こんにちは。ライターの冨田ユウリです。
私が住む街「神楽坂」には、ある“シンボル”がいます。
読売新聞で連載中の四コマ漫画『コボちゃん』の銅像です。
主人公のコボちゃん、本名:田畑小穂(たばた・こぼ)は、小学3年生の男の子。
作者の植田まさし先生が神楽坂に住んでいる縁で、神楽坂6丁目の早稲田通り沿いには銅像が建っているんです。
そんなコボちゃん像、一般的な銅像との「違い」にみなさんお気づきでしょうか。
そうです。洋服を着ています。
この洋服、実は「お着替え」するんです。
今年の夏祭りにはハッピを着て、お祭りの雰囲気を盛り上げていました。
衣装をチェンジするという、なんともおしゃれなコボちゃん。
ですが、像は勝手に着替えませんよね。つまり、おしゃれにしてる「誰か」がいるはず。
……洋服を着替えさせているのは、一体誰なのでしょうか。
この疑問が頭に浮かんでから、私は寝れない日々を過ごすばかり。
近所の人、飲みの場で知り合った人、神楽坂でお店を営む人、街で見かけた人……誰に聞いても「知らない」というのです。
誰が、いつ、何のために着替えさせているのか。知るための方法は、一つしかありません。
2023年8月21日、私は張り込み調査を開始しました。
雨が降っても、決して現場を離れてはいけない
張り込みする場所はもちろん、コボちゃん像の前。夏の甲子園期間中だからでしょうか、野球のユニフォームを着ています。
時刻は9時。時間潰しに本をたくさん持ってきました。では、張り込みスタートです。
13時。コボちゃんはまだ着替えていません。
15時。コボちゃんはまだ着替えていません。
19時。まだです。
23時。まだ。
夜が明けて5時。まだ。
9時。24時間張り込みましたが、コボちゃんは着替えませんでした。
「あ、雨だ」
雨宿りに一旦帰宅しようと、家のドアを開けた瞬間。
「やってしまったかもしれない」
外は雨が降りしきっています。
最悪な状況が頭に浮かんで、私は走り出しました。
とにかく走り続けます。
ですが、現実は厳しいものです。
私は知っていたのです。雨が降るとコボちゃん像がレインコートを着ることを。
それなのに……それなのに……。
でも、レインコートは、晴れたら必要なくなります。
つまり、脱ぐ。
レインコートを脱がせに、きっと「その人」は現れます。
雨は止んだのでもう一度、待ち伏せすることにしましょう。
「コボちゃんを着替えさせている人を、ご存じですか?」
17時。レインコートを着たままです。
21時。レインコート着たまま。
0時。レインコートを着たまま。
「さすがに夜中に脱がせには来ないか。明日早起きしよう」
8時。張り込み現場へ到着した瞬間、目に飛び込んできたコボちゃん。
レインコートを脱いでいますね。
「もしかして私が張り込んでいることに気がついている……? 私の目を盗んで、着せたり、脱がせたり……?」
不審者だと思われていたら、悲しい。
気持ちを切り替えて、聞き込み調査へ。
「コボちゃん像を着替えさせている人を、ご存知ですか?」
〜コボちゃん像近くのお店で働くお姉さん〜
「私も注目しているんだけどね、お着替え現場は見たことなくて……。でも、近くに住んでる人だと思う。雨が降るとすぐにレインコートを着るの。たまにびしょ濡れのコボちゃんも見かけるけど、ものすごくスピーディーなのよ」
「ですよね。私もそのスピーディーさに負けました」
〜和食店を営む店主〜
「誰かはわからないんだけど、見かけたことはあるよ」
「なんと! さっそく、超有力な目撃情報! どんな人でしたか?」
「えっとね……たしか……」
「(いいぞ、思い出そうとしている……あまり特徴がない人だったのかな?)」
「赤い髪の人だった」
「おお、めっちゃ特徴的!!!」
〜お布団屋のお姉さん〜
「ああ、うちの孫が着てた服をたまに着てるわ」
「え!?」
「あのね、アンパンマンの服」
「お姉さん、お知り合いなんですか!? 赤髪の方ですか!?」
「そうそう。ウッドマンズケーキっていうね、お菓子屋さんをやっていたんだけど……。あ、電話がかかってきちゃった、ごめんなさい。またいらしてね」
「ウッドマンズケーキ」と検索すると、GoogleMap上に現れた赤いピン。
「ようやく会えちゃうぞ……ふっふっふっ……」
赤いピンの指し示す場所に向かってみると。
「(目に見えるのは、駐車場……)」
呆然としていると、お隣のチーズ屋さんのお姉さんと目が合いました。
「あの……お店……ウッドマンズケーキ……」
「もうだいぶ前に閉店しちゃいましたね。栗モナカが美味しいって評判でしたよ。店の前にはゴリラのぬいぐるみがあって」
「ゴリラ?」
「よくわからないけど、大きなゴリラがいて。かわいかったですよ」
灯台下暗し。持つべきものは、ご近所さんとチャーハン。
コボちゃんを見続け、聞き込み、彷徨い、疲れ果てたので調査は一旦終了。
「明日は何か美味しいものをたくさん食べよう」
エネルギー切れの私の頭に浮かんだのは、チャーハンと回鍋肉。
となると……
神楽坂にある中華料理の名店、「龍朋(りゅうほう)」にやってきました!!
