インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

Twitter(X)はその歴史的役割を終えました

雑誌『文學界』2024年10月号の特集「インターネットとアーカイブ」で、pha氏が「インターネットが現実になるまで」というエッセイを寄稿されていました。その中で特にTwitter(X)について「われわれが好きだった平和で楽しいTwitterはもうとっくの昔に失われて」おり、「インターネットは現実と同じものになってしまった」と嘆いておられます。

Xは本当にろくでもない。炎上や糾弾や怒りや煽りが毎日のように飛び交って、次は誰を吊し上げればいいかをみんな常に探し続けている。それでも、結局ほとんどの人がXを使うのをやめられずにいる。惨状に文句を言いながらも、いつの間にかそれが目常になってしまい、みんな普通に使い続けているのは安っぽいSFのようでちょっと面白い。いや、別に面白くはなくて普通のことか。この現実世界だって本当にひどいことが日々起き続けているけれど、そんな中で小さな楽しみを見つけながらみんななんとか生きていっているのだから。


文學界 2024年10月号

私が10年以上にわたって耽溺していたTwitterから「降りた」のは2021年の冬だったと記憶しています。その後も未練がましくフィンランド語用の別アカウントだけ残してありましたが、これも昨年完全に削除しました。2021年当時でもすでに「ろくでもない」状態になりつつあったTwitterでしたが、氏の文章を読むかぎり、それから数年でさらに事態は悪化しているようです。

でもpha氏のおっしゃる通り、使い始めた当初はとても「平和で楽しい」空間だったんですよね、Twitterって。「祭り」といえばいまではほぼ「炎上」に等しいネットスラングになっちゃいましたが、当時は平和で楽しくて知的な香りすら感じられる「祭り」もあったのです。私も「参戦」していた2010年ごろの「翻訳・通訳者たちの川柳まつり」なんか、いま読み返してもおもしろいです。

togetter.com

それから2018年ごろの「いっけなーい 殺意殺意」から始まる大喜利的な一連のツイートも、多少の毒気と悪ノリ感はありつつも、ユーモアと悲哀と、あとちょっとだけそれぞれの専門や持ち場に対する自負や矜持みたいなものも感じられて、なかなかに楽しいものでありました。

いまでもこういう「祭り」はあるのかもしれませんが、それをはるかに上回るボリュームの「炎上や糾弾や怒りや煽り」がタイムラインを埋め尽くすようになったのですね。

私はすでにアカウントは削除していますが、上に挙げたような「まとめサイト」とか、あとどなたかが引用してくださっているブログなどで、かつての自分のツイートを見つけることがあります(まさにデジタルタトゥーですな)。ああ、そんなことをつぶやいたことがあったなあと思うと同時に、なんというか、けっこう牧歌的な場所だったんだなあ、かつてのTwitterって……といまにして思います。

Twitterに限らず、SNSの諸サービス(FacebookやInstagramやPinterestや……)にはことごとく手を出してきた私ですが、いつのまにかアテンションエコノミー(注意経済)の色彩が濃くなり、どこか違和感を覚えるようになっていたものの、気づくとほぼ依存症のような状態になっていました。いまだからこそこうやって客観的に振り返ることができますが、当時はスマートフォンをいつも手元に置き、それこそ数分間とあけずに何度もタイムラインを見に行く、あるいは自分のツイートに「いいね」やリツイートやコメントがついていないかどうかを確かめに行っていました。

それで「これじゃダメだ」と強く意識し始めてからSNSとの関わりを見直し、実際にすべてのSNSアカウントを削除して「降りる」まで、けっこうな時間と思考を要しました。SNSとアテンションエコノミーに関する書籍もたくさん読みましたし、それをベースにブログにもたくさん文章を書きました(書くことで考えることもできます)。それでも優柔不断なので、解脱できるまでに都合3年くらいかかったかしら。pha氏はエッセイの最後でこうも書かれています。

なんで自分はこんなひどい場所にいるんだろう、と思いつつ、それでもXのタイムラインを追うのをやめられないのはもはや依存症のようなものであるのはわかっている。

おそらく、Twitter(X)はその歴史的な役割をすでに終えたのでしょう。誰もが手軽に情報を発信できるようになったことが世の中に対する最大の貢献だともてはやされた時代はとうに過ぎ去り、いまや「良質な発信」(宇野常寛氏)が問われる時代になった。でも承認欲求と注意経済と、ただ単に個人的な溜飲を下げるためだけの「通り魔的コメント」ばかりがボリュームを増しつつある X に、もうそんな問いは届かないでしょう。

捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。だいじょうぶ、XのみならずSNSを全部降りても、まだまだ世の中とつながるすべは他にもたくさんありますよ。