選挙イヤーの終わりに考えた「トップの引き際」…バイデン氏、岸田文雄氏の事例から

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編集委員 伊藤俊行

 権力者が世の中を動かすのは、権力を行使している時に限らない。

 権力の手放し方、タイミングによっても、その後の世の中は大きく変わる。

 多くの国で重要な選挙が行われた「選挙イヤー」の2024年は、トップの「引き際」が政治、社会に与えた影響の大きさが目立った1年でもあった。

 失政の有無を問わず、社会の不満は現政権に向かいやすい。

 より小さな選挙戦術のレベルで振り返ると、権力を持った政治家が引き際の判断を間違ったことで、政治の混乱が増幅されたり、現政権に対するフェアな評価が妨げられたりして、それが対抗勢力に有利に作用する展開もあった。

 米大統領選では、現職の引き際の悪さが、国際社会から不安視されていた前大統領の返り咲きを許したという批判が噴き出した。

 日本では、組織を守るという理屈で政権を投げ出した前首相の引き際を礼賛した与党が、総選挙で大敗を喫した。

 韓国では春の総選挙の結果、国会では野党が多数を握る「ねじれ」状態となり、政権運営に行き詰まった 尹錫悦(ユンソンニョル) 大統領が1980年代の民主化以降は「禁じ手」になっていた戒厳令(非常戒厳宣言)を発動して失敗、弾劾に直面することになった。

 役職、地位だけでなく、自らの主張を撤回、修正するという意味での“引き際”を含めると、2年半以上が経過したウクライナ戦争でも、「偉大なロシアの復活」に対するウラジーミル・プーチン大統領のこだわりや、クリミアを含めたウクライナの全領土の奪還を目指すウォロディミル・ゼレンスキー大統領の方針の行方が、停戦交渉の実現を左右すると言われている。

 選ばれなかった選択肢や、選ばれる可能性の低い近未来の選択肢に「正解」が存在する場合もある。それを考えることは、無益ではないだろう。

 米国と日本の事例に絞って、権力者の引き際のあり方を探ってみる。

バイデン米大統領の間違い

大統領選からの撤退を表明した後、ホワイトハウスの執務室から国民に向けて演説するバイデン大統領(7月24日)=ロイター
大統領選からの撤退を表明した後、ホワイトハウスの執務室から国民に向けて演説するバイデン大統領(7月24日)=ロイター

 2024年米大統領選では、「トランプ現象」の再燃と、ジョー・バイデン大統領の引き際の悪さが、勝敗に大きな影響を与えた。

 「トランプ現象」は、複数の犯罪容疑で訴追を受け、かつ、4年の在職実績を通じて「ワシントンのアウトサイダー」としての鮮度が落ちていたはずの共和党のドナルド・トランプ候補(次期大統領)に依然、熱烈な支持が集まっていたことを指す。

 その検証で参考になるのは、第1次トランプ政権(17年1月~21年1月)の時に駐米大使を務めた杉山晋輔氏が24年秋に上梓した『日本外交の常識』(信山社)の中で示された分析だ。

 民主党候補がバイデン大統領からカマラ・ハリス副大統領に差し替えられ、トランプ候補が遊説中に銃撃された事件なども踏まえ、杉山氏は「トランプ現象」を次のように読み解く。

 <「トランプ現象」の本質は、“トランプ”という個人が原因となって引き起こされた現象というよりは、アメリカにおける10年単位での大きな変化の流れの中で結果として現れた現象ではないかと見える。つまり、これは原因ではなく、結果でしかない、ということである。(中略)「トランプ現象」は一過性の、特別な個人に起因するものというよりは、アメリカの大きな歴史の流れのうねりの中で、ある意味で必然的に出現した現象ではないか、という見方である。その根底には、2040年代終わりまでにはアメリカの全人口における白人の人口が半分を切るという大きな変化がある。所得格差の拡大もあろう。人口動態を含めたアメリカの大きな変化の流れ。これが結果として“トランプ”を産んだとみるほうが正しくはないか>

 同著は、敗戦から独立にいたる単独講和と全面講和の違いから、日米同盟、ロシア、中国、台湾、朝鮮半島、中東まで、日本外交を考えるうえで欠かせない“基礎知識”を、国際法畑の長い杉山氏ならではの視点で解説している。

