口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

みんな偉いから読んでます。

 

こりゃ一種の村八分かと思うほど、我が家の玄関先とか庭にじゃがりこの空箱だとかファミマのレジ袋が転がっているのが気になるこの頃。まあ、うちは角地ですし、もともと風が吹きこみやすい場所なのです。その辺にポイ捨てされたゴミなんかが風に流されて、自然と集まってくるのでしょう。


考え方を変えれば、ある意味、地域の美観に貢献しているといえなくもない。我が家は天然のダイソンなのです。背後に奥羽山脈がそびえる天然のバキュームハウス。それがほし家です。地域のゴミはわたくしたちが引きうけます。偉いじゃないすか。その代わり誰か補助金を月に二万くらいください。


本当の馬鹿になる前にこれぐらいにしておいて、偉いといえばブログもそうです。基本的にブログを定期的に続けている人は偉いと思います。誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に何故か続けている。それができる人は、なかなかいそうでいないわけです。その「なかなかいない人」を、はっきりとした目標をもって、もしくは漠然とした感覚の上でそれぞれやっている、ということですからね。


さらに自分が特定のブログの読者になるかどうかも、「偉さ」が関わるような気がするんです。「このブログいいな」と思っても、そのリピーターになるか否かというのは、内容が優れているとか、また書いてる人が社会的に地位が高いとかも、あんまり関係ない感じが少なくとも私にはあります。じゃ、その差を埋めるのは何かというと、やはりこう、その人のブログに独特の「偉さ」を感じるからじゃないかとなんとなく思います。

 

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で、その「偉さ」とは何かといえば、これも漠然としていてはっきりしないんですが、少なくとも「自分の考えを書いている」ということでしょうか。その人が記事で吐露している考え方が、おそらく誰かのコピーではないという実感を得た時に、「偉い」判定が出されるみたいな感じ。あとブログって「引用」が多いメディアですけど、「引用」は決してコピーではないし、むしろうまく引用して、かつそれに対して独特なコメントをしている人を見ると流石と思い、「偉い」判定が出たりします。


あとは人それぞれ違う環境、異なる性格や能力をもって、日々を送っていることが実感できるブログは、読んでいて「偉いなぁ」と思うんですね。生活が洗練されているとか、そういうのはあんまり関係ないです。じゃなくて、なにかしらの問題と同居しつつ、その人らしく攻めたり守ったりする日々の移り変わりがよく分かるような内容は、読んでいて頭が下がります。


あとはもう内容を超越して、「この人偉い!!」と直感的に感じたりもするので、正直なんかもうよく分かんないですね(笑)。ただ、SNS上でも、リアルで人と付き合うにしても、職業とか性格なんかの影響を無効にする、よく分からない独特な「偉さ」に引き付けられるってことはあると思うんです。そして、そんな偉さを見出した自分を信じたいからこそ、注目を続ける。そういうことではないでしょうか。


自分はたまにブログ論的なことを書きますが、もっぱら書く方ばっかり書いてるので、今回は読む方をちょっと書いてみました。ブロガーというのは「読みつ読まれつ」の関係性で成り立つので、読む方も書かないと片手落ちかなと。なので書けてスッキリしました。ありがとうございます。誰に言ってんでしょうか。おい、プレステ5いつになったらちゃんと買えんだこの野郎。

 


Sandii & The Sunsetz - Sticky Music

誰かの偉さを見いだした時、サムネのように私の眼も光ってる、かも。

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