卒業&国家試験合格

先日の3月8日に6年間通った滋賀医科大学を卒業し、本日14時発表の医師国家試験、無事合格しました。4月からは滋賀県内の公立甲賀病院の研修医として6年7ヶ月ぶりに社会復帰します。
ちょうど退職を考えていた頃に放映されていたドラマがSMAPの草なぎ君が出演していた「37才で医者になった僕」だったのでその頃全て最短で合格したらちょうど37才かあと少し自分と重ねていたことを思い出します。そこからの6年半、入試、進級、実習に卒業試験に国家試験と様々なハードルはありましたがこの37才という年齢は忘れて一緒に駆け抜けることのできる友人達や家族の支えのおかげでこのスタートラインに立てています。本当に感謝しています。
娘の出生届に「勤務しているもののいない世帯」にチェックを入れた身としてはここからやっと自分の家族を養えるという喜びもあります。2人の貯金とバイトと奨学金でよく家族4人耐えました(涙)何も言わず6年間学費を負担してくれた父親にも感謝です。早く一人前になって少しでも早く恩返しできる日が来る様、精進していきたいと思います。
春休みは一足早く社会復帰した妻を送り出して赤ちゃんの世話をしておりました。日々成長の発見があって楽しく、また自分の腕の中で赤ちゃんが眠ってくれる幸せを感じられる貴重な日々だったと思います。この平和な日々もあと少しですが十分に堪能して4月からは戦場に帰ります。大林組の日々も相当に忙しかったですが6年のブランクを置いての研修医生活もきっと想像以上に大変だと思います。将来の専門領域を決める2年でもあると思うので大切に過ごしつつも、精一杯楽しめればと思います。

113回医師国家試験

受けてきました。

当然のごとく大変な試験でした。

試験範囲が膨大なのでどの講座・模試を取った/取らなかったよりも長期的なマネジメントが大切です。

何となく周りがやっている勉強の流れに乗りましたがおそらくそれが先輩方から代々語り継がれた正攻法であり正しかったのだろうと思います。

9月、10月の卒業試験開始までにメジャー科目の動画講義終了:学年で受講していたTECOMの三苫先生の講義。ノートを作りつつ、診断のキーワード集、例外集、~徴候や症候のまとめをEVERNOTE上に作成。

マイナー科目の動画講義は該当卒業試験直前:マイナー科は卒業試験前を逃すと直前は手が付けられないので機を逃さないほうが良いでしょう。

卒業試験期間中にQB一周目問題終了:神経とか小児科とか問題が多すぎるもの以外は実は全部解いたが正直全部やる必要はなかったかも。出題割合とQBの問題数からコストパフォーマンスを計算して優先度の高いものを確認したうえで進めていきました。

MECのサマライズ・LAST MESSAGE(今年は新出知識を問う問題は少なかったので、これをやっていたからできたという問題は正直別に・・・、ですが後述する過去問3年分の掘り下げには役に立ちました。)

過去問3年分:これは親しい友人らと勉強会にて。正直これが一番効きました。110回~112回の各ブロックを1日ずつ毎日眠くなる時間帯の14時~17時頃に集合して各自コメント。このための予習で毎日必ず60~80問は解くというリズムもできる(直前は浮足立つのでこのようなルーティーンを作るのも走り抜けるために大事)上に、本番で友達の声が聞こえてくる安心感は素晴らしかったです。一緒に勉強してくれた人たち、ありがとう。実際教室にそのメンバーがいたので何度もありがとうと言いあいました。

直前期:1周目に間違えたor迷った問題、かつ正答率70%以上という条件でやり直し。今までの資料の見直し。TECOMの模試解説動画。(井出先生が好きなので楽しみに見ていた)膨大な試験に比べるとやれることは本当に少ないので体調管理と強い気持ちが一番大切だと思います。

本番にて:1日目必修、80%を意識しすぎて自信のある問題を数えながら解いたらケアレスミスで3点問題を2つ落としており81%だったので焦りましたが、2日目は「受かりたい」という純粋な気持ちで解いたらミスはなくなりました。盛永先生の言う通り純粋なハートが一番強いです。

