武略とは? わかりやすく解説

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ぶ‐りゃく【武略】

読み方:ぶりゃく

戦(いくさ)のかけひき軍事上の計略


武略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:10 UTC 版)

立花道雪」の記事における「武略」の解説

武勇誉れ高く、その噂を聞いた甲斐国武田信玄対面したいと希望したという逸話もある。「鎮西戸次道雪という者がいて、戦に秀れているということを噂に聞くが、一度戦ってみたいが互いに遠く離れているため、残念ながらその戦技競うことができない」(旧柳川藩儒者笠間益三)、「道樣へ武田信玄より名譽の御働を聞及ばれ御対面あり度しとの書状之あり、之は遍参僧持参なり」(『浅川聞書』)。また、信玄枕屏風に道家臣由布惟信と共に諸国勇士の名が記されてあった。 永禄元年1558年)、第一次門司城の戦い小早川隆景率い毛利軍戦った際、道将兵の中から弓が得意な兵を800人選抜した。そして毛利軍との戦いの際、毛利兵に雨霰と矢を射込ませたが、この際に矢に「参らせ戸次伯耆守」と朱記させていた。これを目にした毛利兵は次第恐怖感焦燥感募らせ毛利軍撤退追い込まれたという。 道孫子兵法の「奇正相生」を引用して家臣由布惟信小野鎮幸招いて曰く。「軍勢用いるには、先ず戦法定め勇武の勢と共に奇・正変化をさせるがよい。お前達両名替わる替わる奇・正の将となって自分補佐せよ。凡そ戦というものは正法以って引き分けとし、奇法を以って勝ちとする。それで、正法を行う者は江河のように渇れることがなく、奇法をよく行う者は天地にように無窮である。故に奇・正両法を用いる者は戦って勝たないという事が無い。それで、今日から両名には正・奇の戦法取って貰いたい今日惟信が正軍の将であるなら、鎮幸が奇軍の将となり、明日はそれを替えるという様にせよ。副将には、薦野増時米多比鎮久それぞれ当てよう」と、立花家の戦は常に奇襲正攻法連携して九州において常勝不敗伝わっている。こうして毛利軍との戦いで勝利を重ねたは、毛利家興亡焦点にしている軍記物である『陰徳太平記』で「道大友家に肩を比ぶる者なきのみか、隣国も亦類少き士大将にて、智謀尭捷兼達し、堅を砕き、利を破り奇正応変過ちなく」と賞賛されている。現代語にするなら「道いかなる状況でも的確な判断行ない臨機応変対処できる戦国屈指の名将だ」と褒め称えているのである。そして、戦歴大戦37回、小戦百余回、その中に軍事総指揮主君大友宗麟であった状況除いて、自ら総大将となった戦いはほぼ無敗戦績であり、軍神として誉めたたえられた。

※この「武略」の解説は、「立花道雪」の解説の一部です。
「武略」を含む「立花道雪」の記事については、「立花道雪」の概要を参照ください。

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