Edge of tha knife
※今回の記事は2016年11月16日に投稿した記事を再編集して加筆しました。
ASDのコミュニケーションは、めくらがナイフの刃先を歩いているような危なっかしさがある。
だから定型発達者の目から見ると非常に危なっかしく見えるし、実際に踏み外して血だらけになることもある。それを見てぎょっとして離れてしまう者も数多い。一時期親しかった人が離れていくのもそこに原因があると思う。
友達になるのは難しいといわれたこともあるが、何度もそれをいわれると、真っ向から自分の人格を否定されたような気分になる。
一時期親しかった人が離れるときというのは、自分が相手のキャパシティからはみ出してしまった状態ではないかと思われる。発達障害者の自分にはあまりにもそうゆうことが多いので、他人には声をかけられなくなってしまった。
思えば発達障害者が共感能力が無いのと同じように、発達障害者を受け入れられるだけのキャパシティを、大半の定型発達者は持ち合わせていないように思える。正直発達障害者を受け入れるだけのキャパシティを持った人間は、お釈迦さまのように寛容な人間か、よほどの変わり者しかいないのではないかと思われる。
そのお釈迦さまですら、クシャトリヤ(武家)の堕落した大名暮らしから出家した後に、身を投じた苦行の断食で死にかけた際に、スジャータからもらった乳がゆを食べて、やっぱり中庸が一番だよねといっている。
ASDのコミュニケーションは、めくらがナイフの刃先を歩いているような危なっかしさがある。
だから定型発達者の目から見ると非常に危なっかしく見えるし、実際に踏み外して血だらけになることもある。それを見てぎょっとして離れてしまう者も数多い。一時期親しかった人が離れていくのもそこに原因があると思う。
友達になるのは難しいといわれたこともあるが、何度もそれをいわれると、真っ向から自分の人格を否定されたような気分になる。
一時期親しかった人が離れるときというのは、自分が相手のキャパシティからはみ出してしまった状態ではないかと思われる。発達障害者の自分にはあまりにもそうゆうことが多いので、他人には声をかけられなくなってしまった。
思えば発達障害者が共感能力が無いのと同じように、発達障害者を受け入れられるだけのキャパシティを、大半の定型発達者は持ち合わせていないように思える。正直発達障害者を受け入れるだけのキャパシティを持った人間は、お釈迦さまのように寛容な人間か、よほどの変わり者しかいないのではないかと思われる。
そのお釈迦さまですら、クシャトリヤ(武家)の堕落した大名暮らしから出家した後に、身を投じた苦行の断食で死にかけた際に、スジャータからもらった乳がゆを食べて、やっぱり中庸が一番だよねといっている。
発達障害者のアプローチは胸襟を開こうとして全裸になってしまうようなものである。こち亀のキャラクターで海パン刑事が一番好きなのも、自分が子供っぽいのもあるだろう。とかく自分の趣味嗜好は消防のうんこちんこお尻で止まってるように思える。
基本的に発達障害者のコミュニケーションは堅苦しい制服姿か全裸の両極端しかないように思える。そう考えると発達障害者が定型発達者に声をかけるのも、無益というか下図のような無謀ともいえる。
自分の書いてるものは堅苦しい政治の話か、ナチの黒服が好きな変態の話の両極端で、中間が無いように思える。創作物もギャグとシリアスの触れ幅が大きく中間がなく常に不安定である。実際過激な文章を書いてるときも、常にナイフの刃先を歩いているような危なっかしさを感じている。ナイフの刃先すれすれを歩いているような文章は時に鋭い刃にもなりうるし、読み手も書き手も傷つける両刃の刃にもなる。
基本的に自分の書く文章は柄の無い両刃の刃である。自分が書く文章は両刃の刃で心を切り裂いて延々と血膿を出し続けるような不浄の所業である。自分にとって文章を書くのはそうゆうことである。
自分には悩める発達障害者のためになるテキストのようなブログなど書けないので、テキストのようなブログよりも、地べたを這いずり回る翔べないペンギンのように、もがき苦しみながらも生き続ける発達障害当事者の生の姿を見せつけてやりたい。
発達障害者は、ナイフの刃先で傷だらけになっても、延々と歩き続ける血みどろのアウトサイダーである。
そういえば声優の田中信夫と積木くずしの作者で俳優の穂積隆信が亡くなりましたね。
田中信夫は川口ひろしの探検隊でおなじみだったし、積木くずしのドラマやってたのは自分が中学生の頃だったので、両者ともどストライク世代なんですよね。積木くずしの主人公のかおりとは同世代だし、自分の親と同世代の著名人が亡くなるとまた昭和が終わったなと思わずにはいられません。
穂積隆信は積木くずしの主人公だった娘のかおりこと由香里さんが35歳の若さで亡くなっているので、この人に関しては悲しいというより、やっと娘さんの元に逝けたんだなと思います。最大の親不孝という言葉もあるくらいだし、子供に先立たれるほど悲しいことはないです。
この場を借りて謹んで田中信夫、穂積隆信両氏のご冥福を祈りたいと思います。
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基本的に発達障害者のコミュニケーションは堅苦しい制服姿か全裸の両極端しかないように思える。そう考えると発達障害者が定型発達者に声をかけるのも、無益というか下図のような無謀ともいえる。
自分の書いてるものは堅苦しい政治の話か、ナチの黒服が好きな変態の話の両極端で、中間が無いように思える。創作物もギャグとシリアスの触れ幅が大きく中間がなく常に不安定である。実際過激な文章を書いてるときも、常にナイフの刃先を歩いているような危なっかしさを感じている。ナイフの刃先すれすれを歩いているような文章は時に鋭い刃にもなりうるし、読み手も書き手も傷つける両刃の刃にもなる。
基本的に自分の書く文章は柄の無い両刃の刃である。自分が書く文章は両刃の刃で心を切り裂いて延々と血膿を出し続けるような不浄の所業である。自分にとって文章を書くのはそうゆうことである。
自分には悩める発達障害者のためになるテキストのようなブログなど書けないので、テキストのようなブログよりも、地べたを這いずり回る翔べないペンギンのように、もがき苦しみながらも生き続ける発達障害当事者の生の姿を見せつけてやりたい。
発達障害者は、ナイフの刃先で傷だらけになっても、延々と歩き続ける血みどろのアウトサイダーである。
そういえば声優の田中信夫と積木くずしの作者で俳優の穂積隆信が亡くなりましたね。
田中信夫は川口ひろしの探検隊でおなじみだったし、積木くずしのドラマやってたのは自分が中学生の頃だったので、両者ともどストライク世代なんですよね。積木くずしの主人公のかおりとは同世代だし、自分の親と同世代の著名人が亡くなるとまた昭和が終わったなと思わずにはいられません。
穂積隆信は積木くずしの主人公だった娘のかおりこと由香里さんが35歳の若さで亡くなっているので、この人に関しては悲しいというより、やっと娘さんの元に逝けたんだなと思います。最大の親不孝という言葉もあるくらいだし、子供に先立たれるほど悲しいことはないです。
この場を借りて謹んで田中信夫、穂積隆信両氏のご冥福を祈りたいと思います。
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