東京都知事選に無所属での立候補を表明した「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の前会長、桜井誠氏(44)。ヘイトスピーチ問題をめぐり、当時の橋下徹大阪市長と激しいののしり合いに終わったその様子をテレビで見てあぜんとした人も多いかもしれない。在日韓国・朝鮮人に激しい非難を浴びせ、韓国からは差別主義者の権化と言われる一方、ネットを中心に熱狂的なファンがいる。7つの公約を掲げ、都内在住の外国人への生活保護費支給の廃止などを訴える。その素顔とは…。
――ご出身は?
「北九州市です」
――ごきょうだいは?
「弟が1人。大阪で転勤族をやっています」
――どのような家庭でしたか
「父は早くに亡くなって、母子家庭でした。その母親も私が東京に出てきたころには倒れていました。50歳代で亡くなりました。弟を大学にやろうと奨学金を私が働いて返していたわけだけれども…、別にそんなこと、売りにしているわけじゃないですからね。当たり前でしょうよ、そんなこと」
――どんな少年だったと思いますか
「普通ですよ。剣道教室に通っていましたね。勉強は好きな方で、国語と歴史が好きでした」
――歴史が好きというのは今に通じる感じですね
「中1のころに、教師がしょっちゅう休むんです。『なんで休むんだ?』と思っていると、日教組の活動のためだという。でも当時はそんなの日常茶飯事でしたから、おかしいことだなんて思いませんでした」
「というのはね、その先生、日教組の活動に熱心だったくせに授業は全く偏向していなかったんです。ヒトラーは生きているとかね、わけのわからないことを言う先生で、逆にそれで歴史に興味がわいた(笑)」
――すると今に至る思想の萌芽が見当たりませんね
「実体験でね。中学のころ、近くの朝鮮学校の生徒が悪さばかりしていたんですよ。で、うちの学校の不良が鉄パイプを持って乱闘していた。当時の不良はね、自分のところの生徒は徹底的に守っていましたからね。恐喝をされるので、やり返していた。でも、それも日常すぎて異常なことだとは分からなかったです」
――本なんかは読む生徒だったんですか
「ニーチェは読んだんですけどね。それと明治の偉人ですかね。当時は貧しいながらも皆、筋を通していたでしょう。今は筋が通らない。誰も一本、筋を通さないんですね」
――今に至る嫌韓活動のきっかけは何なんでしょう?
「2002年の日韓ワールドカップってあったでしょう。あの当時、翻訳掲示板があって、韓国語を日本語に訳して、日本語を韓国語に訳して討論できたんです」
――konkonというハンドルネームでやっていたって話ですね
「そうです、そうです。みんな知らなかっただけなんです。日本人はみんな韓国を応援していた。ところが韓国はテレビで『日本負けろ』と言っている姿が映っていた。しかもそんな風潮を国を挙げてやっている。それがおかしいと思ったんです」