 杉山氏が24年大統領選についてほぼ一貫して、トランプ氏の勝利を「予言」してきたのも、米国社会に対する深い洞察があったからだ。

 それでも、米民主党の元高官は、「バイデン大統領が2期目を目指さなければ、展開は違っていたはずだ」と強調する。

 バイデン大統領が引き際を間違えなければ、社会の10年単位での変化があったとしても、ただちにトランプ氏の「圧勝」として反映されることはなかったという見方だ。

 総得票数でもハリス氏を上回り、獲得した選挙人の数も312対226と大きな差をつけたトランプ氏の「圧勝」という表現に誤りはないとしても、総得票数の比率はトランプ氏49.9%と過半数に届かず、ハリス氏は「激戦州」で全敗したものの19州で勝利を収め、得票率も48.4%と1.5ポイント差まで迫っていた。

 トランプ氏の勝利を「地滑り的」とするメディアもあったが、第2次世界大戦後の米大統領選で「地滑り」が起きたのは2度しかない。

 1度目は、1972年に共和党現職のリチャード・ニクソン大統領(当時)が全米50州と首都ワシントンDCのうち49州で選挙人を得たのに対し、民主党候補のジョージ・マクガバン上院議員(同)はマサチューセッツ州とDCの2勝で惨敗した例だ。

 1984年には共和党現職のロナルド・レーガン大統領(同)が49州で選挙人を総取りし、民主党候補のウォルター・モンデール前副大統領(同)は地元ミネソタ州とDCしか取れず、「地滑り」の2度目の例となった。

 今回のトランプ氏とハリス副大統領の戦いは、事前の予想ほどではなかったにせよ、きわどい接戦だったことは間違いない。

 だからこそ、バイデン大統領がもっと早く勇退を表明し、民主党候補に十分な準備時間があれば、「トランプ現象」の効果を打ち消せたはずだとの「反省」が、民主党内では根強い。

 では、なぜ、バイデン大統領は引き際を誤ったのか。

権力がもたらす過信、虚栄心

民主党の集会で演説するハリス副大統領(右)と、それを見守るバイデン大統領
民主党の集会で演説するハリス副大統領(右)と、それを見守るバイデン大統領

 2021年1月の就任時に78歳だったバイデン大統領は当初、「つなぎ役」を自任していて、「2期目はない」というのが民主党内の暗黙の了解だった。

 ところが22年の中間選挙で、予想に反して民主党が好成績を収めたことで自信を深めたバイデン大統領は、2期目に挑む考えに傾く。

 絶大な権力を持つ大統領が「続投したい」と言えば、周囲が降ろすのは容易ではない。

 民主党内で急進左派と中道派の溝が深まる中で、共和党の大統領候補がトランプ氏になる流れができるにつれ、「トランプ氏に勝てる候補は、急進左派ではなく、穏健中道派のバイデン大統領しかいない」といった20年大統領選の時と同じ期待感が広がった。

 もっとも、バイデン大統領の高齢に対する不安が消えたわけではなく、既に予備選が始まっていた24年2月の段階でも、自主的な勇退宣言を待望する声は少なくなかった。

 当時、ささやかれていたのが、11月の投開票日直前に選挙結果を左右するような予期せぬ出来事を表す「オクトーバー(10月)サプライズ」という表現にちなんだ「マーチ(3月)サプライズ」だ。

 これには前例があって、各党の予備選が既に始まった3月になってから、現職大統領が勇退を表明する事態が1968年に起きている。

 ベトナム戦争の対応に苦しんでいた民主党のリンドン・ジョンソン大統領(当時)が最初の予備選で苦戦を強いられ、3月に有力な対抗馬として人気のあったロバート・ケネディ上院議員(同)が出馬するに至り、再選断念を表明した事例である。

 ケネディ候補が6月に暗殺される悲劇がなければ、本選で共和党のリチャード・ニクソン候補は勝てなかったとも言われる。

 予備選が佳境を迎える前にバイデン大統領が勇退を表明し、新顔が登場すれば、相手がトランプ氏でも十分に勝機はあるという楽観論には、それなりの根拠と歴史があった。

 結果としてバイデン大統領が勇退を表明したのは、大統領候補を正式決定する民主党大会の直前、2024年7月だった。

 恒例の大統領候補によるテレビ討論でのバイデン大統領のパフォーマンスが著しく悪かったことを受けてのことで、民主党支持者は候補差し替えを歓迎したものの、ゼロから新たな候補を選ぶ時間もなく、実績の点では不安視されていたハリス副大統領の擁立が、あっさりと決まった。

