今回は「タレイア・カルテット(Thaleia Quartet)」というまだ広くは知られてはいないかも知れない、弦楽四重奏団の演奏を聴いたので以下に記します。「Thaleia」の語源はギリア神話の「花の盛り」という名のゼウスの娘を指すらしいのですが、将にその名の通りの若い美女4人が登場しました。
【日時】2023.12.13.(水)19:00〜
【会場】四谷・紀尾井ホール
【出演】タレイア・クァルテット Thaleia Quartet(弦楽四重奏)
(起源・活動)
山田香子、日吉麻優子、渡部咲耶、石崎美雨の4人により、2014年東京藝術大学在学時に結成。ザルツブルク=モーツァルト国際室内楽コンクール2015第3位、第3回宗次ホール弦楽四重奏コンクール第2位受賞。
2016年度より、第2ヴァイオリンを大澤理菜子に変更し活動を続け、同年イギリスにて開催のLake District Summer Musicでイギリスデビュー。湖水地方各地にてリサイタルを開催し、好評を博す。
2017年、イギリスで開催されたチリンギリアン弦楽四重奏サマーコースに参加。宗次ホールにて百武由紀氏、藝大130周年事業「藝大茶会」で澤和樹氏、とやま室内楽フェスティバルで堤剛氏、第一生命ホールにてクァルテット・エクセルシオ、フィリアホールで山崎伸子氏と共演。日本演奏連盟主催「新進演奏家育成プロジェクトリサイタル・シリーズ」オーディションに合格し、東京文化会館小ホールにてリサイタル開催。第4回宗次ホール弦楽四重奏コンクール第1位受賞。公益財団法人松尾学術振興財団より第28、29、31、32回助成を受ける。
サントリーホール室内楽アカデミー第5期フェローメンバー。プロジェクトQ第15, 16, 17, 19章に参加。NHK音楽番組“らららクラシック”、“クラシックTV”に出演。東京藝大アートフェス2022においてゲスト審査員特別賞受賞。山崎伸子、磯村和英の各氏に師事。
現在、山田香子、二村裕美、渡部咲耶、石崎美雨の4人で活動中
【メンバー】
・山田香子(ヴァイオリン) Kako Yamada, 1st violin
〈Profile〉
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学を経て、同大学大学院修士課程を首席で卒業、大学院アカンサス音楽賞を受賞。国内コンクールにて多数受賞。14歳でウィーン国立音楽大学予科試験に合格。
静岡交響楽団、三島フィルハーモニー管弦楽団、沼津交響楽団、富士フィルハーモニー管弦楽団と共演。
大学内選抜により、藝大室内楽定期演奏会に出演の他、音楽大学フェスティバルオーケストラ演奏会、東京藝大チェンバーオーケストラ定期演奏会にて、コンサートミストレスを務める。
ヴァイオリンを、沼田園子、山崎貴子、澤 和樹、ジェラール・プーレ、故ペーター・コムローシュ、ピエール・アモイヤル、堀 正文、野口千代光、松原勝也の各氏に師事。
現在、洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団コンサートミストレスを務める他、オーケストラ演奏、後進の指導等、幅広く活動中。
・二村裕美(ヴァイオリン) Hiromi Futamura, 2nd violin
〈Profile〉
福岡県北九州市出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学卒業。北九州芸術祭、全日本学生音楽コンクール、西日本国際音楽コンクールなどのコンクールにて上位入賞。第15回北九州市の若い芸術家を育む会パドロニーニグランプリ。デザインKアンリミテッド国際音楽コンクール2014、全部門中グランプリ。第8回横浜国際音楽コンクール、アンサンブル部門第1位。
ヴァイオリンを吉田かつ子、西田 博、安冨 洋、澤 和樹、山崎貴子の各氏に師事。
現在、東京藝術大学指揮科教育研究助手をつとめながら、東京と福岡を拠点にフリーの演奏家として、ソロ、室内楽、オーケストラの客演演奏、レコーディングなど、ジャンルを問わず活動中。また後進の指導にもあたる。
・渡部咲耶(ヴィオラ)Sakuya Watabe,
viola
〈Profile〉