最終学年

いよいよ、最終学年の6回生になりました。公衆衛生関連で少しだけ授業とテストがありましたが、今は5月の連休明けまでの長めのお休みをいただいています。国家試験まであと1年を切り、もうすぐ医学生の就職活動であるマッチングも近いので、残り僅かな病院見学できる期間ということで自分も少しではありますが病院見学というものに出かけてみています。奨学金の関係で就職先の病院は滋賀県内に限る、しかも環境の変化がとても苦手な中学生の息子もいればもうすぐ生まれてくる命もある(楽しみ!)ということで今の家からあまり動きたくないという事情もあり、余り選択肢は無いのですが、特に今日行ってきた某K病院は懐かしい先輩が多数在籍しており、思いがけない再会もあり楽しかったです。

各科を回る病院実習が一通り終わりました。自分の進路に関してはある程度将来像が見えてきたかなという感じです。長期的な目標を保ちつつ、その時の縁によって具体的な道にしていけたらと思います。遠い将来はやはり田舎で町医者がしたい。何なら平屋で畑付きの古民家を自分の設計で快適かつ美しく改造した自宅兼診療所が作れたらそれがベストです。いざとなった時父の後を継げるようにしておくのもそもそも医師になった目的の一つですが、父は90歳まで現役を目指していて非常に体力もあるお方なので必ず継げるとも限りません。もちろん、必要な時に手伝いに行けるようになるというのも素敵だなあと思うので「皮膚科」の勉強はそれまでにしておく必要があります。

ただ、いきなり皮膚科からキャリアをスタートすべきかどうかというと悩む面もあります。父は最初は救急医を経験しており、形成外科という当時はかなりレアな専門技術を持ちつつ皮膚科の仕事もしていました。皮膚疾患は隠れた全身疾患の宝庫であり、また医師としてのQOLも高い方で魅力的な分野ではありますが大学病院での皮膚科専門医というのは稀な疾患も数多く、いきなりそこに入ってしまうとどうも医師としての視野は狭くなってしまうような気もしています。再受験生ということで他の標準的な医学生より13学年上という自分の年齢と、卒後9年、滋賀県内で地域医療に携わることを考えると、どんな病院でも必要とされるようにいわゆるプライマリケアはしっかりとできるようになっておきたい。それに加え自分の強みである手先が器用であることを生かせる専門技術を持っておきたい。だとすると最初に専門医として目指すのは滋賀医大でも最近できたばかりの形成外科か、すでに実績がある整形外科の中で手外科を目指すのが良いかな、ある程度一人前になれたらどこかで頭を下げて皮膚科の勉強をさせてもらおう。研修のスタートは滋賀医大で十分だろうと考えていたけどプライマリケアの勉強には最初は市中病院に出るのも悪くないかな。滋賀医大に残ったとしても研修で有名な診療所にも行けるよな。そんなことを考えつつ、まずは全科目全範囲の国家試験を頑張っていこうと思います。

先日、祖父が齢90で亡くなりました。そこで集まった親族との会話のおかげでもうすぐ生まれてくる娘の名前が決まりそうです。これもそんな時間を作ってくれた祖父のおかげかなと思うと、これも命を繋いでいくということなのかなと感じます。無事に生まれてきてくれますように。

 

抄読会にて

小児科で臨床実習しております。あみだクジの導きにより班で一人NICUという新生児用の集中治療室に毎朝通っていますが、そこでお世話になっている先生の一人が今日の抄読会で素敵な論文を発表されていたので紹介しておきます。

Very Preterm Birth and Parents’ Quality of life 27 years later

早産児・未熟児の両親と正規産児の両親の人生の質を27年たった現在、振り返ってみてどうですかと比較した論文です。何らかの障害を持っている確率が前者のグループでは38.8%、後者では5.7%と、現在とは医療の質が違うこともあり圧倒的な差がありますが結論としては両者の人生の質に差がなかったこと。さらに興味深いことに正常な出産のグループの方が有意に離婚率が高かったこと。また生活の質を下げる要因も解析しており、両親の生活の質を下げる要因になるのは子供のうつ等の精神的な健康状態と人間関係の困難であり、学校の勉強の遅れや障害そのものには影響を受けていないという結果でした。

