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本シリーズでは、所有している古いデジタルカメラ (一眼レフ、ミラーレス機)の名機等で、時代の 近いものを、2機種~4機種程度選出して、対決 (や解説)をする記事群である。 今回は「一眼レフ・フルサイズ元年編」とする。 「フルサイズ元年」とは、2012年に各社から 多数のフルサイズ・デジタル一眼レフが発売された 事にちなむ、本/旧ブログでの独自用語だ。 今回は、2012~2013年発売の、CANON、SONY、 NIKONの各フルサイズデジタル一眼レフ3機種、 具体的には、 2012年:CANON EOS 6D 2012年:SONY α99 2013年:NIKON Df の対決記事とするが、本記事は対決というよりも フルサイズデジタル一眼レフの定義、得失や、 何故フルサイズ機を志向するのか?等の、市場の 話が主体となる。 では、まずは、CANON機から。 カメラは、CANON EOS 6D(フルサイズ機) (2012年発売、発売時実勢価格約20万円弱) (中古購入価格 83,000円) 紹介記事:デジタル一眼レフ・クラッシックス第16回 (注:紹介/参考記事はいずれも旧ブログ。以下同様) レンズは、SIGMA 135mm/F1.8 DG HSM | ART (2017年発売)を使用する。 次いで、SONYフルサイズ機(一眼レフ) カメラは、SONY α99(フルサイズ機) (2012年発売、発売時実勢価格約28万円) (中古購入価格 64,000円) 紹介記事:デジタル一眼レフ・クラッシックス第26回 レンズは、MINOLTA STF 135mm/F2.8[T4.5] (1998年発売)を使用する。 --- 最後に、NIKONフルサイズ一眼レフ。 カメラは、NIKON Df (フルサイズ機) (2013年発売、発売時実勢価格約28万円) (中古購入価格 160,000円) 紹介記事:デジタル一眼レフ・クラッシックス第17回 レンズは、NIKON AF-S NIKKOR 105mm/F1.4E ED (2016年発売)を使用する。 以下、各システムで撮影した写真や、説明用写真を 挟みながら記事を進めて行こう。 (下写真は、EOS 6D + A135/1.8) さて、まず「フルサイズ機とは?」という定義の 話だが・・ これは単純に、銀塩35mm判(注:「版」は誤り) フィルムのサイズ(横36mm x縦24mm)と同等の 撮像センサーの大きさを持つ、デジタルカメラの事 を指す(一眼レフ、ミラーレス機、コンパクト機、 デジタル・レンジファインダー機、等が存在する) なお、海外では「Full-frame」(フルフレーム) と呼ばれる事が一般的な模様だ。 ただし、これらの撮像センサー(主にCMOS型) のサイズは、ぴったり35mm判フィルムと同じでは 無く、多少(コンマ数mm程度)小さい場合もある。 銀塩(フィルム)時代では、現代のデジタル時代 と同様に、フィルムには様々なサイズがあり、 それらを「フォーマット」と呼ぶ場合がある。 代表的なフィルム・フォーマットを以下に挙げる。 *ミノックス判:11x8mm *110(ワンテン)判:17x13mm (参考:現代のμ4/3や4/3のセンサー規格では、 17.3x13.0mmと、ほぼこの110判と同じ) *APS判(IX240フィルム使用) ・APS-H:30.2x16.7mm ・APS-C:23.4x16.7mm ・APS-P:30.2x 9.6mm (注:現代のAPS-C型撮像センサー搭載一眼レフの 場合は、概ね約24x16mm程度のサイズとなる) *35mm判(135判フィルム使用) ・ハーフ判 :18x24mm ・変形35mm判:32x24mm等 ・35mm判 :36x24mm(フルサイズ) *中判(120判/220判フィルム使用) ・カメラに依存、6x4.5cm(セミ判) 6x6cm(ローライ判)、6x7cm、6x8cm、 6x9cm(ブローニー判)等・・ いずれも縦約56mm。 (参考:現代の中判デジタルカメラは、ここまでの 大きさのセンサーサイズでは無い場合も多い。 例:FUJIFILM GFX(50/100系)は43.8x32.9mm すなわち35mm判フルサイズよりも大型のセンサー 搭載機を「中判デジタルカメラ」と呼ぶ) *大判(シート状フィルムを使用) ・カメラに依存、4x5inch(シノゴ)、 13x18cm(大キャビネ) 8x10inch(エイトバイテン)等 (注:1inch = 2.54cm) *その他: ・8mm、16mm、ディスク(8x11mm)、126判 127(ヴェスト/ベスト)判・・・等 また、それぞれには、カラー/モノクロの区分や、 感度(ISO感度)、ネガとポジ(リバーサル)、 色温度(デイライト、タングステン等)、 形状(ロール、シート等)、インスタントフィルム、 波長(可視光、赤外線、放射線、X線等)の 様々なバリエーションが存在する。 専門的用途の場合を除き、一部の種類のフィルムは 現代2020年代では、入手も現像も困難なものが多い。 これ以上の、銀塩(フィルム)の説明については 冗長になる為、割愛しよう。 (下写真は、α99 + STF135/2.8) さて、ここからデジタルでのフォーマット (センサーサイズ)についても、ごくごく簡単に 述べておく。 *産業用 :1/5型~1/2型程度(各々数mm角程度) *1/2.3型: 6.2x 4.7mm *1/1.7型: 7.5x 5.6mm *2/3型 : 8.8x 6.6mm *1型 :13.2x 8.8mm *4/3型 :17.3x13.0mm(注:μ4/3も同じ) *Super35mm:24x14mm(シネ用、等) *APS-C型:約24mmx約16mm *APS-H型:約28mmx約18mm *フルサイズ:約36mmx約24mm *中判デジタル:フルサイズ以上 となる。 (下写真は、NIKON Df + AF-S105/1.4) さて、こからは、デジタルでの話とする。 まず、センサーサイズが違うと、どんな得失が あるのだろうか? <大型センサー機の長所> ・解像度(画素数)を上げられる (注1:ただし、この事が「画質が良い」という状態 とは完全にイコールになる訳では無い) (注2:解像度という用語は、基本は画素数の事である。 だが、この用語はビギナー層等の間で曖昧に使われて いる。本/旧ブログでは、解像度、解像力、解像感は 全て異なる意味・定義となる→匠の写真用語辞典参照) ・小型センサー機と同じ画素数ならば、ピクセル ピッチが広くなり、ダイナミックレンジが向上 したり、高感度化等が可能となる。 ・上記、ピクセルピッチが広い事は、低解像力の オールドレンズや特殊レンズの母艦として適する。 ・銀塩35mm判用レンズや、フルサイズ用特殊 レンズを、本来の画角で使えたり、特殊効果の 効能(例:魚眼、シフト、ぐるぐるボケ等)を 正しく得る事ができる。 (注:超広角等の特殊レンズならば、話はわかるが、 一般的な、準広角や標準レンズ等については、 「レンズを本来の画角で使う」という事において、 どれだけのメリットや優位点があるのだろうか? そこは、極めて疑問であり、個人的には、全く 気にしていない/その思想には賛同していない) ・小型センサー機よりも被写界深度を浅くできる。 (注:小型センサー機と同一画角で撮った場合の 話であり・・ 同一の単焦点レンズを付け替えた 程度では、センサーサイズの差による被写界深度 の差異が顕著に現れる事は無い) ・小型センサー機よりも広角画角が得易い。 (注:反面、望遠画角が得難い) <大型センサー機の短所> ・大型センサーの製造コストが高くなる。 概ね、カメラ自体も高価となる(→高付加価値型) (注:センサーの部品代自体の上昇以上に、カメラ製品の 価格は遥かに高額になる。