役を生き生きと踊り、20日の神奈川県民ホールの舞台に出演します。そこで、今回は森下洋子さんにスポットライトを当てます。
受章に合わせて東京・青山の松山バレエ団で記者会見が開かれました。出席したのは、新聞社やテレビ局の記者やカメラマンら25人。森下さんを初めて見る記者も多かったようで、舞踊歴70年を超える「奇跡のプリマ」に興味津々といった雰囲気でした。
原爆病院でエール 戦禍の子供たちに胸痛め
会見は森下さんのあいさつで始まりました。「お知らせをいただいた時、びっくりしました。とても恥ずかしくて本当に私でいいのかなと思いました」と謙虚に語った後は感謝の思いです。「この70年間、つらい思いをしたことがありません。それは多くの人たちが支えてくださったお陰です」。そして踊り続ける理由を語ります。被爆地・広島でバレエを始めたという原体験に由来する使命感があるのです。「祖母が原爆病院に入院した時、お見舞いに行くと、周りの患者さんから『洋子ちゃん、バレエ頑張るんだよ』って励まされました」。そして、非戦の願いで締めました。「毎日テレビで空爆を受けた子供たちを見て胸が痛くなります。戦争はやめてほしい。バレエを通して皆様に夢や希望、勇気をお届けするのが私たちの仕事です」
せきが出たらすぐ病院 一瞬一瞬を大切に
温かく力強い言葉が発せられるうちに会場の空気は和み、記者たちは活発に質問しました。まずは「どんな点が評価されたと思いますか」。すると「一番は長く続けていること。70歳以上になって現役プリマとして踊ることは世界でもないんですよ」と森下さん。その後は「長く続けること」にちなんだ質問が続きます。主な答えを紹介しましょう。一貫性が出るよう発言順は入れ替えました。
長く続けるために心がけていることは?「病気を絶対しないようにしています。例えば、せきが出ただけでも、すぐお医者さんに行って熱を出さないようにする。発熱すると1週間は休まないといけないので筋肉が落ちてしまいます」。そして常日頃から「一瞬一瞬を大切にしていきたい。踊りは一瞬で消えてしまう。二度と同じことは起こりませんから」。
海外で活躍した人、壁にぶつかった人も続けてほしい
後進にも長く続けることを推奨します。「私の若い頃では考えられないぐらい、日本の方が海外で活躍しています。それは素晴らしい。ただ、続けてほしい。すごく海外で頑張った人の消息が分からなくなって『どうしちゃったの?』と思うことがあります。そんな時はとても残念。活躍できたのだから自信を持って進んでほしい」「壁にぶつかっても絶対に道は切り開けます。悩まずにやっていくことが大切。続けてほしい。それが一番です。私は大変不器用な人間で、子供の頃は教室で先生が新しいステップを教えてくださると、その場で一人だけできなかった。でも、うちに帰って畳の上でゴロゴロと何回も何回もやっていくとできるようになるんですよ」
若い頃に聞こえなかった音が やめることは考えたことがない
長く続けるメリットとは?「例えば『白鳥の湖』第2幕の『グラン・アダージオ』。この作品の全幕は15歳の時から踊っていますから、もう何回踊ったことでしょう。ただ、若い頃はバイオリンの奇麗な音が聞こえませんでした。何百回も踊った後に『涙が出るほどすごい曲なんだ』と思えるようになりました。なぜ若い頃に気がつかなかったのかと思うことは多々あります」
今後の目標は? それは長く続けることでした。「一日の稽古が終わると、明日レッスンとリハーサルが出来るように体を整えて寝る。明日ちゃんとできるように。この積み重ねです」「舞台を降りることとかやめることは、一切考えたことがありません。明日のレッスンとリハーサルを大切にしていきたい」
「恥ずかしい」と思った理由
最後の質問は、冒頭で受章を「恥ずかしい」と語った理由を問うものでした。「『まだまだだな、叙勲させていただいていいのかな』って思うので、何か恥ずかしい。完成することは絶対ありません。まだ足りない。もっともっとやらないといけませんよという意味で選んでくださったのではないかと思います。これを励みにして1年1組の気持ちで進んでいきたいです」
つまり、長く続ける大きな理由は、自身の「芸」を向上させ続けるためなのです。森下さんは76歳。加齢につれて体力は落ちますから、そう考えて実践することは並大抵のことではありません。
気迫の「くるみ割り人形」
しかし、12月8日に東京文化会館で上演された松山バレエ団の「くるみ割り人形」からは、すさまじい気迫を感じました。
簡単に物語をおさらいしておきます。森下さん演じる少女クララはクリスマスパーティーで、ドロッセルマイヤーおじさんから不格好なくるみ割り人形を贈られます。クララは人形を抱いて眠りにつくと、不思議な夢の世界に。そこで、ネズミの大群に襲われますが、人形と力を合わせて撃退します。すると、魔法が解けて人形は元の美しい王子の姿に戻り、彼女を雪の国やお菓子の国に案内します。
森下さんの夫である清水哲太郎さんが演出した版は独特で、毎年何らかの変更が加えられます。特に東日本大震災後に大きく改訂されました。パーティーに集う人も被災したとして、彼らが犠牲者に似せた人形をクララ家に持ち寄って再生を祈るという設定にしました。以来、舞台上には、人形をびっしり
自然体の「グラン・パ・ド・ドゥ」
森下さんの充実を感じたのは2幕の見せ場「グラン・パ・ド・ドゥ」でした。ゆるやかに奏でられる音楽に溶け込んで、ふわりと回転する姿は優雅そのもの。王子役の大谷真郷さんに支えられて腕と脚、身体で端正な模様を紡ぎ出します。また、担ぎ上げられて手を繊細に動かすと空間に花が咲いたようでした。
続く「金平糖の精のバリエーション」は、チェレスタという楽器の光の粒のような音の一つ一つを丁寧に繊細に視覚化している印象です。後半、舞台上を移動しながら踊る部分では、派手な跳躍や回転をしません。立ち止まって伸びやかなポーズを決める度に身体から妙なる音楽が流れ出しているようでした。虚飾をそぎ落として力を抜き自然体で音楽に身体を合わせるだけで、これほど美しい踊りができるのです。
決して諦めない 子供たちを守る決意
大詰めには大きな感動が待っていました。帰途につくドロッセルマイヤーおじさんをクララが見送るのですが、今回は引き留め方が激しかった。泣きながらしがみつくだけでなく、動き始めたそりを止めようとまでしたのです。その時、感じたのは森下さんの決意です。これから何が起きても決して諦めずに踊り続けようという強い思いが読み取れました。