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COWCOW「決して『あたりまえ』でなかったブレイクまでの道のり」

2013.05.27 (Mon)
2013年05月26日放送の「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」にて、COWCOWの山田與志、多田健二がゲスト出演していた。

満を持しての上京

COWCOW あたりまえ体操(DVD+CD)ブラマヨ・小杉「大阪で漫才の賞をとって、大阪の番組やってらっしゃったじゃないですか」

COWCOW・多田「はい、ちょこちょこ」

ブラマヨ・小杉「それで上京されたわけですよね」

COWCOWは
・1998年 第19回ABCお笑い新人グランプリ・最優秀新人賞受賞
・1999年 NHK新人演芸大賞(演芸部門)・大賞受賞
・2001年 第36回上方漫才大賞・優秀新人賞受賞
を受賞している。

M-1での挫折

COWCOW・多田「上京した年に、M-1が始まって。それで人生がひっくり返ったというか」

ブラマヨ・小杉「なんでですか?」

COWCOW・多田「M-1はコンビ結成から10年未満なんで、3回挑戦できたんですけど」

ブラマヨ・小杉「はい。2001年から始まって」

COWCOW・多田「2001年、'02、'03と挑戦できたんですけど、この3回とも、決勝に行けなかったんですよ。そこから、もう暗黒の時代が始まるといいますか」

M-1で活躍した芸人の躍進が始まり、劇場でも出番が少なくなっていったというCOWCOW。M-1の出場権を失ったCOWCOWは、目標を見失ってしまったという。なお、2001年M-1の準決勝で始めて『伊勢丹の紙袋』でお馴染みのつかみネタが陽の目を見た。

ナインティナイン・岡村隆史とマネージャーの一言に救われる

COWCOW・多田「ナイナイの岡村さんとは、プライベートでもお世話になってるんですけど」

ブラマヨ・吉田「はい」

COWCOW・多田「『まだ知らんと思うけど、いずれ知るようになるから』ってことを、サラっと言うていただいたことがあったんですよ」

ブラマヨ・吉田「おぅ」

COWCOW・多田「岡村さんって、そう思ってくれてたんやって。ほんなら、もうちょっと頑張らなアカンなって思って」

ブラマヨ・吉田「へぇ~」

芸人の活動としては、『何かをやらなければならない』という思いから、次長課長とユニットライブを行ったりしていたという。ところが、それにマネージャーが異論を呈する。

「そんな馴れ合い、仲良しイベントをやっていてもしょうがない」と。そこで提案されたのが、今の『秒殺』というライブイベントの原型で、後輩芸人たちとギャグで対決するというストロングスタイルのイベントだった。

その御蔭もあり、ギャグをフィーチャーされた番組に呼ばれるようになっていく。その時、相方・ 山田與志は、「R-1グランプリに挑戦する」と言い出したという。

解散の危機を感じていた多田、R-1出場を決めた山田

ブラマヨ・吉田「結構、危ない感じですよね?」

COWCOW・多田「そうなんですよ。そんとき、僕は本当に危ないと思ってたんですよ。それで、『とりあえず、一緒の目標に向かっていかなアカンな』って思って、『じゃあ、俺もR-1挑戦するわ』って言って、挑戦することになったんです」

多田の不安をよそに、それぞれR-1に挑戦することになったCOWCOW。しかし、実は山田與志にはある考えがあったという。

田中邦衛のものまねでR-1決勝に出た山田與志。R-1に出場する意図としては、次のようなことがあったという。

COWCOW・山田「『一人でやっていく』ってことではなくて、コンビでやってたツッコミの方って、いざ舞台で一人になったとき、『俺、何すんねん…』て、とてつもない緊張に襲われるやん?」

ブラマヨ・小杉「めっちゃ分かります!」

COWCOW・山田「そう。それで、『一人でもちゃんと喋れたりせなアカンわ』って思って、R-1を目指したんですよ」

ブラマヨ・小杉「俺も、大阪で一人のライブ(小杉ライブ)やってるんですけど、それを始めたきっかけは、吉田が外耳炎と中耳炎を一気になるって変な病気になって」

COWCOW・山田「いつ?」

ブラマヨ・小杉「M-1優勝して、忙しくなったときです。それで、一人で出たときに、もう緊張して(笑)最初は一人で喋ってって言われてるのに、すぐに『ゲストこの方です!』って呼び込んでもうて。それで、『怖っ』って思って」

4年連続で決勝に進出する山田與志。相方の多田は、応援と嫉妬が入り混じる状態だったという。だが、コンビ仲が悪化するということはなかったそうだ。

売れるためには、コンビ仲が悪くなっている場合ではない

COWCOW・多田「R-1をテレビで僕も観てたんです。笑いが少なかったら、『もっと頑張れよ』ってなるんですけど、すっごいウケたら、『もうちょっと抑えろ』ってなるんですよ」

ブラマヨ・小杉「人間!ヒューマンドラマですよ(笑)」

COWCOW・多田「多分、一番ドキドキして観てたんじゃないですかね(笑)」

ブラマヨ・小杉「コンビの複雑なところやわ」

ブラマヨ・吉田「その間、コンビ仲は悪くなかったですか?」

COWCOW・山田「その時も、仲が悪いって感覚はそんなにはないんですよ」

COWCOW・多田「仲が悪くなってる場合じゃないっていうのがあるんですよ。お互いに、コンビを組んだ以上、頑張っていかなアカンのに。それこそ同世代がブラマヨ、タカトシ、チュートリアルってスターがいる中でね、コンビで仲が悪くなってどうすんねん、と」

ブラマヨ・吉田「あぁ」

COWCOW・多田「踏ん張って、2人スクラム組んでいかなアカンのちゃうかな、とは思ってましたよ」

R-1グランプリ優勝でブレイク

2012年、多田がR-1優勝を果たした影には、山田のサポートがあったという。
決勝での「50音ボックス」というネタは、最初、50音の書かれた表を用いてネタを行なっていたが、それをボックスに50音の書かれたボールを引いてネタを行う、という提案をしたのも山田だったという。

さらに、コンビでR-1に出続けた意味には、山田のある思いがあったという。

COWCOW・山田「"ピン"で出ているけれども、そこで『COWCOWが2人とも出てるやん』思ってもらえたらなって」

ブラマヨ・小杉「それで、多田さんが優勝することになるじゃないですか。そのとき、気持ちはどうだったんですか?」

COWCOW・多田「その時はね、優勝の最後のコメントでも言うてるんですけど、『応援してくれたスタッフさん、お客さん、何よりも相方に感謝します』って言葉を言うたんです」

ブラマヨ・吉田「おぅ」

COWCOW・多田「それを自宅で相方は観てたんですよ」

ブラマヨ・小杉「どうしたんですか、優勝した瞬間は?」

COWCOW・山田「僕が4回やってダメで、もちろん苦しみも分かってるんですよ。なかなか優勝なんかできないですから」

ブラマヨ・吉田「はい」

COWCOW・山田「それをたった1回で。今まで倒せなかった大ボスをいとも簡単に相方が倒して。めっちゃかっこいいやんけって思って」

ブラマヨ・吉田「おぅ~」

COWCOW・山田「その最後のコメントで『相方に感謝します』で泣きそうになって。涙出るわ~ってなったときに、スギちゃん大泣きしてて」

ブラマヨ・吉田「なんで?(笑)」

COWCOW・山田「それで、ス~って(笑)」

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