こちらはいつもパワフルで元気をくれる、柳下恭平さん。神楽坂の書店「かもめブックス」の店主で、ご近所さんです。
「最近は冨田さん、何してるの」
「ああ、コボちゃんの張り込みです」
「相変わらずおかしな人だね」
「コボちゃん像、たまにお着替えしているじゃないですか。誰がやっているのか知りたくて」
「たしかに知らない……」
「ウッドマンズケーキってお菓子屋さんの方という説が有力なんですけど、もう閉店していて。どうやったら会えるのか……」
「ああ、私、知ってますよ」
「この声は……?」
「あ、結子さん。龍朋の女将さんのお嬢さんだよ」
「こんにちは。あの、お知り合いって……」
「ウッドマンズケーキさん、知り合いです。確認してみましょうか。わかったら連絡するね」
「柳下さん。こんなスピーディーに解決へと進むものなのですね。張り込み、聞き込みし続けていた記憶が、一気に走馬灯のように頭を駆け抜けています」
「あのさあ、君は体を張る前に、もう少し頭を使って……」
「うおおおおお、結子さんから、連絡が来ました!」
「なんて!?」
「ウッドマンズケーキさんの、連絡先をゲットしましたあああ!!!!」
「黙って一人で張り込み続けてなくて、よかったね」
「ラブ結子さん! ラブ龍朋! チャーハン! 回鍋肉!!」
結子さん、改めてありがとうございました!
コボちゃんは動かない、頭が大きい。これが意味することは?
ということで今日はついに、「その人」にインタビューしにやってきました。
ようやく訪れた、このチャンス。謎を解き明かせ! 私!
「はじめまして! やっと会えました!! 今日はどうぞよろしくお願いいたします」
左から私・冨田、神楽坂商店街振興組合・理事長の横倉さん、コボちゃん像を着替えさせている櫻井さん
「ちょっと状況がわからなくて。何を聞きたいのかも、よくわかっていないんだけど……」
「そうですよね。あれは夏の甲子園期間中のことでした。コボちゃんをずっと見てて、雨が降ってきて、そしたらレインコートが……」
「すごいね、櫻井さんをずっと探していたんだね」
「でも全然着替えないから、もしかしたら私のことを避けているのかも、と思っていたんです」
「そうだったのね。あなたを避けてはいなくて。ほら、あの頃暑かったでしょ。だから、なかなか外に出られなかったの」
「私の存在がコボちゃんのお着替えをストップさせていたわけではないのですね! よかった、夏の暑さが理由で。たしかにものすごく暑かったです!」
「暑かったでしょう、申し訳ないわね」
「いえ、今日こうしてお会いできたことが、何よりも嬉しいです。目撃情報も、本当に少なくて」
「話しかけられるのが恥ずかしくて、朝早くパッと着替えさせて逃げ帰っているから……」
「えええ。恥ずかしいにも関わらず、櫻井さんはどうしてコボちゃんの服を着替えさせているんですか」
「コボちゃん像が建ったのが……もう何年も前のことよね」
「そうですね、あれは2015年6月のこと。コボちゃんの作者・植田まさし先生が神楽坂に住んでいる縁から、『神楽坂のシンボル』として建てられたんです」
「そうそう。でね、像が建つっていうから見に行ったら、ちょっとびっくりしたのよ」
「思いの外、サイズが小さくてね」
「たしかに郵便ポストの隣にあるからか、小さく感じますね」
「ブロンズ色で小さいから、通り過ぎちゃう人も多くて……」
「それで、その年の9月にあったお祭りのときに、私の子どものお古だったハッピを着せてみたのよ。ちょっと目立たせてあげようと思って」
「植田先生にもちゃんと許可を取ってね。お祭りが終わって脱がせたら、『寂しい』っていう声が多かったんだよね」
「そう。ハッピを着せるつもりしかなかったのに、洋服も着せる流れになっちゃって(笑)」
「もともと洋服を着せるつもりはなかったんですね」
「そう。でも、そこから私も面白くなっちゃった。なんだか着せ替え人形みたいじゃない。季節に合わせていろんな洋服を着せるようになったの」
「洋服を選んで、着せて、楽しそうです!」
