内発的動機で駆動する『個人主義ユートピア』を、外発的動機で動かされる『資本主義ディストピア』に変えられてしまわないために

個人の内発的動機で駆動される社会、『個人主義ユートピア』

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↑の辺りを読んで。

かつて00年代の2chやニコニコ動画において存在した、金にならないからこそ発生した平等意識。それを私は「個人主義ユートピア」と呼んでいます。同様の個人主義ユートピアは、00年代はてなダイアリーやプロ化以前のゲーセンにもありました*1。

ニコ動にあってyoutubeにはないもの。はてなにあってnoteにはないもの。ゲーセンにあってe-sportsにはないもの。それが個人主義ユートピアです。

これら個人主義ユートピアを成立させるために肝要なのは、「金と権威」をコミュニティから取り除くことです。金と権威が得られるとわかるや否や、それ目当てのハイエナどもがコミュニティに群がってくる。ここはてなでも10年代初頭にアフィリエイトブログが乱立し、界隈の空気に一定の影響を与えたのを記憶している方もおられることでしょう。

金にならない権威もない。であれば「それ」をやる動機は個人の情熱しかない。

「情熱」という内発的動機で能動的に駆動するコミュニティと、「金と権威」という外発的動機から受動的に駆動されるコミュニティとでは、その性質が異なってくるのは当たり前の話なのです。

天才が0を1に開拓した瞬間特有の一瞬のきらめきが、いまの日本プロゲーマー界にはある - 自意識高い系男子
今後、プロゲーマーが職業として確立されたものとなれば、結果ではなく目的としてプロゲーマーを目指そうとする世代が現れる*2。彼らの時代には、多数のプロを目指すプレイヤーとその支援企業らによって、プレイ環境は整備され、ゲームプレイの定石は加速度的に研究・進化・効率化され、全体のレベルは高まるだろう。実況やイベント運営など、周辺文化のノウハウも溜まっていくだろう。文化的に経済的に、プロゲーマーは洗練されていくだろう。

しかしその「洗練」とは、先人たちが無から開拓したケモノ道を、塗装していく作業に過ぎない。塗装されたその道では、天才の情熱・狂気・才能よりも、秀才の努力が幅を効かせるようになるだろう。カネや名声を目的とした打算的思惑も入り込み、純粋に「ゲームが好きで好きでたまらない」という空気も、徐々に失われていくことだろう。界隈の雰囲気は、そうして少しずつ変質していくだろう。


資本主義化の功罪

こうした「資本主義化」には、肯定的な側面ももちろん存在します。「質の向上」はその最たるものでしょう。ニコニコ動画がyoutubeになることで、ゲーセン文化がプロゲーマーになることで、競争原理によりこれら文化レベルは格段に向上しました。日本のプロ野球が現在のレベルを保持できているのも資本主義化の恩恵でしょう。

しかし、その代償として喪われたものも確実に存在する。

金と権威で有能な者に報い、モチベーションをアップさせ生産性をブーストする。これが資本主義というシステムの本質ですが、個人主義ユートピアにおいても有能な者には「敬意」という形でそれが支払われます。コンスタンスに「神動画」をアップする配信者/示唆に富んだ唸らせる記事を書くブロガー/他者を魅了する華麗なプレイを実践する格ゲーマー。皆、各々の界隈で敬意を集めるヒーローたちです。

しかしその敬意はコミュニティ内部でしか通用しない、実社会においてなんの実利ももたらさない限定的な「敬意」でしかない*2。その敬意が汎用的社会性を持つ「金」に変換されることで、「敬意」のもつ意味合いは決定的に変質してしまう。勝てば官軍の功利主義が幅を利かせ、スキルによる序列はいよいよ絶対視され、平等意識は嫉妬に取って代わる。「敬意」は「権威」へと変質する*3。

天才が0を1に開拓した瞬間特有の一瞬のきらめきが、いまの日本プロゲーマー界にはある - 自意識高い系男子
ゲームが上達しても、その先に何があるわけでもなかった時代。社会的地位やカネが得られるわけでもなく、異性にモテるわけですらなく、莫大な時間と労力とカネを投資したうえで得られるのは、幾ばくかの名誉のみ。それも、ゲーセンという極めて狭い場所だけでしか通用しない、限定的な「名誉」だ。

それでも彼らがゲームをプレイし続けたのは、「ゲームが好きだったから」なのだと思う。社会的見返りがなにも期待できないのなら、「好き」以外に求道のモチベーションなど沸きようハズもない。いま、プロゲーマーとして活躍している者たちは、本当にゲームが好きで、ゲーセンというなんのサポートも得られない暗がりの中で未踏の領域を追求し続け、才能を認められ、結果としてプロになった者たちなのだ。

個人主義ユートピアにおいて、「報酬」は「敬意」に留められておかなくてはなりません。金と権威は「得られすぎ」なのです。なんの情熱も持たない「部外者」に対する外発的動機として、それは機能してしまう。それは資本主義の論理で動くハイエナどもを招き入れる滅びへの道。意思をもたない資本主義の奴隷。社会への売春*4。はてなでニコ動でゲーセンで。ハイエナどもが個人主義ユートピアを変質させてゆく光景を、嫌というほど私たちは目の当たりにしてきたハズです。言葉を選ばず言うのなら、これらハイエナどもを心の底から私は嫌悪しています。


ここは情熱という内発的動機だけがモノを言う「個人主義ユートピア」。資本主義とはまったく異る論理と倫理の体系で動く場所。その場所をくだらない「資本主義ディストピア」へと腐敗させてゆく者たちを、心の底から私は軽蔑しています。

俺たちの遊び場を、荒らすな。奴隷や売春は、せいぜい「仕事」の中だけでやっていろ。


clockgrid.hatenablog.com
note.com
ta-nishi.hatenablog.com

*1:はてなには今でも残り香はあるが、コミュニティ規模が小さくなった事が原因で縮小してしまった。

*2:インターネットにおけるPVはこの「敬意」が可視化されたものです。この意味でインターネットはゲーセンのようなリアルコミュニティよりも半歩、資本主義化が進んでいるといえます。PVを換金可能なyoutubeのようなサービスは、さらに完全に資本主義化されていますね。

*3:ヒカキンを見よ。ただしここでいう「権威化」はヒカキン個人の変質というよりも、ヒカキンを見る私たちの変質である点に留意が必要。

*4:ウケ狙いができる絵描きと、そうじゃない人の平行線の美学 - CLOCKGRID’s diary