読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

差別は人を殺す

先日TLに流れてきたこの話は衝撃だった。

投稿者の友人のトランス女性が、ツイッターなどで投げつけられる悪意に追い詰められて、死を選んだというのだ。

以下、「はてな匿名ダイアリー」から一部を引用する。できれば全文を読んで欲しい。

anond.hatelabo.jp

特定されるかもしれませんが、書く。四日前に私の友人だった女の子がなくなりました。

まだ詳しいことは分かりませんが、ほぼ自ら選んだものであるとのことです。彼女はトランス女性でした。つまり生まれたとき戸籍は男性とされて、でも自分を女性だと自認していた、トランスジェンダーの女性でした。

ツイッターが原因かは正直わかりません。

でも私はそう思ってる。

(略)

彼女が不安定になるときは、こうしてトランスであることを攻撃されたときです。

一緒にいて、突然「いまの人ってあれだろ?」とか言われたり、書けないような言葉も言われたこともあります。そのたび凹んでましたが、言い返せる力を持ったり自尊心を取り戻したりして乗り越えてきました。

でも半年前にツイッターで、トランス様とか「男体持ち」とか言われて、「トランス」で検索すると凄まじい量の攻撃があるのを見て、男性たちが「俺も女装して女子大に入る笑」みたいにバカにしたり茶化してるのを見て、何もしてなくてもそういうツイートが流れてくるのを見て、そん風にトランスを嫌悪したりバカにしたり排除したりするツイートを沢山の人達がしてるのを見て、ツイッターで繋がっている他のトランス仲間が傷ついたりセラピーに行ったりしてるのを見て、本人も「この状況はきつい」と私に伝えて泣いてしまうほどふさぎこんでました。

もちろんこういうトランス差別的なツイートを批判する人もいた。トランスの側に立って、トランス差別に反対する女性やフェミニストも同じくらいいた。でも、半分近くが恐ろしい人たちなら、半分が優しい人たちでも、その恐ろしさや悲しさの大きさは帳消しにはならない。彼女は本当に傷ついていました。

(略)

彼女は女性で、そして他の女性と同じ悩みを持ってた。多くの女性が持たない種類の悩みも持ってたけど、だからって彼女が女性じゃないわけじゃない。だからって彼女が存在しないわけじゃない。

(略)

年を超す前に彼女はツイッターを鍵アカにして、そして削除した。耐えられなくなったんだなと分かりました。

連絡して、正月休みの2日に会ってご飯を食べて、そのときは元気そうに見えました。ツイッターの話もしました。元気そうだけど、その話をしたときは目に涙を溜めてました。もう一人の友達(女性です)も呼んで終電ギリギリまでカラオケして大はしゃぎて、いつも通り帰りました。

5日の夕方に、彼女の親から連絡があって、彼女がもうこの世界にいなくなってしまったことを知らされました。最初に四日前と書きましたが、彼女がそうした正確な日時はまだわかりません。たぶん5日の朝方だろうとのことです。彼女の親も、LINEの返信がなくて嫌な予感がしたので訪ねたそうで、そして発見したようです。

(略)

匿名だし内容も伏せてるし信じなくていいです。せめて、こういうことが起こり得る、いやもう起こっているかもしれない、という気持ちになって、トランス排除を止める方向に行けばいい。そう思います。

誰かの命を人質にしてるみたいだとも思います。でもトランス排除は差別で、差別は人を殺す問題です。差別は常に一刻を争う問題です。やめてください。本当につらいです。

ツイッターでも、ネットのどこでも、現実世界でも、差別しないで。その差別で傷ついた人はある日突然ほんとにこの世からいなくなってしまう。死を選んでしまう。差別に殺されてしまう。

彼女はもう戻ってこない。トランスが怖いとか、トイレに入ってくるなとか、ナチスがユダヤ人に課した規則みたいにトランスはトイレ使用する際は「トランスです」ってマークを身につけろとか、トランス差別してトランス排除してるアカウントがあるね。トランス排除してるアカウントに、「お前が彼女を殺したんだ!」とは言わない。

でも、人の命に責任持てるの?人の命の責任を持つなんて誰にもできないんだよ?何してるか分かってるのか?と突きつけたい。心の底から悔しくて悲しくて辛い。

彼女は生まれたとき男性って言われて戸籍も男性に振り分けられた。でも彼女はずっと「彼女」だった。彼女は女性だった。

彼女は女性だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

よく、差別によって人は「傷つく」、だから差別はやめましょう、みたいなことが言われるが、そこで言う「傷つく」というのは、嫌な思いをするとか、落ち込むとか、その程度のイメージでとらえられているような気がする。

だが、差別による「傷」は、そんな軽いものではない。繰り返される差別で追い詰められた人は、時に、本当に死を選んでしまう。ただ自分のセクシュアリティに正直でいようとするだけで、好奇の目や蔑視、敵意に取り囲まれながら毎日を生きなければならないのでは、地獄にいるのと同じだ。それなら死んだほうが楽だということになる。

差別は、それだけで、本当に人を殺すのだ。

【関連記事】