最新歴史学派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 21:32 UTC 版)
19世紀末、ドイツが工業大国へと発展を遂げるとともに帝国主義的な膨脹政策を推進するようになると、後進国としての地位を前提としてきた従来の歴史学派的「国民経済学」は、その学問的枠組みの見直しが必要とされるようになり、それを支えてきたシュモラー流の歴史的方法に対しても再検討が迫られることになった。ここで「最新歴史学派」(シュンペーターの表現)と称されるW・ゾンバルト、M・ヴェーバーらのより若い世代は、かつての方法論争を反省するとともに、オーストリア学派とドイツ歴史学派の統合、すなわち理論と歴史の統合を課題とした。特にヴェーバーは著書『ロッシャーとクニース』において経済学の倫理性を唱道する旧世代を批判し、社会科学における「理念型」と「価値自由」の方法論を新たに提起して価値判断論争を展開するとともに、オーストリア学派との共同事業として『社会経済学要綱』を刊行した。 最新歴史学派は第一次世界大戦前後の時期に全盛期を迎えるがその後は次第に影響力を失い、ゾンバルトなどナチスの経済政策に同調する潮流を生んだことから第2次世界大戦後には学派としてほぼ解体した。
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