「アイコンを描いて」と言われ、断ると怒られます
こんにちは、小野ほりでいです。
Twitterの絵を描く人たちはなぜ「タダでアイコンを描いて」と言われてしまうのでしょうか?
そこには切ない理由が…。
<登場人物>
エリコちゃん
何も考えていないOL。
ミカ先輩
ホルモンバランスが乱れがちなエリコの上司。
地球の画像
困ったときに貼っておけば、とりあえず話が終わる便利な画像。
エリコちゃん、このコーナーに久しぶりに質問が来たわよ!
やったー! はやく帰れる回だ!
エリコちゃん、ミカ先輩こんにちは。カナダ在住のキャサリンです。私の趣味は絵を描くことで、Twitterにもちょくちょく自作絵をアップすることがあるのですが、最近「私のアイコンを描いて」と言われ、断ると「ケチ」「あばずれ」などと罵られることが多いです。私は描きたいものだけ描いていきたいのですが、それではいけないのでしょうか?
この問題は、ワールドワイドに展開されているのねえ~。
絵を描いてると、こういうことがあるの?
ある。
2文字のためにデカくならないでくださいよ!
私はこの問題を「絵描きの穴掘り問題」と呼んでいるわ。
絵描き…穴掘り…問題!???
たとえばあなたが工事現場で働いてるとして…そこでスコップで穴を掘ってたとするでしょう。
おいおい、ちょっとゆっくり説明してくれよ。
そのあなたを見て、「好きで穴を掘っている」と思う人は恐らくいないわ。だって、だいたいの人は穴掘りを退屈だと思っているから。
でも、絵描きのように自己表現を糧にしている人は往々にして「好きでやっている」と思われてしまうものなのよ。たとえそれが、生活のために嫌々していることであっても。
私は羨ましいけどなあ~。
加えて最近、ネット上に自己表現の場が増えたことで作り手と受け手の距離が近くなって、その間で摩擦も生じているのよ。
作り手と受け手の間で、キャサリンの例のようないざこざが生じるのは、両者の創作におけるモチベーションの差異が関係しているのよ。
めんどくさそうな話だなあ…。
ものを作り始めたときは、誰もが純粋な動機を持っているわ。ただ作って、見てほしい。誰かをよろこばせたい。認められたい。見返りなんかいらない…。
ようは「褒められたい」ってこと?
キラキラ輝いていたあの日々…しかし、一部の天才を除いてはこの純粋な欲求を満たすことすらわりと困難!
伸び悩んだり、思ったように評価を受けられなかったり、飽きちゃったり…とにかく、だいたいの人は何らかの形で挫折するわね。
厳しい世界でヤンスなあ~。
だから、多くの人は作ったものが評価されるというのはそれだけで羨ましいこと、名誉なこと、よろこばしいことだと思っているの。
私も、できるものならキャーキャー言われたい!
でも、「認められたい」という気持ちのモチベーションもまた、自分である程度満足のいく評価が得られたときには尽きてしまう。
だから、「ある程度満足のいく評価」を得てモチベーションの燃料が足りなくなった人は、新たなモチベーションを見つけてタンクに注ぎ足すのよ。
それは富、名声、女、さまざまね…。
汚え!
つまり、創作の経験値が少ない人は「褒められる」だけでも創作の報酬として十分だと思ってしまう場合がある。
だけど、褒められることがなんでもないくらいまで経験値をためた人は、褒められる以外の何らかの報酬がないと動けないことが多いの。
「自分だったら褒められるだけでがんばれる」から、その延長で「褒めてやるからがんばって」と持ちかけてしまうのが問題なんですね。
キャサリンの「アイコンを描いて」の相手も、恐らくは「タダで描かせてやるよ」っていうような悪意で言ってるわけではないのよ…。
「自分だったら『描いて』とお願いされるだけでうれしい」という、純粋な気持ちが根底にあるから、むしろ「なんでこの人断るの? ピュアじゃないの?」と驚いてるかもしれないわ。
キャサリンは汚れてしまったのね…。
だから、キャサリンが困るのも、知り合いが悪意なく「タダでアイコンを描いて」と言ってしまうのも私には理解できる。
みんなが仲良くできればいいのに…。
そうね、私もそう思うわ。
ただ、たった一つ言えることは…。
言えることは?
関係ねえ!
(おわり)