この夏、都知事選があったことなぞ今となっては、遠い昔のような気がする。唯一、これからも人々の記憶に残るのは、小池百合子の都知事3選でも蓮舫の惨敗でもなく、「石丸現象」だろう。
石丸伸二という広島県安芸高田市の市長を務めたとはいえ、東京ではほぼ無名の新人が、X(旧ツイッター)やユーチューブなど、交流サイト(SNS)を駆使してあれよあれよと言う間に人気を集め、約170万票を集めて2位に食い込んだ。今度は地域政党をつくって来夏の都議選に殴り込むという。既成政党にとって脅威になるのは、間違いない。
幼児も「さいとうさ~ん」
「石丸現象」とそっくり同じ、いやそれ以上の現象が兵庫県で起きている。同県では、元幹部職員の告発文書をきっかけに、前知事・斎藤元彦のパワハラやおねだり疑惑が噴出、県議会は全会一致で不信任決議案を可決した。県政は大混乱し、斎藤は自動失職の道を選んだ。いま県知事選の真っ最中である。
「知事の資質がない」ことを理由に県議会からクビを宣告されたのだから、「普通なら恥ずかしくて出馬できない」(県議)はずが、前知事は立候補し、「たった一人」(本人)で選挙運動を始めた。
百聞は一見に如(し)かず。12日夜、加古川駅前で開かれた斎藤の街頭演説を見に行ってきた。開始の30分前に現地に着いたが、黒山の人だかりで、次から次へと人がやってくる。
若年層が比較的多く、学校帰りの中高生も結構いた。横断歩道橋にも鈴なりの人だかりができ、少なく見積もっても千人は集まっていた。
前知事が「ご迷惑をおかけしました」と、深々と頭を下げてから演説を始めようとすると、大きな拍手と「頑張って!」という声援が飛んだ。親に抱かれた幼児まで「さいとうさ~ん」と叫ぶ熱狂ぶりだった。
メディアの報道は正しいか
最初は、駅頭に立っても「兵庫県の恥」とヤジられ、石を投げられることもあったという。ここから彼の「ナラティブ(物語)」が始まる。
独り行脚を続けるうちに「パワハラやおねだり疑惑は、県庁守旧派が改革派の知事を潰すために捏造(ねつぞう)した」といった根拠不明の風説が、SNSを通じて拡散され、流れが変わり始めたのだ。斎藤も街頭演説で「メディアの報道は本当に正しかったのか」と語り掛け、聴衆から「そうだ!」の掛け声がかかるようになった。「メディアに攻撃されてもたった一人で旧態依然たる県庁組織や既成政党に立ち向かう男」という「物語」をつくり上げることに成功したのである。
対抗馬の前尼崎市長を応援している地方議員は、「おかしな風が吹きまくっとる」と嘆く。報道各社は世論調査をもとに前市長がリードしていると報じているが、「大接戦」と報じながらトランプの圧勝に終わった米大統領選の二の舞いにならないとも限らない。知事選では、自民党が特定候補の擁立を見送ったように、既成政党の影響力は、格段に落ちている。大政党は、もはや「物語」すらつくれなくなったのか。
17日投票の県知事選では、行き詰まっている日本政治そのものと、メディアもまた審判を受けていることを肝に銘じたい。=敬称略(コラムニスト)