埼玉県出身。5歳よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科をヴァイオリン専攻で卒業後、東京藝術大学入学時にヴィオラに転向。大学卒業時に同声会賞、大学院修了時に大学院アカンサス音楽賞を受賞。国内外の音楽祭、講習会に多数参加。2016年東京芸術大学奏楽堂にてヘンシェル弦楽四重奏団とモーツァルトの弦楽五重奏曲を共演。これまでヴァイオリンを西川重三、小林すぎ野、久保良治の各氏に、ヴィオラを市坪俊彦氏に師事。
・石崎美雨(チェロ) Miu Ishizaki,
cello
〈Profile〉
神奈川県出身のチェリスト。8才よりチェロを始める。
第12回泉の森ジュニアチェロコンクール高校生以上の部銀賞。第68回全日本学生音楽コンクール東京大会本選 チェロ部門大学の部3位。第12回ビバホールチェロコンクール井上賞。
東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部卒業時に同声会賞受賞。山崎伸子、中田有、増本麻理、中木健二各氏に師事。現在はクラシック、ポップスなどをレパートリーとし、ソロや室内楽やオーケストラで積極的に演奏活動を行っている。
2018年より日本フィルハーモニー交響楽団団員。
【曲目】
①ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 op.95《セリオーソ》
Beethoven: String Quartet No. 11 in F minor op. 95 “Serioso”
(曲について)
作曲者自身による原題は "Quartetto serioso" であり、この『セリオーソ』の名は作曲者自身によって付けられたものである。
その名前の通り「真剣」な曲であり、作曲者のカンタービレ期特有の短く、集約された形式を持つ。しかし、歌謡的な要素は少なく、あくまでも純器楽的に音楽は進行する。音楽は短く、きわめて有機的に無駄を省いた構成をとるが、時に無意味ともいえる断片が挿入されたりして、それがかえって曲の真剣さを高めており、そこに他の要素を挿入したり、緊張感の弛緩する余地を与えない。
なお、ベートーヴェンはこの曲の後に、1825年に第12番(作品127)を作曲するまで約14年間、弦楽四重奏曲の作曲に着手する事はなかった。
②メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第1番変ホ長調 op.12
Mendelssohn: String Quartet No. 1 in E flat major op. 12
(曲について)
1829年に作曲された弦楽四重奏曲。ベルリンで書きはじめられて9月14日にロンドンで完成された。メンデルスゾーンは既に1823年に変ホ長調、そして1827年にイ短調の弦楽四重奏曲を書き上げていたが、結局本作品を初めて世に問う形となった(変ホ長調は遺作となり、イ短調は「第2番」として出版されている)。
曲はおそらく近所に住んでいたベルリンの天文学者の娘であるベティ・ピストール(Betty Pistor)に献呈されたと考えられている。演奏時間は約25分弱。
③シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D 810《死と乙女》
Schubert: String Quartet No. 14 in D minor D 810 “Der Tod und das Mädchen
(曲について)
この弦楽四重奏曲は前作『第13番 イ短調《ロザムンデ》』(作品29, D 804)とほぼ同時期に作曲されているが、この頃のシューベルトは苦境に立たされていた。というのも、前年の1823年には、当時不治の病といわれていた梅毒の症状が表れはじめ、それに起因して神経衰弱にもなってしまったために、同年5月には入院しなければならないほど(シューベルト研究をしている何人かの学者は、この時点で既に梅毒の第3期まで症状が進行していたのではないかと推測している)になっていた[1]。また、収入を得るために一連の作品を出版しようと、1821年にアントン・ディアベリと出版契約を結んだものの悲惨な結果に終わり、ほとんど金銭を受け取ることが出来なかったため、金銭面でも困窮した状態となっていた。さらに、オペラ作曲家として成功しようと、1814年に作曲された『悪魔の別荘』(D 84)以降何度もオペラを書いているが、そのどれもが失敗しており、この年にはその生涯で最後となったオペラ『フィエラブラス』(D 796)が作曲されたものの、初演の直前に劇場の幹部と対立したため中止されお蔵入りとなり、これも失敗に終わってしまった。