バイデン大統領の後を受け継ぎ、民主党の大統領候補となったハリス副大統領
バイデン大統領の後を受け継ぎ、民主党の大統領候補となったハリス副大統領

 何か月も続く予備選を通じて支持を浸透させる過程を経なかったハリス副大統領の準備不足は明らかで、世代交代や初の女性大統領誕生への期待感を11月の本選まで持続させられなかった。

 前出の民主党の元高官は、バイデン大統領が続投にこだわったのは、中間選挙の結果やトランプ氏の存在だけが理由ではなく、ジル・バイデン夫人の影響が大きかったと見る。

 元高官は「中間選挙が終わり、バイデン大統領が再選に意欲を示し始めた時、民主党内ではバイデン大統領を説得できるのはバイデン夫人しかいないと言われていた。しかし、彼女はバイデン大統領以上に、2期目のファースト・レディーを務めることを望んでいた」と振り返る。

 権力がもたらした過信や虚栄心が、世界を震撼させるトランプ氏の復活を許したとすれば、権力者の引き際の大切さを改めて思わずにいられない。

「米大統領を10年」の秘策

 2025年1月20日に第47代米大統領に就任するトランプ氏も、別の意味の“引き際”と直面する4年間が始まる。

 合衆国憲法によって、大統領は3期務めることができない。

 任期満了時には82歳になるトランプ氏が3期目を目指そうとするなら憲法改正が必要だが、そのハードルは高く、実現可能性は極めて低い。むしろ、注目されるのは引き際の方だ。

共和党の集会に姿を見せたトランプ前大統領(右)とJ・D・バンス上院議員
共和党の集会に姿を見せたトランプ前大統領(右)とJ・D・バンス上院議員

 今後4年間でトランプ氏が「政治的な引き際」を考える場面が訪れるとすれば、26年に起き得る二つの可能性がささやかれている。

 一つ目は、26年の中間選挙での勢力図の変化だ。

 24年11月の米連邦議会選挙の結果、議会は上下両院とも共和党が多数派を占めることになり、第2次トランプ政権は、ホワイトハウスと上下両院を共和党が「独占」する「トリプルレッド(赤=共和党のシンボルカラー)」になる。

 この「真っ赤なワシントン」が終わると見られているのが26年で、多くの識者が26年中間選挙で議会の多数派を民主党が占め、赤いホワイトハウスと青(民主党のシンボルカラー)の議会で「ねじれ」が起きると予想している。

 これは、現在の議席差、上院の改選議席に占める共和党の多さ、そして、過去の多くの中間選挙で、大統領与党とは異なる政党が議席を伸ばす傾向があったことを踏まえての分析で、「希望的観測」とは言えない。

 トランプ氏の肝いりの政策が議会の後押しも得て円滑に進むのは、中間選挙までの2年に限られる可能性が高い。

 議会の多数派を民主党が握った時、トランプ氏が自らの過激な政策の引き際を考えなければ、米国政治全体が停滞するだけでなく、国際社会にも影響を与えかねない。

 二つ目の可能性は、26年に80歳になるトランプ氏の「勇退」だ。

 理由はどうあれ、トランプ氏が任期途中で大統領職を退けば、J・D・バンス次期副大統領が昇格する。

 トランプ氏が就任2年未満で大統領職から離れた場合、昇格するバンス氏は大統領を1期務めたと見なされる。28年大統領選で当選しても、3選を禁じた憲法により、「バンス政権」は最長で33年1月までしか続かない。

 ところが、トランプ氏が在任2年を1日でも超えていた場合は、昇格した副大統領の在任期間は期数に算入されず、「バンス政権」は最長で約10年に及ぶことが可能になる。

 上院議員1期目で副大統領に転じる若いバンス氏の主張は、時にトランプ氏以上に過激だった。

 「トランプ氏の引き際によっては、米国第一主義のMAGA(Make America Great Again)勢力を引き継いだバンス氏の影響力が10年も続く」とする警戒感が就任前から広がっているのは、少々異様でもある。

岸田前首相の政局判断

自民党総裁選への不出馬を表明する岸田首相(8月14日)
自民党総裁選への不出馬を表明する岸田首相(8月14日)

