第1回生きづらさ感じ日本へ 天安門事件追悼に集う中国の若者たちの思いは
6月1日の夕方、東京・新宿駅南口前に100人ほどの人々が集まった。お面やマスクで顔を隠した人々がキャンドルライトを手に並ぶ。
1989年6月4日に起きた天安門事件から35年を迎えるのを前に、海外在住の中国人でつくる団体「民主中国陣線」や有志の若者らが行った追悼イベント「キャンドルナイト」だ。
日本での追悼行事はこれまで、中国を逃れた民主活動家らで開催されてきた。しかし近年、参加者の中に、新たに中国から日本に移り住んだ若者たちの姿が目立つようになった。
【連載】灯火(ともしび)はいま 天安門事件35年
天安門事件から35年。中国、香港では事件がタブーとなる中、日本で追悼集会に集う中国出身の若者たちがいます。彼らはどう事件と出会い、なぜ弔うのか。世代を超えて事件と向き合い、葛藤する姿を追います。
そうした若者たちは、中国の社会に対して複雑な思いを抱きながら過ごしてきた。
東京都内で暮らす凜さん(27、仮名)も、そんな一人だ。
「なに、これ?」
中学生だった凜さんが、自宅のパソコンで調べ物をしようとした時のことだ。あるサイトに掲載されていた写真に、目が釘付けになった。中国南部にある実家で両親と暮らしていた2010年ごろのことだ。
北京の天安門広場。一昔前のようだ。訪れたことはあったが、全く様子が違う。写真の中で若者たちがひしめきあい、「自由」や「民主」といったプラカードを掲げていた。
中国では市民が公共の場で政治的活動をすることに、当局が厳しい目を光らせる。首都のど真ん中で、多くの観光客が訪れる天安門広場でそんなことをすれば、すぐに当局に連行されるだろう。でも、写真の若者たちは臆する様子もなく活気にあふれ、希望を感じさせた。
だが、画面をスクロールして新たな写真を見ると、状況は一変し、若者たちは血を流して倒れていた。
その写真を説明する文章を読んだ。89年6月4日、北京で発生した天安門事件だという。
事件では、民主化を要求する学生たちに対して、中国共産党政権が6月3日夜から4日未明にかけて軍を投入して制圧し、多くの死傷者が出た。
そんな大事件を、凜さんは知らなかった。中国国内では事件はタブーとされ、凜さんは学校の歴史の授業で教わったこともなければ、中国内のネット上で関連の情報を見たこともなかった。
凜さんはその日、海外の情報にアクセスしようと、仮想プライベートネットワーク(VPN)をつないで中国のネット規制をくぐり抜けていた。そこで偶然表示されて知った、母国の負の歴史。「世界がひっくり返るような衝撃」を受けた。
母はこの事件を知っているのだろうか。「本当のことなの?」とたずねてみた。
「優しいお父さん」がなぜ…?
母は驚き、それから険しい表…