しかし、そんな苦境の中でも創作意欲が衰えることはなく、本作もまたそんな中で書かれたものであるが、すべての楽章が短調で書かれており、病魔に冒され死期を悟ったシューベルトの絶望的な心境が垣間見える。
1825年から1826年にかけての冬に第2楽章の手直しが行われた後、同年2月1日に宮廷歌手のヨーゼフ・バルト(Joseph Barth)が居住していたウィーンのアパートで非公式に演奏された[2]が、初演は生前には行われず、シューベルトの死から5年が経った1833年3月に、ヴァイオリニストのカール・モーザー(ドイツ語版)が率いる弦楽四重奏団によってベルリンで初演された。また、楽譜は1831年にウィーンで、フェラーク・ヨーゼフ・チェルニー(Verlag Josef Czerny)によって出版されている。
なお、自筆譜は現在、ニューヨーク・モルガン・ライブラリーに所蔵されている。
【演奏の模様】
①ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番 《セリオーソ》
全4楽章構成
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Allegro ma non tropo
第3楽章 Allegro assai vivache ma serioso
第4楽章 Largetto espresivo -Allegro agitato-Allegro
①-1 激しい調子の斉奏でスタートしたアンサンブル、前半の調べは1Vn.が主導となって他弦を牽引するかに思われましたが、三者共に今一つ溌溂とした処が見られません。後半に入っても何か波に乗り切れない様子でした。Vc.の影が薄い気がしました。
①-2ここでは、Vc.の下行音の進行で開始しました。バツハ的半音階のスローな動きの繰り返しが弱音で続き、その上部では、Vn. Va. が蠢き、Va.→2Vn.→Vc.→1Vn.とけだるい旋律をフガートするのでした。もうお嬢様方のおしとやか過ぎる発音で、眠気を催してしまった。 アッタカで次楽章に移行。
①-3冒頭から激しい調子で四者斉奏で力奏して開始です。次いでテーマを1Vn.→2Vn.→Va.の順に輪奏、後半に入り美しいゆるやかなメロディが流れるも束の間、前半の様な激しさに回帰しました。1楽章から四方とも、大分スイッチが入って来た様です。特に1Vn.の山田さんの牽引力が、アンサンブルに「serioso」らしさを引き出しつつありました。
①-4 緩やかだけれど重い憂鬱に溢れるしらべが流れ出しました。それが(1+2)Vn.先導で、激しく→静かに→強く→弱く とうねる様なアンサンブルが続き、山田さんの先導するテーマ奏は牽引力が十分だと思えた。後半の小刻みな速いアンサンブルは、次第にクレッシンドし、突然とも言える転調を経て終曲(コーダ)へと繋がるのでした。
この曲は、べートーヴェンが1810年代初頭に書いた中期カルテットの最後の弦楽四重奏曲で、その後14年もカルテット曲は書きませんでした。この曲以降べートーヴェンは、もっと重要なやり甲斐のある曲の制作に向かった節は無くて、この間、彼は、1810 年に「エグモント」を作った以降は、今日ではほとん顧みられない劇付随音楽の作曲や、バッハの「平均律クラヴィール曲集」のカルテットへの編曲や、また1811年のピアノ三重曲「大公」が最後の三重曲の完成版となり、1810年以降は僅かに1814年の「ピアノソナタ27番」や1816年の「同28番」、1818年の「29番ハンマークラヴィ-ル」を書くのに精を出したのでした。カルテットは嫌やになってしまったのでしょうか?若しこの11番が、上手く書けたとべートーヴェンが思ったならば、上記の様な分野の(こう言ってはなんですが)例外的なピアノソナタを除き、大部分の些末な作品達に気を取られないで引き続き次の弦楽四重奏曲を書き続けたに違いないと個人的には思うのです。
