FF9日記⑧

今日で終わりです。

クリアまで行くので長くなります。

 

テラへ行くための封印を解くため、世界各地に散ったところから。

そこには火水風土のガーディアンがいました。

あからさまにFF1のカオスだけど繋がりがあるのかファンサか。

しかし戦闘があったのは土だけ。どゆこと!?

各ガーディアンとの戦いが描写されるのでは!?

納期かゲームバランスか、なにかしらの都合が悪さしているのでしょうか……。

 

ともあれ各地の封印を解くと、輝く島にテラへの入り口が出てきます。

そこにはガーランドが待ちうけていました。

ジタンの正体について迫っていくようです。

そこには飛空艇インビンシブルも浮かんでおり、その底面に赤い目のような機構があります。

かつてマダイン・サリやアレクサンドリアを襲った目の化け物の正体はこれだったわけですね。

インビンシブルを見て気をやられてしまったダガーを介抱するため、テラ唯一の村ブラン・バルへ。

そこにはジタンと似た見た目の人々が虚ろな様でたたずんでいます。

ガイアの青い光がテラの生命に悪影響をおよぼすとすると、
インビンシブルの赤い目はその逆か

結局詳細はよくわからなかったけど、グルグストーンと同じ意匠の石もありました。

そしてブラン・バルまでジタンたちを導いた謎の少女から真実が明かされます。

曰く自分たちは人工的に作られた存在ジェノムで、いつかテラがガイアを乗っ取った時にテラの民の精神を入れるための器に過ぎないという。

かつて求めた親など存在せず、故郷は侵略者で、自分はただの器にすぎない。

流石にショックを受けたのか自分一人でガーランドと対決へ。

そしてガーランドの口から様々な真実が語られます。
クジャはジェノムのイレギュラーであったが、ガイアに戦乱を起こすため放置されたこと

ジタンはクジャの教訓を受けて同じ目的で作られたこと。

それに嫉妬したクジャによってジタンはガイアに捨てられたこと。

そして戦乱を起こす目的とは、ガイアの魂を滅ぼすこと。

死んだガイアの魂は本来循環するが、イーファの樹によって閉じ、魂を選別していること。

 


テラによる乗っ取りを防ぐためジタンはガーランドと対峙します。

しかし、いとも簡単に、文字通り意識を奪われてしまいます。

「人が生きるのに理屈が必要か」と言ってのけたジタンらしからぬ台詞

ここのBGMとても好き

これまで仲間たちにかけられた言葉を思い出す形で徐々に意識を取り戻します。

しかし目が覚めてもまだ自分一人でやろうとしている様子。

それでも仲間たちはついてきます。

そしてダガー。

ジタンがこれまで自分たちを見ていてくれたように、自分たちもジタンを見ていたと。

自分たちを信じてくれたようにジタンを信じていると。

そしてこれまで守ってきてくれたようにジタンを守りたいと。

以前ジタンを先導者として語って、その立場がどうなるかと語りましたが、ジタンに導かれてきた仲間たちが今度はジタン流のやり方でジタンを導く形になりましたね。

ジタンが自分らしさを取り戻したところで、再びガーランドと対決します。

今度はそもそもガーランド側から先ほどの攻撃が行われないのですが、やっても無駄だったのだろうということは物語の都合抜きにしても推察されます。

そもそもああなったのは、生まれた経緯に過ぎない、人に与えられた理由で自分という器を満たしてしまっていたことが災いしたのかもしれません。

人に与えられただけの自分は簡単に人に奪われるけど、これまでの人とのかかわりの中でお互いの中に培ってきた自分らしさがあれば簡単には奪えない、とか。

逆にガーランドに問い返します

ガーランドを制したところで、漁夫の利にこれ幸いとクジャが襲い掛かってきます。

それすら退けた、と思ったところでクジャがトランスします。

そもそもこれを狙って勝負を仕掛けていたようですね。

覚醒したクジャの喜びもつかの間、命がもはや長くないことがガーランドから明かされます。

自暴自棄になったクジャは破壊の限りを尽くし、テラを滅ぼします。

ジェノムたちを連れてインビンシブルで脱出します。

脱出際、謎の少女ミコトとの会話

ジェノムたちは境遇の似た黒魔導士の村に受け入れてもらうことに。

一度は生と死に迷った彼らですが、今度はジェノムを導く立場に。

嬉し……

そしていざラストダンジョン、イーファの樹の中にある『記憶の場所』へ。

以前イーファの樹を指してラスダンじゃないんだと言ってましたがラスダンでした。

そこはジタンたちの記憶が投影される場所のようですが、ダガーにしか見えない記憶がジタンに見えたり、生まれる前の宇宙の景色が見えたり、なんだか変な様子。

最奥にてその真相が明らかになります。

ここまで精神体となって真相を語ってきたガーランドの最後の言葉
彼もまた生きていた


ここにきてクリスタルが出てくる。

道中カオスが出てくることと言い、FFらしくなってきました(もしかしてFFオリジンの内容ってFF9に影響されてたりするのでしょうか、余談)。

 