このグループは先行研究で生まれて5年目ではまだ早産・未熟児のグループの方が評価が低いが20年の時点では差がなくなっていくことを示していたそうです。

この論文を選ばれた先生が感動したという一節に、親は子の困難を乗り越える力があるという表現があったそうです。親の幸福度を左右するのが、子供の出来不出来ではなく、子供の精神状態と人間関係だったこと、つまり子供が笑顔で友達に囲まれているのが親の幸せだというのも、人の親になった今としては実感として心から納得できます。同じ班に全部地元の公立学校から現役で合格し実家から通える医学部に入学したイケメンで優しい男の子のI君がいますが、親孝行だなあ、こんな息子がいてうらやましいなあと思わなくはないですが、結局必死で生活する中ではどんな困難を抱えていてもうちの子の笑顔はかわいい。それが全てのような気がします。

同じくNICUで活躍されている先生の一人が、むしろ早産・未熟児のグループの方が離婚率が低いことに関して、困難に直面して手と手を取り合って絆を深めっていった結果だと思いたい。というコメントをされていてそれも素敵だなと思いました。

正常出産の両親の方が有意に離婚率が高い。という無機質な文章を瞬時に早産・未熟児の両親の方が絆が強いと読み替えられるのは、実際にその先生が色々なお子さんとその両親に接し、励ましたり、試行錯誤の果てに一喜一憂したりという数限りない経験のなかでそういう実感があるからだろう。そんなことを感じると、やはり役に立つドクターになれるよう勉強しなきゃなあと思い直した次第です。

新生児医療に対しては極論を振りかざす人の中にはお金をかけて生涯コストのかかる障害児を作り出しているという心ない批判の声が上がることも少なくないようですが、現場は皆、赤ちゃんとその家族の幸せを考えてすごい努力をしている。今日はちょうどそんな姿が見られた話し合いの中にお邪魔できたこともあり印象的な1日だったので久しぶりに更新しておきます。

祖母のこと

新年が明けましたね。昨年の夏は祖母が他界したという事でいわゆる「喪中」のため、敢えて広く新年の挨拶は送っていませんが、そもそも喪中なら喪中で早めにその旨を皆に伝えるのがおそらくはマナーなので、どうも時候の挨拶の趣が自分の中でも薄れてしまっていたのかなと反省です。失礼をお詫びするとともに、今年もよろしくお願いいたします。
さっそく今日(4日)から授業がまた始まりますが、少し祖母の事を思い出してみようかと思いました。親戚付き合いの薄い我が家ですが、親戚の中では一番好きな人でした。手先が器用で、読書家で、好奇心旺盛で昔から気が合う友達のようなおばあちゃんでした。母が体調を崩したりするたびに浜松から神戸にやってきてくれて、そんな時は学校から家に帰るのが楽しみでした。活発で何でも出来る人でしたが10数年前に倒れ再生不良性貧血と診断されてからはなかなか外出が出来なくなり、家を訪ねる度にいつも同じ場所、こたつの窓際に座っていました。最後の一度は一昨年の冬の病院の一室にて、浜松には珍しい積もりそうな程の雪が降っていました。会う度に変わらなかった事、一番覚えているのは僕を見る目です。子どもの頃布団の中でお腹を蹴りまくってはしゃいでいた頃も、高校に入ったときも、最初の大学に入った時も、海外から帰ってきた時も、就職した時も、仕事を辞めた時も、今の大学に入った時も、ただただ心から嬉しそうで、自分で言うのもなんですが愛おしくてたまらないという感じで、キラキラした大きな目で僕を見てくれていました。見たがっていた卒業した姿が見せられなかったのは残念でしたが、訃報を聞いた時はただ、闘病、お疲れさま、と思いました。先日の同窓会でも感じた事ですが、どんなに見た目が若くても(それはそれでありがたいことではありますが・・・)時間は容赦なく流れていきます。それでも一度自分が巻き戻した13年遅れの世界の上で全部受け入れて生きていけるのは全幅の信頼をくれていた祖母の目の温かさのおかげもあるのかなと思っています。
こんな自分に居場所を与えてくれている周りに改めて感謝して、少しでも恩返しできる1年になりますように。

