ことのは日和

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映画「平場の月」を観た

少し前に映画「平場の月」を観てきた。

 

 

世の中にある映画ブログとは違った視点で、この映画に対する感想を持ったので、ブログにまとめようと思ったのだけど、挫折。

あまりにも多くの場面にメッセージが詰め込まれていて、まとめるのに時間がかかり過ぎてしまう。

ひとつだけ言うなら、単なる大人の恋愛を描いたものではない。年を重ねたことで深みが増したことで、その人という地層ができあがり、その深い部分にある根源的なものを目で見るのは難しい。だけど、どこかにその存在を言い表せられないけれど、表出している瞬間がある。

誰かにとっては、例えば鈍感ではっきりしない人でも、誰かにとっては、その鈍感さが優しさになる。

そして誰かにとっては強さだけれど、それは弱さであり、自分を防御するための鎧でしかなかったり。

書き出すとキリなく出てくる不思議な映画。

劇場では多くの人が涙していた。

だけど、感情的に捉えて見てしまうと見逃してしまう大切なメッセージが多く埋め込まれていたように思う。

もちろん、人の命と人と人との繋がりを描いたものだから、涙が出てもおかしくない。だけど、ひとつ疑問なのは、なぜ、青砥も劇場で映画を見た人も青砥の母の葬儀のシーンで泣く人はいなかったのだろう。

 

須藤の最後の言葉は「青砥検査へ行ったかな」と、相手を思う言葉だった。

私はそこがとても切なかった。

一生一緒にいたいと思ったその人を置いて旅立つ。

その時に、一緒にいたかったではなく、その残る相手の健康を願った。

【作品概要】

『平場の月』は朝倉かすみの同名小説が原作で、山本周五郎賞受賞、直木賞候補にもなった評価作。


大筋は、中学時代の同級生である青砥健将(堺雅人)と須藤葉子(井川遥)が、35年後に再会し、時間の厚みを背負った大人の恋愛を描く作品。

 

特別な人生ではなく、どこにでもある普通の人生を舞台にすることで、観客が自身の“生活の延長線”として感情移入しやすい構造になっている。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

今日の文章が、皆さんの時間や生に少しでも光を投げかけるものになれば幸いです。

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