そしてその最奥にてクジャとの決戦です。

原初のクリスタルを破壊してすべてを無に帰そうとするクジャ。

いつでもリジェネとリフレクをつけたスタイナーで殴り続けたら終わった。

そのクジャを倒したと思ったら、彼の死への恐怖に応えるようにラスボス『永遠の闇』が出現します。

全ての黒幕、というわけでもなくどちらかというと集合的無意識とかああいう感じでしょうか。

このセリフのために出てきたようなボス
静かで暗い永遠と、繋がりの中に見出す永遠と

永遠の闇を退けるとイーファの樹が崩壊していきます。

ここからもう全部好きですね、スクショの置き方に迷う……

。

脱出しようというときに聞こえる、ジタンの無事を願うクジャの声。

それを聞いたジタンは一人残ってクジャを助けることを決意します。

もしクジャが自分を捨てていなければガイアの破壊者になっていたかもしれない―
であればこそ言えることでしょう

そしてジタンとダガー、別れの演技。

たまりません。

"お姫様"の時間の終わり

そして崩壊するイーファの樹を潜り抜け、クジャの元へ。

流石に知ってますこの台詞。

しかしこういう状況でクジャに対して言われるものだったんですね。

 

いずれにせよ残り僅かの命ですが、それでも手が届くなら差し伸べる。

これまでの行いを許すとか許さないとかを超えた赦しの域。

私はこういうメッセージを愛してます。

 

クジャもまた、人に与えられたものを乗り越えて自分を探していました

二人は崩壊にまきこまれたまま、エピローグへ。

ビビの子どもたちとパックの出会い。

寄り添いあうフライヤとフラットレイ。

アレクサンドリアに向かうサラマンダー。

城付きの料理人になったクイナ。

シドとヒルダの養子となったエーコ。

成就するスタイナーとベアトリクスの恋。

 

そしてそれらの合間に挟まれるビビの最期の言葉。

ここはもう泣いちゃいますよね……。

その生を全うし、納得のいく死を迎えられたことも、それでも寂しくはあることも、全部切ない。

あまりに短いよと嘆きたくなるけど、そうではないんだよね。

全部貼らざるを得ない

ラストシーン、皆がアレクサンドリアに集まる中で開かれた演劇。

物語冒頭と同じく演目は『君の小鳥になりたい』。

それを鑑賞する女王ガーネット。

コーネリア姫とシュナイダー王子の悲恋が描かれるかと思いきや……。

こうでなくっちゃ

 

演劇に始まり演劇に終わるゲームでした。

皆与えられた役目があり、しかしそれを超えて己の役目を自ら任じて、演じ切りました。

ある意味、これ以上ないロールプレイングゲームであったと言えるかもしれません。

エンディングへ、最高の導入

 

 

 

少し話は逸れて、実は家にこういう本があります。

FF11発売に向けてこれまでのFFを振り返るもので、少なくとも当時の反応の記録として参照できるでしょう。

小さい頃に読んだきりで内容も覚えてなかったのですが改めて読んでみたところ、FF9はファイナルファンタジー原点回帰の物語として評価されているようです。

当時の空気感などは分かりませんが、なるほど王道の中世(正確には近世でしょうが)ヨーロッパ風の世界設定や、クリスタルの物語、FF1へのオマージュはそれを意識しているのかもしれません。

 

しかしそれだけでなく、ドラクエに対置してグラフィックと演出を重んじるRPG、「映画的」と語られてきたゲームであるFFにおいて、RPGとは何かを問い直したゲームでもあるように感じます。

完全に同一化してゲームの主導権を握るばかりがRPGではなく、ダガーがかつて劇にそうしていたように、その登場人物の心境に自分を重ねたり、憧れて理想の自分を投影したり、ゲームという媒体で彼らを操作することがそれらを手助けして、そうして自分の物語にしていく。

 

それがFFの提示するRPGなのではないか、鑑賞するゲームとしてのFFを物語の内部構造にまで組み込んでFFらしさを再定義したのではないか、そんなことを考えました。

 

メタ的な批評にまで話が及んでしまいましたが、生と死の肯定、自分らしさといった真っすぐなメインテーマを丁寧に描き切った作品として高く評価します。

自分にとって好きなFF、好きなゲームとして刻まれました。

 

このゲームをやるきっかけとなった人々や、この日記を読んでくれた方々に感謝いたします。

以上、ありがとうございました。

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