そう考えてこの曲を聴くと、部分、部分のべートーヴェンらしい素晴らしい箇所はいろいろあったとしても、全体的には、何か物足りなさ、つまらなさを感じてしまうのでした。今回のタレイアの演奏を、今年6月の「エリアス弦楽四重奏団」や昨年の「アトリウム弦楽四重奏団」の演奏を聴いた時の記憶と比較するつもりは、全く有りませんが、 タレイアの皆さんが、尻上がりに調子を上げて来た演奏を聴いた感想を例えれば、" 目出度さも中くらいなりおらが春" でしょうか。やはりべートーヴェンとしては、満足の行かない曲だったのかな?気になるところです。
でもこの頃(1810年頃)彼の耳の難聴はひどく進行していたと思われ、交響曲も1812年までに第8番までを完成させた後は、次の最終曲第9番を作曲するまで、12年を要した訳です。ピアノ協奏曲も1809年に「皇帝」を作ってからは、完成版はそこまででした(1815年の6番の試みは頓挫でした)。体調の不具合も影響しているに違いありません。
またそれ以外の要素としては死後発見された「不滅の恋人」のラヴレターが1812年頃という鑑定が出たそうですから、それも影響したのかも知れませんね。
(参考)
1.ヘ短調、4分の4拍子、ソナタ形式。ユニゾンで荒々しい主題が奏されると、第2主題は変ニ長調に転じ、3連符を元にした旋律がヴィオラに歌われるが、長く続かず、再び荒々しい打激に変わり、断片的な旋律と、それを打ち消すような無意味な音階進行によって、安らぐ暇を与えない。提示部の反復はなく、展開部も短く、再現部の後、コーダで盛り上がりをみせるが、楽章は静かに閉じられる。
.第1主題が変ト長調で反復されることや、変ニ長調に対するニ長調の激しい走句など、全体的にナポリの和音が多用されるが、これはベートーヴェンの多くの短調作品の特徴である。特に、その調的関係から月光と熱情の両ピアノソナタを連想させる。
2.ニ長調、4分の2拍子。
この楽章は、第1楽章の調性からは遠い調であるニ長調で書かれている。時計を刻むような無機質なチェロの進行に開始されるが、その後の第1ヴァイオリンに歌われ る旋律はまったく関連性がない。ヴィオラによって新しい主題が提示され、フガートとなり、展開される。途中に対旋律や反行形が加わり、さらにフーガ主題は冒頭主題の再現の中にも織り込まれる。楽章は減七の和音に終止し、第3楽章にそのままアタッカで繋がれる。
3.ヘ短調、4分の3拍子。スケルツォに相当し、2つのトリオを挟んだ5つの部分で構成される。発想標語に「セリオーソ(serioso)」と指示されている。減七の和音を多用した付点リズムによる労作的な主部と、コラール的なトリオからなる。
4.ヘ短調 - ヘ長調、4分の2拍子 - 8分の6拍子 - 2分の2拍子、ロンド形式。
冒頭は4分の2拍子による緩やかな短い序奏に始まる。その後に8分の6拍子による情熱的な主題が歌われ、ただならぬ雰囲気を漂わせる。しかし、突如コーダにおいて曲は2分の2拍子のアレグロとなり、調もヘ長調に転じ、諧謔的ともいえる音階進行とそれに対応するパッセージが奏され、明るく軽快に閉じられる。
②メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第1番
全4楽章構成
第1楽章Adagio non tropo allegro non taldant
第2楽章Cantzonetta : allegretto
第3楽章Andante ・espressivo
第4楽章Molto allegro e vivache
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は、この10月に「ひばり四重奏団」が第2番を演奏したのを聴きました。配布されたプログラムノートにもある様に、今回の1番の曲は、2番(1827年、18才時)より後の1829年に作曲されましたが、出版が1番の方が先になった様です。その時の第2番の演奏を聴いて、❝若かりしメンデルスゾーンの活きの良い情熱が伝わって来る❞ ❝四者のアンサンブルは、ずっしりと心に滲み入る❞ ❝フーガの技法を見につけていた❞ ❝静謐な厳かさまで感じる❞と書きました。
