2024年 05月 02日
薛挙と李軌 |
かたや「西秦覇王」を自称し,「秦興」と改元した薛挙,かたや「河西大涼王」を自称し,「安楽」と改元した李軌.薛挙は金城で,李軌は武威で財産家を以て聞こえており,前者は金城府校尉,後者は鷹揚府司馬という肩書きを持っており,権力機構の末端に連なっていた.前者の軍事力は羌以下の先住系非漢族,後者のそれはソグド人のような西方系非漢族.前者は金城から東方の隴右=秦州への進出を狙い,後者は涼州の防衛を目指した.
『通鑑』によれば,薛挙は自立後ほどなくして,称号を「西秦覇王」から皇帝への改めた.自立後,挙の二人の息子は公爵を称したが,皇帝即位にともなって王爵に昇った.これはある意味当然だが(妻の鞠氏は皇后に昇ったが,金城鞠氏か),この例から推すと,李軌も「河西大涼王」からほどなくして皇帝と改めたのではないか.確かに薛挙であれば,金城しかおさえていない段階で皇帝というのは如何なものか,となるし,李軌であれば,武威しかおさえていない段階で皇帝というのはさすがにおこがましい.前者は金城から上邽に拠点を遷した段階で,李軌は河西全域をおさえた段階で,それぞれ皇帝を称したというのは理解しやすい.自立と同時に皇帝を称さなくとも,勢力・版図の拡大を達成した段階で皇帝を称したと考えてもおかしくはないだろう.
こんなことを考えてみた.また修正が必要になってしまった.
by s_sekio
| 2024-05-02 20:34
| その他