春休み

試験だらけの二回生後期を終えて春休みに入りました。

毎週の人体構造学の試験に始まり、

毎日の解剖他の実習にレポートにとなかなかに拘束時間の長い日々でした。

試験も20週程度の中で18個。いつも何かしらのテスト前だったので今取り立ててテスト勉強をしなくていいということに少し違和感を覚える程です。

ただ勉強自体は興味の湧くものなので苦にはならなかったです。昨年は大阪から通っていたこともあり、滋賀に越した今年度後期の全体的な生活の質は去年より上がりました。テスト前は食堂で皆でワイワイ教え合いながら乗り切って、毎週金曜日の飲み会を楽しみに日々頑張って、おそらく4月からは3年生。

2月、3月はゴルフと音楽活動頑張ります。

僕の死に方

今日は素敵な本に出会った。

ほんまでっかTVに出演されていた金子さんの手記。

その名も、「僕の死に方

明日にも死ぬかもしれない状況での

奥さんとのやり取りには涙が出てきます。

終末期の医療についてもリアルな視点で語られていて

将来の医療者としても読んでおく価値がある。

金子哲雄の妻の生き方」というアンサーブックも出ているそうでこれも読んでみたい。

前書き、後書きは彼女によるものだが文章がしっかりしていて、

2人の深い絆と愛情が感じられて本編に劣らず素敵な文章だったと思う。

父も、母も、自分も、自分の大切な人も必ずいつか死ぬ。

自分は何が残せるだろう?

1年生の時間割の紹介と医学生についてー医学生は皆優秀か?

(前期)

水曜5限の歴史学研究法は期末レポートが課されていたが、他の教養科目の結果が先に出たことで出す必要が無くなったため、単位取得せず。

●留年要注意科目

・木曜1限の「分子科学序論」・・・電子軌道に関する理論など。内容が難しく過去問をしっかりやっていないと試験の解答は困難。同級生と一緒に勉強するのが効率がいい。

・金曜2限の「線形代数」・・・内容は難しくなく試験も授業の内容を逸脱しないが、ミスや勉強漏れが重なると採点は厳密に行われるため試験に落ちないとも限らない。再試も同様である。

・その他語学など・・・他の生徒と同じことをしていればまず大丈夫。欠席しまくり、来ていても授業中堂々と寝るなど色々重なると事故もあるかもしれない。

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(後期)

前期で教養の選択科目は取得完了したため最低限の時間割となりました。

最低限と言っても他学部と比べると倍ぐらいあるような気もしますが^^;

計63単位取得。前の大学の卒業用件が128単位取得くらいだったと思うから1年でその半分近くという量。単位コレクターの一部の十数名は70単位超取得している模様。

●留年要注意科目

・木曜1限「基礎物理化学」・・・熱化学論と反応速度論。内容の難度は前期よりましだが数学的な要素が大きく試験のバリエーションが幅広いので過去問の丸暗記より授業中の内容の網羅が確実。今年の試験は比較的簡単だったし、その感想が先生に伝わったとの情報もあるので来年度入学の方々はまた難化するかも?再試も採点は厳密に行われる上に難易度は変わらない全く別の問題で、出席点が加味されないため必要得点が十数点高く要求される。ちゃんと授業を聞いておいて再試にかからないのが一番。

timetable

留年注意科目を書いておいて何ですが、

自分も経験あるけど留年も悪くはないと思っています。

(自分は横国時代4年次後期に休学➡イギリス留学。この経験が良かった)

特に医学部は卒業してすぐに医師として就職してしまうことになるので、一旦多少の差はあれ基本的に勉強が得意な人しかいない狭いキャンパスから抜け出して、若い人が視野を広げておくのは悪くない。自分はストレートで行くことが義務づけられていますが^^;

さて、本題の医学生は皆優秀な人材か?−確かに要領の良さ、できる努力の質と量、趣味特技のクオリティ、社会への問題意識その他色々と確かに優れた人は集まっていて、医師に必要な資質のうちの多くを占める「大量の知識と技術の習得」が出来る人を選抜する手段としてはある程度現行の受験制度は機能していると思う。

が、工事現場で出会った素晴らしい大工の棟梁のような人、設計案件で出会った映画スタジオの叩き上げの経営者、尊敬できる元上司達、テレビで観る一流のアスリート達、その他社会で多大な求心力を発している人の「力」が試験場当日だけの出来で選抜できるかと言えばNOであろうと思う。大学受験というゲームの土俵を選ばなかった人の中にも、というかその中にほど実はすごく沢山非常に優秀な人というのはいて、様々な産業を支え、世界を面白くしてくれている。結局どこにいても元気に努力できる人は強いと思う。