今回の1番の曲の演奏を聴いて、とてもいい曲だと思いました。それを感じさせる程のタレイアの皆さんの素晴らしい演奏でした。
ベートーヴェンの時よりも、皆さん体が熱(意)で、熱き血潮が滾る様になってきた感じ。特に第三楽章の1Vn.のソロ的演奏は、美しいもので印象に残りました。
(参考)
1.アダージョ・ノン・トロッポ - アレグロ・ノン・タルダンテ 4/4拍子 変ホ長調
ソナタ形式。17小節の穏やかな序奏がつく[3]。続いて第1主題を奏してアレグロの主部に入る(譜例1)。
譜例1
より穏やかな第2主題は変ロ長調に現れる(譜例2)。
譜例2
弱音で提示部を終えると、展開部は譜例1から始まる。展開部は両主題が扱われる充実したものである。再現部では両主題が変ホ長調で再現されて盛り上がりを築くが、その後いったん静まって主題を回顧する比較的長いコーダを経て、最後は弱音で楽章を終える。
三部形式。序奏なしにスタッカートが特徴的な主題が奏でられる(譜例3)。
譜例3
中間部はピウ・モッソ、ト長調に転じて16分音符による急速な楽想が繰り広げられる。その後ト短調へと戻って終結する。終了直前にあるピチカートのみで奏される部分は印象的である。
冒頭より優美な旋律が奏でられる(譜例4)。
譜例4
中盤に譜例4が再現されると第2ヴァイオリンの下降音型を契機に16分音符主体の流れるような楽想へと発展し、これが収まると譜例4の断片を出しつつ静まっていく。ピアニッシモで最後の和音を奏でるが、そのままアタッカで終楽章へと接続されている[3]。
4.モルト・アレグロ・エ・ヴィヴァーチェ 12/8拍子 ハ短調 - 変ホ長調
前楽章の静寂を打ち破る和音の強奏で開始する。猛烈な和音の連打の後、主題が提示される(譜例5)。
譜例5
メンデルスゾーンらしく急速かつ流麗な音楽が展開される。全楽器のユニゾンの後4/4拍子となって落ち着き、再度12/8拍子へと戻り譜例5が回帰する。以降急速な音楽となるが、再びユニゾンを境に4/4拍子となる。最後は変ホ長調に転じた上で譜例1が現れて全体の統一が印象付けられると、弱音で全曲の幕を閉じる。
《20分の休憩》
③シューベルト:弦楽四重奏曲第14番
全四楽章構成
第1楽章Allegro
第2楽章 Andante con moto
第3楽章 Scherzo:Allegro molto trio
第4楽章 Prest-prestisimo
配布されたプログラム・ノートにもある様に、この曲はシューベルトの死の4年前の1824年に完成しました。しかし初演は死の5年後1833年になってからでした。
シューベルトの(番号付き)弦楽四重奏曲は15有り、今回の曲は、最後の16番より二年前の作品でした。この辺の演奏になると、タレエアの演奏は、益々快調となり、四人の息使いまでもが荒々しく感じる程の熱の入り様でした。①のベートーヴェンの時は、力強さを感じなかったVc.を演奏した石崎さんは、この曲の特に第2楽章の後半では、旋律音楽家シューベルトのテーマをシックな低音で美しく謳い上げていました。
でも総じてこの曲全体にはシューベルトの気持ちの底にある遣る瀬無い激しさが何となく感じるのです。それは何か恋か?病気か?その他の怒り、例えば 家出同然で援助を受けられなかった父親に向けた怒りなのか?少なくとも音楽は対象外だったことは間違いないでしょう。だって音楽は彼にとっては干天の慈雨だったに違いないから。
(参考)
- ブルックナーを予告する3主題制が見受けられる(それぞれニ短調、ヘ長調、イ長調)。第13番『ロザムンデ』や『第15番 ト長調』(作品161, D 887)、および『弦楽五重奏曲 ハ長調』(作品163, D 956)の開始楽章とともに、シューベルトの室内楽ではもっとも規模が大きく、なおかつ最も重要な作例の一つである。
- 2.ト短調、2分の2拍子(アラ・ブレーヴェ)、変奏曲形式。
《アンコール演奏》
シベリウス『アンダンテ・ フェスティーヴォ』
先日、指揮者としてN響デヴューした湯川紘惠さんが、Sinfonia Zubrowkaという管弦楽団を指揮した時(2023.2.19.)のアンコール演奏でも聴きました。とても温かい流れを感じるいい曲ですね。