「でも、洋服を着せるのって結構難しいんだよね」
「え、そうなんですか」
「像は動かないんですよ、冨田さん」
「像は動かない」
「そう、しかもコボちゃんは頭が大きい。これが意味することは?」
「はっ!」
「上から被せるのも、下から履かせるのも難しい」
「(言われちゃった)」
「そう。洋服の前が開く、ロンパース型しか入らないのよ」
「なるほど」
「しかも人間と比べて、首は細すぎるし、足は短い。いいサイズ感の服を探すだけでも、ひと苦労だよね」
「そうそう。だから街の古着屋さんとかネットとか、良さそうなのを見つけて買ってくるのよ。ここに衣装があってね……」
「わあ! こんなにたくさん!!」
「これはいただいたものなんだけど」
「おおお! もしや、これはお布団屋さんのアンパンマンのお洋服!!!」
「知り合いなの?」
「実は聞き込み調査で……」
「お、これはハロウィンの衣装だね」
「そうそう、季節に合わせて。夏はハッピ、秋はハロウィンでしょ。で、お正月期間は“あれ”ね」
「“あれ”」
「そう、これこれ……」
「かわいい! 牛ですね! こっちはうさぎ、イノシシ……あ!!」
「干支だね」
「(また言われちゃった)あれ、干支だと十二種類あるはずですよね。ここには7着しかない」
「まだ干支を着せ始めてから一回りも経ってないからね。来年の辰年の衣装は、もう用意しましたよ。見つけるのが本当に大変だったわ……」
「おお! もう来年が楽しみです!」
「干支を着せてるときは、たすきも付けてるよね」
「たすきですか?」
「そうそう、これこれ」
「法政大学! 箱根駅伝ですね!」
「法政大学はご近所で、大学の人が作って持ってきてくれたのよ」
「へー! たすきを付けたコボちゃんも、きっとかわいいですね!」
「ほら、ホワイトボードに貼ってある写真も、たすき」
「交通安全のたすきは地元の牛込消防署からもらって、火の用心は消防署の人が特注で作ってくれたのよね」
「洋服だけじゃなくて、こういうグッズも身につけるんですね」
「コロナ期間はマスクも付けてたよね」
「へー! マスクはコボちゃん用に、小さいのを用意したんですか?」
「あれはね……私じゃないのよ」
「え……?」
「一体、誰が?」
「いやあ、わからないねえ……」
「えええ」
「他にもね、手袋をつけてくれていたり、ポケットにお菓子が入っていたり。私じゃないのよ、だれがやってるのかしらねえ」
「さらなるミステリーが……!」
「冨田さん、あんぱんと牛乳差し入れるから、頑張って」
「(横倉さん、私をまた張り込ませようとしている?)」
「そういえば、櫻井さんって俊足なんですか? 雨が降ってからレインコートを着るまでの時間が、あまりにも早くて」
「家がちょっと離れちゃったから、実はレインコートだけは像の近くに住んでいる方にお願いしてるの」
「そうだったんですか! それなら、着替えそのものもお願いできないんですか」
「洋服を着せるのには技術がいるからね……」
「でも私としてはね、後継者を見つけたいと思っているんです」
「着せ替えの後継者、ですか」
「櫻井さんが引退したら、今のところ担当してくれる人がいませんからね……。あ、冨田さんの家って広い?」
「え、もしかして」
「後継者にいいのではと思って」
「ちょっとだめよ、そんな気軽に言っちゃ」
「いや、私はやりたいですよ! でも、そりゃ簡単には認めてもらえないですよね。修行とかすれば、よいものですか……?」
「そうじゃなくてね。もともと私が好きで、おふざけで始めたわけでしょう。誰かの負担になるようなことはしたくないのよ。衣装を見つけるのも、着替えさせるのも意外と大変だから……」
「でももし、今の状況で櫻井さんが着せ替えできなくなってしまったら……」
「着せ替えする人はいませんね」
「そんな……!」
「とりあえず今日さ、着替えを教わってみたら?」
「お願いしたい……。いいですか、櫻井さん!!」
「教えるのは別にいいけど……」
「ありがとうございます!!!!」
後継者問題を解決できるか!? いざ念願の、お着替えへ!