 日本でも、権力者の引き際がしばしば、政局を左右してきた。

 直近では2024年10月27日投開票の衆院選で、自民、公明両与党が過半数を割り込んだ大敗の「遠因」として、岸田文雄前首相の引き際を挙げることができる。

 この総選挙に就任直後の自民党総裁として臨み、「政治とカネ」の問題への対応で二重、三重の判断ミスを犯したことが敗北の原因になったとする批判が絶えない石破茂首相に対しては、「結果責任をとって辞任すべきだ」という声まである。これは、必ずしもフェアだとは思えない。

 選挙における有権者の投票行動は大まかに「業績投票」と「期待投票」に分類できる。

 業績投票は、前回総選挙から今回の総選挙までの間の政党や政治家の実績を評価して投票するという意味で、この間、自民党の総裁は岸田氏であり、石破首相は就任の8日後に衆院を解散しているから、首相としての実績を判断するには材料が不十分だ。

 石破首相が自民党総裁選で主張したことを変え、国会で予算委員会の論戦も行わずに衆院を解散した判断に「変節」といった批判が集まったのは、石破首相の深謀遠慮が足りなかった結果であることは間違いない。これまでの政治姿勢、主張に共感していた有権者の「期待投票」にはマイナスに作用したからだ。

 それでも、この判断ミスを「業績投票」の材料とするには、あまりにも不十分で、今後の政策の方向との関係性も薄い。

 今回の総選挙での「業績投票」の評価で責めを最も負うべき政治家は、岸田氏である。

 そもそも岸田氏が、24年8月14日になって唐突に9月の総裁選への不出馬を表明した判断自体、適切だっただろうか。

 現在の自民党に対する批判の核心は「政治とカネ」の問題で、政治資金パーティーの収支を政治資金収支報告書に記載せず、多くのメディアから「裏金問題」というレッテルを貼られた事案は、主に自民党最大派閥だった清和政策研究会(旧安倍派)の手法に起因したものだ。

 岸田氏は23年秋の段階でこの問題についての報告を受け、東京地検特捜部も関心を持っていることを知りながら、実質的に放置していた。

 周囲からは衆院を解散して任期を「リセット」したうえで、「政治とカネ」の問題に向き合っていった方が、自民党の大幅な議席減少を避けられ、政治改革の主導権を握ることができるとの助言を受けたものの、腰が重かった。

 一連の経緯を振り返ると、自民党の組織防衛という観点からしても、岸田氏の政局判断が誤っていたことは隠しようがない。

 一方で、政権延命のために衆院議員の身分を奪う解散総選挙を繰り返す自民党の伝統的な手法が、政策推進力を弱め、不人気な課題の先送りにつながってきたことを考えれば、安易な衆院解散に慎重だった岸田氏の姿勢は、評価すべきことなのかもしれない。

安倍派の事務所に東京地検の捜索が入り、事務所が入るビルの前は騒然とした(2023年12月)
安倍派の事務所に東京地検の捜索が入り、事務所が入るビルの前は騒然とした(2023年12月)

 東京地検特捜部が23年暮れに清和政策研究会などの強制捜査に乗り出すと、岸田氏は「政治とカネ」の問題の温床は派閥にあるとの立場から、自らが会長を務めていた宏池会(旧岸田派)の解散を宣言するなど、派閥解消を進めた。

 また、衆院政治倫理審査会に自民党総裁として首相自身が臨むなど、前例のない思い切った対応をとった。

 自民党内では旧安倍派を中心に、「社員の不祥事の責任は社長がとるものだ」として、岸田氏の辞任を求める声もあったが、岸田氏は党改革を進めることで責任を果たす姿勢を明確にしていた。

 それならばなぜ、岸田氏は、総裁選不出馬を「政治とカネ」の問題でトップとして責任をとるためだと説明したのだろうか。

 説明の全てがうそだとは思わない。「責任をとる」という態度は、美しくもある。

 そうだとしても、岸田氏の説明は、それ以前の岸田氏の「政治とカネ」の問題への対応との整合性という意味では、疑問が多い。

 永田町では専ら、岸田氏の勇退表明の真の理由は、結果責任をとったのではなく、「政治とカネ」の問題が噴出する前から低迷していた内閣支持率がさらなる下降を続ける中、9月の総裁選で再選されても、その次の国政選挙で「岸田自民党」は勝てないと確信しての「敵前逃亡」だと考えられている。

「業績投票」がむなしい引き際

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