「結晶による電子線回折現象の発見」
1937年というと、欧米ではナチスドイツが台頭。アジアでは日中戦争勃発。世界がいよいよ第二次世界大戦へと向かっていく時代だ。しかし、この年にもノーベル賞は授与されている。1937年のノーベル物理学賞は何だろうか。
1937年のノーベル物理学賞は、米国のクリントン・デイヴィソンと、英国の ジョージ・パジェット・トムソンに贈られた。受賞理由は、「結晶による電子線回折現象の発見」である。電子線回折現象とはなんだろうか?
電子は粒子性と波動性をもっている。電子を加速し線束にすれば、X 線と同様に結晶の原子面で回折する。この電子線回折を利用すると、X 線と同様に結晶構造を解析することが出来る。1927年、この電子線による回折現象を2人は別々に発見した。
陽子や電子のような物質を構成する基本粒子は、古典力学的にみれば質点(粒子)として取扱 われる。しかし、量子力学によると、これらの物質粒子は粒子性とともに波動性をもっていることが知られている。この粒子(物質)の波動性を、最初に考えたのがフランスのド・ブロイであった。
アインシュタインが1905年に論文において、光電効果を、波動である電磁波を粒子としてはたらくと解釈することで説明した。ド・ブロイは、逆に粒子もまた波動のように振舞えるのではないかということを、1924年に自身の博士論文で提案した(ド・ブロイ波)。この理論は1927年にデイヴィソンやトムソンによる実験によって支持され、ド・ブロイは、1929 年「電子の波動性の発見」により、また、デヴィッスンとトムソンは、1937 年に「結晶による電子の干渉現象の実験的発見」により、ノーベル賞を受賞する。(滋賀県総合教育センター)
クリントン・デイヴィッソン
クリントン・デイヴィソン(Clinton Joseph Davisson, 1881年10月22日 - 1958年2月1日)はアメリカ合衆国の物理学者である。1927年、レスター・ジャマー(Lester Halbert Germer, 1896年 - 1971年)と共に、ニッケル単結晶による電子線の回折を確認した。これはルイ・ド・ブロイの物質波の予測を確認したものである。1937年、別に電子線の回折実験に成功したジョージ・パジェット・トムソンとともにノーベル物理学賞を受賞した。
デイヴィソンはアメリカのイリノイ州ブルーミングトンに生まれた実験物理学者で、彼はブルーミングトンの公立学校に通い、1902年にシカゴ大学に入学してロバート・ミリカンのもとで学んだが経済的事情で学業を続けられず、就職した。ミリカムの推薦で大学の教官などを務めながら1908年シカゴ大学を卒業した。1911年プリンストン大学で学位を得た。
第一次世界大戦が始まると、ウェスタン・エレクトリック研究所(後にベル研究所)で働くようになった。1930年代からは電子線の技術・応用面の研究を行った。1946年までベル研究所で働いた。
デービィソンの業績は、1919年にクンスマンとともに白金板で反射された電子ビームの角度分布を調べ、その角度にいくつかの強い極大を発見した。この現象がド・ブロイの理論で説明できることをエルザッサーが明らかにした。また、このエルザッサーの示唆に基づきデービィソンはジャーマーとともにニッケルの単結晶を用いて、金属箔によって散乱された電子ビームの回折現象を証明する実験に成功した。こうした研究はトムソンや菊池正士らによって発展された。これは電子顕微鏡の理論的研究にもつながった。
1928年にアメリカ科学アカデミーからコムストック賞、1931年にフランクリン協会からクレソン・メダル、1935年王立協会からヒューズ・メダルを受賞している。
ジョージ・パジェット・トムソン
ジョージ・パジェット・トムソン(George Paget Thomson、1892年5月3日・ケンブリッジ – 1975年9月10日)は、イギリスの物理学者である。1937年電子の波動性の証明によってノーベル物理学賞を受賞した。父親もノーベル賞受賞者のジョゼフ・ジョン・トムソンである。
ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで数学と物理学を学んだが、第1次世界大戦の勃発により軍務やファンボロー基地での空気力学の研究などの職務についた。戦争が終わると父親の後をついで、物理学者の道に進んだ。ケンブリッジ大学やアバディーン大学で研究した。
1930年にインペリアル・カレッジ・ロンドンの教授となる。1930年代の終わりから第二次世界大戦中は原子核物理の分野の研究をした。その後、空気力学や、社会における科学の役割についての著述を行った。
ルイ・ド・ブロイの物質波の理論をうけて、1927年に金属多結晶による 電子線の回折・干渉現象を示すことによって、電子の波動性を証明した。その功績によりクリントン・デイヴィソンとともにノーベル物理学賞を受賞した。父親が粒子としての電子を発見し、息子が電子が波の性質を持っていることを示したことになった。
1940~1941年にはイギリス原子力委員会議長、1952~1962年ケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジ学長をつとめた。この時期に核物理学に関心を持つようになり、中性子によるウランの分裂が1939年の始めに発見されたとき、実験のために1トンの酸化ウランを調達するようにイギリスの航空省を説得した。
1940年から英国の原子力研究委員会の議長として核兵器開発を指導し、1941年に原子爆弾の可能性を指摘して、アメリカの原爆開発にも協力した。第二次世界大戦中はカナダのオタワにいて、戦後帰国、重水素の核反応の研究に携わり、1946年には重水素の原子力の可能性に関心を持つようになり、水爆の開発にも役割を果たしている。
電子の波動性と電子回折
物質を細かく分割して いくと、ついには 分子や原子になり、さらに原子は 電子や原子核から 構成されているというとが 明らかになった。つまり物質 は極微の粒子 が集まって構成されている ことが明らかになった。19世紀までの 古典物理学においては、これらの粒子は 古典論 (ニュートン力学と マクスウェルの電磁気学) に従って運動するものと 理解されてきたが、ボーアの量子論 において、この古典論的な 考え方があやしく なってきた。
一方、古典論においては、光 は電磁波すなわち 波動 であると 考えられてい。ところが20世紀に入り、アインシュタインによる、光量子 (光子) の 発見によって、光はあるときは波動であり、あるときは粒子であるという2重の性質(2重性)を持つことが明らかに なった。
このことを考えると、電子や陽子のような 物質粒子は、従来は粒子と考えて いたけれども、場合によっては波動の性質(波動性)を持つかも知れないと 考えたのが ド・ブロイであった。
電子は、X 線に比べ結晶を構成する原子によって強く弾性散乱や吸収されるので、電子線回 折はおもに薄膜、結晶の表面層,微細結晶などの構造解析に利用されている。
電子線回折は、電子のもつ運動エネルギーの違いにより、(i)低速電子線回折(LEED)(約1keV 以下)、(ii)高速電子 線回折(HEED)(約10keV 以上)の2 つに大きく分けられる。
この中間のエネルギーの電子線を 用いるものを中速電子線回折(MEED)(約1~10keV)と呼ぶことがあるが、あまり利用されて いない。デビィッスンとジャーマーの実験はLEED、トムソンの実験はHEED の実験であった。
低速の電子は、表面のごく浅いところまでしか達することができないので、LEED は結晶表面の 第1 層程度までの構造研究に適している。
原子炉から放出される中性子線を結晶にあてると、X 線や電子線と同様に回折現象をおこす。 また、1929 年にシュテルン(Stern)はヘリウム原子や水素分子も回折を起すことを示し、原子や 分子にも物質波が存在することを示した。このことにより、電子のような物質を構成する基本粒 子(素粒子)だけではなく、広くすべての粒子がド・ブロイの関係式に従う波動としての性質を もつことが分かった。
参考HP Wikipedia:クリントン・デイヴィソン ジョージ・パジェット・トムソン ド・ブロイ波
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