「じゃ、さっそく行きましょうね」
「ありがとうございます、行きましょう! あれ? こんなところにゴリラ……」
「このゴリラって! 櫻井さん! もしかして」
「ウッドマンズケーキの外に、置いてあったやつだよ」
「(またまた先に言われちゃった……!)」
「そうそう、この子で5代目ね」
「え? 5代目?」
「外に置いていると、ボロボロになってくるから。代替わりしてきたの」
「そもそも初代を置いたきっかけは何だったんですか?」
「ウッドマンズケーキは神楽坂でお店を始める前、阿佐ヶ谷にあってね。阿佐ヶ谷時代にたまたま見つけてかわいい! と思って買ってきたわけ。でもこんなに大きいから、置き場所がなくて。で、店の外に置いたの。コックさんの服を着せてあげてね」
「コボちゃんの前に、ゴリラにも、服を着せていたのですね!!!」
「言われてみればそうね(笑)」
「人形に服を着せるのが、ずっと好きなんだね(笑)」
「それにしても櫻井さんは元気印だから、神楽坂のお店が閉店して引っ越しちゃったときは寂しかったな。今でも商店街の活動を手伝ってくれてるから、よく会えるけど」
「ウッドマンズケーキの栗モナカは、とても美味しいと噂に聞きました。食べたかったな……」
「主人ももう74歳だから、お店を続けるのは難しくてね……。さ、そろそろ準備ができたから行きましょうか」
「では私はここで。冨田さん、しっかり学んできてくださいね。後継者になるかもしれないんだから」
「はい! ありがとうございます!」
いよいよ、生着替えタイム!
「では櫻井さん、よろしくお願いいたします、ってもう着替えさせ始めてる! 早い!(そりゃなかなか目撃情報がないわけだ……)」
「さて、いきますよ」
「まずはこうやって被せるでしょ、それで、上のボタンを止める」
「おおおおお、早い! あっという間!!」
「この足のところのボタンがポイントでね、下から閉めるのよ……」
「あっという間!!!」
「ほら、できあがり」
「わ〜〜、ついに生着替えを見れて、感動しています。近くでよく見ると、コボちゃんの頭とか鼻とか、ブロンズが禿げてますね」
「みんな撫でてるからよね。毎日コボちゃん像を撫でるのが日課って人もいるのよ」
「わかります。張り込みしてたときも、朝から晩までたくさんの人がコボちゃん像の前で立ち止まって、触ったり、微笑みかけたり、挨拶したりしていて。みなさんのコボちゃん愛を感じました」
「コボちゃんに愛情を持つ神楽坂の人は多いかもしれないですね。私もその一人だし。コボちゃんを着替えさせるのは、自分が楽しいのはもちろんだけど、喜んでもらえるとやっぱり嬉しい。いつまで続けられるかはわからないけどね」
「後継者も出てくるといいですね」
「後継者が見つかったとしても、とりあえず干支が一回りするまでは頑張らなくちゃ。衣装を見つけるのは本当に大変なのよ。なるべく負担をかけたくないからね」
「よし。まずは私が辰年の次、へびの衣装を探してきます!!」
おわりに
散歩している人、通勤する人、買い物途中の人……。子どもから年配の方まで、張り込み中には、コボちゃん像の前で立ち止まる人々をたくさん目にしました。もしかして、散歩中の植田まさし先生? と思わしきことも。あれは本人だったのかしら、夢だったのかしら。
神楽坂で多くの方々に愛され続けるコボちゃんの、「衣装チェンジ」。櫻井さんがコボちゃんをどんな姿に変えるのか、これからも楽しみです。
そして私が、後継者として……と言いたいですが、覚悟がまだできていないのが正直なところ。櫻井さんの後を継ぐということは、神楽坂に骨を埋めることを意味します。生半可な気持ちで名乗り出てはいけない気がするのです。
もっとこの街のことを知って、そのときが来たら。神楽坂のみなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。