紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


気分がよかった

ブログを読んで気分がいいぞと思ったのでブックマークした。なにかコメントをつけようか迷ったけれどやめた。ブックマークするときに任意でつけられるコメントは便利なようで厄介だ。わたしはできるだけ何か書こうと思っているが、それはだいたい未来の自分のために、もしくは現在の自分のために書きたいのだが、その記事の筆者がコメントがついたぞと思って見たときに、なんやわからんことが書いてあったらがっかりするのではないか、果ては怒ってくるのではないかと想像してしまうので、わたしと筆者の(または第三者の)落としどころを少しは想定してコメントする。前文で「少しは」と書いたのは、それでもわたしのコメントを見て、違和感をおぼえる人がいたときのための保険である。ここで、筆者が(または第三者が)そんな見方もあるのか、気づきをえたぞアリガトウゴザイマスという反応をすることを想像できない(想像しても肯定できない)のがわたしのネガティブであるところのゆえんである。それはやっぱり、生きづらいよなぁ、とわがことながら思うのであった。(本当にどうしようもないときは鍵付きブックマーク!)

最前のブログ記事を読んで気分がいいと思ったのは何故かよくわからなかった。内容がというのではなく、文章のグルーヴ感とでもいおうか。どこにもたどり着かないがとにかく山を登っている感じ(それも車で)がわたしのまだ寝ぼけた脳を揺らしたのかもしれない。読んでるこちらがポジティブなときにうけとめたものはポジティブになるのかもしれない。でもなんだかそう言ってしまうと、けっきょく人は人で自立しているだけみたいで寂しいので、作品の影響を受けるということにしたいな。なやましいな。