勉強ができるかできないかと言うのは一種の能力ではあるが、伸びる勉強法にある程度共通性が見いだせるということは、勉強とはやり方次第であり、頭の良し悪しよりも単に性格が勉強に向いていただけという一面もある。従っていつからかそのレールに乗り受験に勝ち抜いただけで優越感を持つのは間違いであり、勝ち得たその環境で努力し続けられるかどうかの方が重要だと思う。幸せな人生がその先にあるかどうかはまた別の問題だろう。

 

進級して2年生へ

32歳になり、そして1年後期の試験が全て終わりました。

そもそも高校のような受け身の教育が続く医学科のカリキュラムでは、

そんなにサボる余地はない。

それでも授業によっては全く出なくても後半滑り込んで出席点を確保できたり、

最近防止策が増えてきてるけど代筆が可能な回もあったりするんだけど、

普段から授業に出ておくのが試験前は一番楽。

どんなにサボっていても試験前に急速に間に合わせてくる若い子らの集中力はすごいなあと思いつつ、

周りの人はまだ勉強面で頼ってきてくれる。これがいつまで続くかは自分次第かな。

一般的に怒濤のように大量の暗記科目が増える2年後期は高齢の学生程苦労すると聞く。

1年試験をこなした印象では自分の記憶力もまだまだ捨てたものではない気もしたけど、

やはりそもそも頭が非常にいい上に本気で勉強している一部の現役入学の人達を上回るのはけっこう難しいのであくまで謙虚に付いて行きたいなあと思う。

さて一年間部活にも入り過ごした学生生活は快適でした。

LINEやTwitterでの情報共有が簡単になっているので、

必ずしも部活に入らなくても試験の過去問等は手に入るし、拘束時間もない。

ただ部活があることで生活にリズムも出るし、先輩と話す機会が増えるのは見過ごせないメリットだ。バイトもそれで見つかりそうだし、尊敬できる先輩や同期と出会えたことはこれから大切な財産になる。

特にゴルフ部は再受験生で学業とも両立しながら活躍されている先輩も多い。

アカペラ、軽音は普段はそうでもないが文化祭などのライブ前は非常に忙しくなるが、

音楽活動がないとなると娯楽に乏しい滋賀医キャンパスでは平日の空き時間が暇過ぎる。

4月から新入生歓迎会が始まるけど、年齢を問わず沢山後輩が入ってくれると嬉しいなと思う。

さて再受験生として入学して周りとのコミュニケーションはどうか。

自分はどちらかというと現役や1浪2浪といった年齢層と話すことが多いけど、

もちろん年齢の高い層で固まっているグループもある。

逆にその方々と今のところ距離を感じるのでもう少し仲良くなれたらいいなと思う。

クラスを見渡しても年齢含め男女色々な人がいるけど、総じてみんな仲良くやれていると思う。

再受験学士編入を目指している人で、馴染めないんじゃないかという心配は無用だろう。入っていきなり合宿もあるし。

ただし、この道に入る前から思っていて、入ってみて改めて感じるのは、

研修医制度を含め医学教育は高校出たての少年少女を医師にするプログラムだということ。

僕らはあくまで邪道なのは自ら認めなければいけないと思っている。

もちろん、社会人経験があって医師になることは素敵ですねと言ってくれる人も少なくないが、

あくまで一回り以上年齢が下の彼らと一緒に気付き、感動し、学んでいくべきなのだと思っている。

建築の世界で学び、色々な建築物の実現に関わったという過去は自分の誇りであるが、

医師の世界においては自己満足でしかないし、それでいいと思っている。

変なプライドは百害あって一利無し、高校生に戻ったつもりで学ぶのが一番よいし楽しい。その意味では年齢を忘れるという壁を無くす努力が少しだけ必要かもしれない。少なくとも自分はそう努めているつもり。

多少一目置かれるのは仕方ないけど、尊大な態度を取って敬遠され始めたら知識や技術だけではない機微も含めて教育の機会をかなり失うことになるだろう。そうなったらたとえ国家試験に受かっても医師としては終わりだと思う。

2年目も目を輝かせて色々なことに挑戦していけますように。