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カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「定本 消されたマンガ」赤田祐一 +ばるぼら 彩図社 いわゆる企画本の文庫化で、この手の本は普通買わないのであるが、つい手に取ったら思った以上に調べていて、所謂「抹殺された作品」のすべてではないが、多くを網羅していた。権利上の問題もあるから、その作品の掲載はあまりできていないが、存在の所在だけでもわかったのは、有益だった。(古書マニアにとってはいい参考本になっていると思う)。 以下参考になった一部をメモする。 ◯当時の国民マンガ「のらくろ」は強制的に終了させられた。1941年、田河水泡は商工省に呼び出され執筆禁止を言われる。曰く。「あんたがのらくろをやめれば、きっと少年倶楽部の売れ行きが落ちる。用紙の節約になる」当時は印刷用紙を統制する動きがあった。のらくろは内容的に国策に決して批判的なマンガではなかった。しかし権力者はこの時点では既に反戦以外でも「表現の自由」などは関係なくなっていた。 ◯手塚治虫が自ら永久欠番にしたり、作り変えたモノもある。「妖怪探偵団(1948)」は、狂人(きちがい)病院の中の精神異常者がどんどん登場する本。永久欠番になっている。「ブラックジャック ある監督の記録(1977)」はロボトミー手術を手塚本人が誤解していたと後で改稿した。 ◯「8マン」は人気絶頂の時に桑田二郎の銃刀法違反逮捕のために、1965年3月21日号少年マガジンをアシスタントが代筆を務めて最終回を迎える。私がマンガを読み始める直前の話だったのだと今気がついた。今驚くのは、8マンのエネルギーが小型原子炉で、定期的に「タバコ型冷却剤」を吸わないと電子頭脳がオーバーヒートする設定になっていたこと。変なところが抜けていて、変なところがリアル。 ◯「ハレンチ学園」の「有害論争」(1969-70)は有名である。私には、リアルタイムの話。遂に一回もスカートめくりを実行できなかったことは、男としての度胸のなさとして、一つのトラウマとなっている。しかも、この本を読むと永井豪の「発明」ではなかった。テレビ番組「やあ!やあ!ガキ大将(1969.6.29)」で「オッパイモミモミ」と「スカートめくり」が最近の流行りとしたのを見て描いたらしい。しかも最初のマンガ登場は既に流行していた小川ローザの「Oh!モーレツ」を見て真似するというところから始まる。 ◯「アシュラ(1970.8.2「マガジン」初連載)」は衝撃的だった。しかも、最初から不買運動が始まった。神奈川から岡山、愛媛、愛知でも有害指定された。道理で最初の衝撃だけ記憶があって、その後の展開の記憶がない。1981年「ジャンプ」で読み切りで完結編が載ったらしいが、全く記憶にない。 ◯当時私は、毎週土曜日か日曜日、自転車を30分こいで、近くの商店街の本屋で二時間ほどかけて「マガジン」「サンデー」「ジャンプ」を立ち読みして「チェック」するのがルーティンだった。5歳から始めた私のマンガ鑑賞は紆余曲折をともないながら、35歳までは続いたのだから、「マガジン」「サンデー」に関しては、30年間読者であったという自信がある。しかし「チャンピオン」はあまり自信がない。よって、「魔太郎がくる‼魔太郎の生い立ち(1975.11.10)」で単行本未収録になったという回を見た覚えがない。どうやら作者たちの写真コピーを使った生々しいいじめられ体験を使ったらしい。 ◯「ゴルゴ13」の単行本未収録は四本らしい(うち一本は後で解禁)。 一本目、第237話「幻の栽培(86.4)」。イラン・イラク戦争でのホメイニ師の影武者を描いた回。 二本目、第245話「スワップ・捕虜交換(86.12)」。PFLP(パレスチナ解放人民戦線)をモデルにして「PLO情報部」として描いたら、当時テロの放棄を宣言していたPLOから苦情、2007年言葉の変更で再録が許された。 三本目、第266話「バチカン・セット(88.8-9)」。バチカン司教の権力闘争や小児性愛を扱う。 四本目、番外編「告発の鉄十字(93.2)」。二重人格もの。 面白いのは、最初から自主規制で朝鮮半島を舞台にしたエピソードが一つもないこと。確かに! 2017年4月読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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