口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

掘っ立て小屋に惹かれます。

 

先日、脳内で松浦亜弥の桃色片想いを再生しながら、田んぼの脇をバイクで走行していたところ、「プシュン」という音と共にハンドリングが効かなくなったので、とりあえず路肩に停めまして、確認すると後輪がパンクしてました。今はバイク屋さんに預けてあり、点検も兼ねて診てもらっています。

 

その、ちょうどバイクを停めた近くに、掘っ立て小屋が建っていたんです。トタンとか、ベニヤ板とかを組み合わせて、器用に小屋の形に仕立て上げた感じのやつですね。グッときました。住みたくなってきました。厳しいのが分かっているのに、ここでひと冬を越したくなりました。


なぜだかそういう掘っ立て小屋に惹かれます。意識し始めたのが二年くらい前ですか。いや、もっと根は深いかもしれない。小学生くらいの頃から、実は好きだったのかもしれません。とにかく、畑とか田んぼの端っこにポツンと建っている手作りの小屋が好きで、目に入るとなんとなく近寄って見に行きます。傍から見ると絶対怪しいと思います。いつか通報されるでしょう(予言)。


小屋にもいろいろあります。小屋自体の佇まいも気になるけれど、中を何に使ってるかも気になります。農具がしまってあるだけのこともあれば、ちゃんと床板を敷いてあって、灰皿とかラジオとか座布団が置いてあったり、生活の匂いが色濃く漂っていたりもする。自分がグッとくるのは断然後者ですね。隠れ家でも覗いたような、あんまりよくない事をしているような感じが、クセになります(笑)

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掘っ立て小屋が好きでも、それを写真に撮ったりするのはけっこう躊躇します。小屋を作った本人はどうでもいいと思ってるかもしれないけど、それに勝手に価値を見いだした自分からすると、作者が小屋の形をして剥き出しになっている気がして、圧を感じるんです。本人に一言なにか伝えるくらいしないと、安心できません。


昔、小屋の写真を撮ってたら、誰もいないと思ってたその小屋からおじいさんが飛び出てきたことがあります。当然、なにしとんじゃということになり、かくかくしかじか、説明というか弁解を一生懸命伝えると、ついには仏様のような顔になって許してくれました(笑)。「こんなの撮って、本にでもするのかい」とか言ってました。


ただ、小屋が好きだというこちらの感覚については、「分かるような分かんないような感じだなあ」と仰ってましたね。それは私自身、分かるような分かんなような感覚で小屋に惹かれてるんで、ちゃんと答えようがないんです。とりあえず今はそのあたりを理詰めにしないで、素直に惹かれてみたいと思います。


そんなに小屋に惹かれるんだったら、自分で小屋を建てればいいかというと、たぶん違うんですよ。自分で小屋を建てようとすると、変にわざとらしくなっちゃいそうな気がするんです。どう説明していいか分からないですが、自分で建てた小屋にはすぐ幻滅しそうな予感があります。


例えば、何かしらの逃避行をしていて、たまたま掘っ立て小屋を発見して、そこに住みついた、みたいな状況を欲しているのかもしれません。なので、小屋はたまたま、ポツンと、そこにあったほうがいい。だから小屋を作るのはちょっと違うんです。うーん、なんか変な事を書き始めたので、今回はこれぐらいにしときますか🤔

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)
 

昔読んだ有名な本。『納屋を焼く』の中で、畑の隅なんかにある納屋、つまり掘っ立て小屋を見つけると、つい放火したくなる男が出てくるんですが、一生頭の隅に残るような感覚を味わいました。

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