なぜゲームは愛されるのか――次世代ゲーム機までのミッシングリンク

http://www.itmedia.co.jp/games/articles/0505/27/news095.html
『ITmedia Games』:小林仁
 E3のキワモノ揃い(失礼)ブース、KENTIAのレポートですが、
“History of Video Games”についての凄く興味深い記事が。
長文ですが引用しておきます。
 


 ところで、こうした展示を歴史順に追っていくと、
実は非常に面白いことが見えてくる。
先ほども述べたように、北米は一度ビデオゲーム業界の
繁栄と衰退を一度体験している。
1983年に起きた北米ビデオゲーム業界の氷河期として知られる
“アタリショック”は
「ゲームソフトの粗製濫造によって消費者がゲームに
興味を持たなくなり市場が崩壊した」とよく言われているが、
その氷河期時代(NESが登場する1986年までの間)のアーケードゲームは
「ドンキーコング」「ゼビウス」「マリオブラザース」「グラディウス」などなど、
日本のアーケードゲーム文化がまさに華開いた時期にあたる。
 
 そして、実際にそうした1980年代前半のアーケードゲームが
海外のユーザーでも熱狂的に支持されているのを見ると、
「本当にビデオゲームが飽きられたのだろうか?」という疑問が
ふつふつとわいてくる。
 
 当時の海外用ゲームコンソール(とのそのパッケージ)を
時代順に調べてみると、日本のゲーマーと同様に北米のゲーマーたちも
「自宅でアーケードクオリティのゲームが遊べる」ことが重要だったことは
想像に難くない。しかしながら、1982年に発表されたコレコビジョンのヒット以降、
海外メーカーは「コモドール64」をはじめ“ゲームもPCも遊べる”
ホームコンピュータ路線にシフトしてしまった
(かつて日本でもPC-6001シリーズやMSXが台頭してきたように)。
 
 この結果、ハイエンド/ミドルエンドユーザーは
その後PC(IBM PCは1981年に登場した)に流れていくが、
カジュアルユーザーの多くがローエンドゲーム機にとどまらざるを得ず
「アーケードのようなゲームを遊びたいのに自分のゲーム機では遊べない
(しかもソフトの価格は暴落してクソゲーばかり)」状況になっていた、
と思われる。
 
 つまり“アタリショック”とは
「最新アーケードゲームの急激な進化に
従来の家庭用ゲームコンソールが追いつけなかった、
もしくはメーカー側が消費者が求めるゲームコンソールを出さなくなった」
ことが引き起こしたのではないか、という見方ができるわけだ。
 
 
 
 関連リンクとして、『Classic 8-bit/16-bit Topics』内の
http://d.hatena.ne.jp/hally/20040514 
http://d.hatena.ne.jp/hally/20040523
の2日分の日記をリンクしておきます。
いわゆる「アタリショック」についての非常に興味深い考察です。
 
 そして、小林仁さんのこの言葉が凄くいい。

 
 さらにこういう見方をすることによって、北米でなぜこれだけマリオが、
任天堂が長年にわたって愛されているのかもなんとなく理解できてくる。
なぜなら彼らゲーム好きにとって、NintendoはアタリVCS〜コレコビジョンで途絶えた
「アーケードクオリティのゲームがまた手軽に遊べるゲームマシン」を
再び提供してくれた“救世主”だっ たのだから。
質のいいタイトルを出し続けてきたブランドに対する信頼も含め、
任天堂がこれだけ高い求心力を持っているのは、なるほどこうした
“歴史”を持つからこそなのかもしれない。

 
 なにげに、レボリューションについての批評になっているのが凄い。