ことのは日和

本と映画と心と体のこと。 体験、体感、学び、考える。そんな日々のことのは日和

変容の前夜(4)

「変容の前夜」前回の続きになります。

 

変化したいという意志は、原始的で、生命的で、身体に根ざしている。
願望は精神活動だが、変化意志は生命反応。
だからそこから行動が生まれる。

 

表面的な「願望の強さ」ではなく、もっと深い層にある「変わらざるを得ない感覚」が人を動かすのだと言えるのかもしれない。

では彼女の変化はどの瞬間に「これが転機だ」と感じられるものがあったのだろうか。それは具体的に行動を起こし始めたタイミングなのか、それとも精神がわずかに前向いた瞬間なのか。

 

そう、彼女はどの瞬間に変化が起きたのだろうか。

私というフィルターを通してにはなるのだけど、今思うとその瞬間は明らかにみてとれた。

 

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料理はもともと生活の中心にあった。ひとり暮らしであっても自分の手を動かす行為を大切にしてきた。ただし、その営みの裏側には、過食嘔吐という長年の苦痛があり、「栄養」という概念が日常のレンズとして働いていたわけではなかった。

転換点は、不意に触れた一本のYouTubeだった。そこで語られていた栄養学の基礎が、彼女にとっては単なる知識ではなく、自己変容への可能性を示す“微かな光”として立ち上がったのだと推測している。学びは独学から始まった。体系的とは言えないが、生活に直接影響を与える知であったがゆえに、心身の実感として変化が現れはじめた。

その変化は、長らく越えられなかった過食嘔吐という壁を静かに溶かしていった。努力では突破できなかったものが、視点の転換と身体感覚の再構築によって越えられていったのである。この一連のプロセスこそ、彼女に起きた“変化の起点”だと私は捉えている。

 

彼女が変わり始めた理由は、とてもシンプルだけれども、人間の変容プロセスとしては驚くほど本質的だったのではないかと考える。

 

最初に起きたのは “好きだった料理” に、ある日ふと “栄養” という新しい視点が重なったこと。


もともと料理は彼女の得意領域で、脳の報酬回路が働く分野。
そこに「栄養学を独学で学んでみる」という新しい行動が加わったことで、料理の意味づけが変わり始めた。

 

 

料理 × 栄養


この接続が生まれた瞬間、彼女の中で「私は変われるかもしれない」という小さな光が立ち上がった。

ただし、ここまでは行動の変化にすぎない。

だけれども重要なのは、その後に起きた身体レベルのフィードバックだった。

独学を続けた結果、嘔吐過食の頻度が目に見えて減っていった。
これは単なる症状の改善ではなく、「自分の行動が自分の身体に影響を与えている」という実感を取り戻した瞬間。


心理学的には“自己効力感”、ポリベーガル理論などでは“凍結状態からの回復”として説明できないだろうか。

 

 

 

 

 

 

ここで身体が理解する。
「私は変われる。」

 

この身体的な確信が生まれると、行動は無理なく継続する。
そして、彼女の生活全体が変わり始めた。

 

・料理の意味づけ
・日常の選択
・自分との向き合い方
・世界の見え方


これらが少しずつ、しかし確実に変化していった。

そんな彼女の様子を私は「生き方が変わった」と感じた。それはまさにこの時期。


行動の変化より、精神論より、そのさらに深いところが変わり始めていたのだろう。

 

ここで起きていたのは、変容の理論で言う“存在レベルの再編成”に近いのかもしれない。


人は、行動が変わる → 結果が出る → 身体が確信する
という順番を経て、ようやく“生き方そのもの”を書き換える

 

彼女が歩み始めた道は、最初の願望の延長ではない。
新しく獲得した生き方が、彼女に別の未来を見せ始めたのだ。

 

そして――

生き方が変わった、という一点は、行動変容や精神変容の理論の中でも最も深い階層の変化とされている。


行動、思考、感情の変化よりさらに下にある「存在のモード」が書き換わったということになるだろう。

 

この変化、もう少し多面的に整理する必要がありそうだ。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

今日の文章が、皆さんの時間や生に少しでも光を投げかけるものになれば幸いです。

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