2019年07月08日
那覇散歩 余談 「仲島の大石の説明板」
那覇散歩の途中で立ち寄った「仲島の大石」の記事を覚えていらっしゃるだろうか。
6月14日に書いているが、仲島の大石の説明板がほぼ人から見えない場所になっている、と指摘したのだった。少しだけ再掲する。
「この解説板は、バスセンターが建て替えられてからわかりにくい場所になってしまっている。説明板は元からあった場所である。昔のバスセンターでは、通路からよく見える場所だった。しかし今は花壇によって人はそこまで行けないようになっている。植えられた草花をかき分けて、ここまで見に来る方はまず居ないだろう。そもそも見えないのだから地元の方もあまり知らないのではないか?私も教えて頂いて知った。とても残念な事である。」
実は5月30日に仲島あたりを散歩し、大石の写真をFacebookにアップロードしたところ、関東に住むfacebookの友人から「説明板があるらしい」と教えもらった。
そこで6月3日にもう一度大石の場所に立ち寄って、久しぶりにその説明板を見たのだった。その頃は通路側に説明板があった。
とにかくわかりにくいところに「隠してある」(?)という印象だった。その時の気持ちを書いたのが上の文章である。
それを見たFacebookの友人たちが、沖縄の新聞社に知らせてくれたりした。
すると
「バスターミナルの大岩は何? 昔、周辺は海岸だった 最近は「パワースポット」と評判も 」
という記事が出た。(クリックすると記事に飛びます)
(琉球新報の記事より)
記事の要旨はこうだ。
・記者が仲島の大石に行ってみると、説明板が見えにくいところにあった。大石はネットなどでもパワースポットと言われている。
・説明板はなぜ隠れたか。
・那覇市に問い合わせると、再開発前は「通り沿いで見やすい位置にあった」(担当者)。再開発で塀が設置され「裏側」になったという。市にも問い合わせがあり、旭橋都市再開発と調整し説明板を見やすい場所に移すか、新設するか検討していたが…。
・情報提供から約3週間後の24日、「説明板ができている」という情報が新聞社にあった。
・市文化財課によると21日に設置したという。
・市は説明板の新設を決定しており、完成まで数カ月の「仮設」措置という。説明板を手作りした同課の長嶺盛孝さんは「設置から30年経過するので、文言も見直したい」と語る。隠れたことでより神秘性が高まったかもしれない仲島の大石。どんな説明文が加わるかも期待される。
要旨は以上。琉球新報の記者が「説明板」が見えにくい事に気付き、見えにくいところにあること、また説明板が見えやすいところに仮設されてから見に行き、那覇市に問い合わせている。それは有難いことだ。
ちなみに琉球新報社と仲島の大石は歩いて5分もかからない。
ただ、残念なことは「仲島の遊郭」のことについて記事は一言も触れていないことだ。
説明板の中身は当然「遊郭」について触れている。
説明板がすぐに見えやすいところに移設されなかった遠因に、この「遊郭」という説明があったのではないか、と私は推測する。「遊郭」は「歴史的な汚点である」そんな意識が働くのではないだろうか。新聞社も同じような心理で記事を書かれているのではないか、とまで感じるほど一言も説明板の中身に触れていない。
沖縄の新聞社として、きちんとした取材と勉強、そして継続しての取材をお願いしたいものだ。
そして最後に、他にも説明板が消えた場所がある。
首里の大村御殿の「耳切坊主」のそれである。
ウタの痕跡が消えていく、人の手で。
それが悲しい。
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6月14日に書いているが、仲島の大石の説明板がほぼ人から見えない場所になっている、と指摘したのだった。少しだけ再掲する。
「この解説板は、バスセンターが建て替えられてからわかりにくい場所になってしまっている。説明板は元からあった場所である。昔のバスセンターでは、通路からよく見える場所だった。しかし今は花壇によって人はそこまで行けないようになっている。植えられた草花をかき分けて、ここまで見に来る方はまず居ないだろう。そもそも見えないのだから地元の方もあまり知らないのではないか?私も教えて頂いて知った。とても残念な事である。」
実は5月30日に仲島あたりを散歩し、大石の写真をFacebookにアップロードしたところ、関東に住むfacebookの友人から「説明板があるらしい」と教えもらった。
そこで6月3日にもう一度大石の場所に立ち寄って、久しぶりにその説明板を見たのだった。その頃は通路側に説明板があった。
とにかくわかりにくいところに「隠してある」(?)という印象だった。その時の気持ちを書いたのが上の文章である。
それを見たFacebookの友人たちが、沖縄の新聞社に知らせてくれたりした。
すると
「バスターミナルの大岩は何? 昔、周辺は海岸だった 最近は「パワースポット」と評判も 」
という記事が出た。(クリックすると記事に飛びます)
(琉球新報の記事より)
記事の要旨はこうだ。
・記者が仲島の大石に行ってみると、説明板が見えにくいところにあった。大石はネットなどでもパワースポットと言われている。
・説明板はなぜ隠れたか。
・那覇市に問い合わせると、再開発前は「通り沿いで見やすい位置にあった」(担当者)。再開発で塀が設置され「裏側」になったという。市にも問い合わせがあり、旭橋都市再開発と調整し説明板を見やすい場所に移すか、新設するか検討していたが…。
・情報提供から約3週間後の24日、「説明板ができている」という情報が新聞社にあった。
・市文化財課によると21日に設置したという。
・市は説明板の新設を決定しており、完成まで数カ月の「仮設」措置という。説明板を手作りした同課の長嶺盛孝さんは「設置から30年経過するので、文言も見直したい」と語る。隠れたことでより神秘性が高まったかもしれない仲島の大石。どんな説明文が加わるかも期待される。
要旨は以上。琉球新報の記者が「説明板」が見えにくい事に気付き、見えにくいところにあること、また説明板が見えやすいところに仮設されてから見に行き、那覇市に問い合わせている。それは有難いことだ。
ちなみに琉球新報社と仲島の大石は歩いて5分もかからない。
ただ、残念なことは「仲島の遊郭」のことについて記事は一言も触れていないことだ。
説明板の中身は当然「遊郭」について触れている。
説明板がすぐに見えやすいところに移設されなかった遠因に、この「遊郭」という説明があったのではないか、と私は推測する。「遊郭」は「歴史的な汚点である」そんな意識が働くのではないだろうか。新聞社も同じような心理で記事を書かれているのではないか、とまで感じるほど一言も説明板の中身に触れていない。
沖縄の新聞社として、きちんとした取材と勉強、そして継続しての取材をお願いしたいものだ。
そして最後に、他にも説明板が消えた場所がある。
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