→つまり、これが「付加価値」 という意味であり、メーカー側は、それで利益を得て 消費者は、メーカーや流通に、せっせと、お金を貢いで いる事となる) ・一眼レフの場合、ミラー駆動が負担となり、 高速連写を行う事が難しくなる。 (注:現代では、機械式シャッターの性能向上により この問題は、ほぼ解消されている。 --- →その意味は「電子(撮像素子)シャッター機能が 進歩した」という意味では決して無い。本ブログでは、 本記事執筆時点において、「電子シャッター」の効能や その実用性を認めていない。→カメラ市場の縮退を 起因としたカタログスペックの向上であり、例えば 「秒60コマで、たった1秒間すらも連写が出来ない性能を、 どうして実用的だと言えるだろうか?」という感じだ) ・記録画素数を大きくした場合、連写性能に影響が 出たり、記録メディア等への保存容量が増える。 ・交換レンズが、フルサイズ対応のイメージサークル を持つ為、大きく重く(高価に)なる。 ・画角(/センサーサイズ)に比例して増大する 収差がある為、オールドレンズや低価格帯レンズ では、画面周辺の収差が増えて低画質化する。 ・一眼レフやミラーレス機の位相差検出AFでは、 広い範囲の(多くの)AF測距点を持たすのが 困難であったり、その選択操作の悪化を招く。 だいたい以上である。 まあつまり、常にフルサイズ機が、APS-C機や μ4/3機に対して有利(優れている)訳では無く、 必要に応じて、センサーサイズの異なるカメラを 選択するのが望ましい訳だ。 これはまあ、フィルム(銀塩)機/時代の場合でも 同様であろう、多くのマニア層や上級層等は、 撮影条件や被写体に応じて、様々なフォーマット のカメラを持ち出すケースがあった次第だ。 ところが、現代の消費者/ユーザー層や市場等 では、皆が口をそろえて「フルサイズ機が良い」 と言う、これは何故なのか? 以下、そのあたり を分析していこう。 (下写真は、EOS 6D + A135/1.8) 「フルサイズ機が良い」というのは、市場/業界 (メーカー、流通、メディア等)が、消費者や ユーザー層に対して、「付加価値」を提示した、 という事に他ならない。 「付加価値」とは、消費者層から見れば、 ”その商品を欲しいと思う、魅力、意義”であり、 メーカーや流通側から見れば ”高く売る為の理由、利益そのもの”である。 (注1:この用語は、使う人の立場で意味が変化する 都合の良い言葉だ。本/旧ブログでは消費者側の立場で 物事を語る事が多い為、「付加価値」とは、通常は ”望ましくない、好ましくない”状態を示す事が多い。 典型例としては、「そんな、役に立たない付加価値は いらんから、もっと機材の値段を下げて欲しい!」等) (注2:概ね、銀塩時代でのカメラ誌の記事内容や 評論家等による論調は、消費者/ユーザー視点(立場) で物事を語る事が多く、当時においては、メーカーは むしろ「敵」であり、カメラの欠点等を、メーカー側 に申し立てをして、弁明を聞くような事すらもあった。 つまり、当時の「メディア」は消費者の味方であった。 --- だが、2000年代後半頃からか? 雑誌やWeb等の記事 内容は、殆どがメーカー側の立場での「宣伝記事」の 様相が強くなり、以降、ずっとその傾向が続いている。 --- つまり、現代におけるメディアは、市場縮退した (すなわち、全く売れていない)カメラやレンズの 販売を促進する為の立場や視点で物事を語っている だけで、消費者/ユーザー側の立場に立っていない。 これは、非常に残念な事であるし、しかも、そうした 「販売の為の情報」は、一切参考に値しなくなった。 --- この歴史と連動し、2010年代頃から、カメラ誌等が 次々に廃刊になっていた事も、理由は明白だ。 それは、Web(インターネット)記事が主体になった からではない。雑誌や書籍に対して「お金を払って それを買って読む」という事は、それは消費者に とって意味や価値のある情報が提供されていたからだ。 --- しかし、雑誌等が全て「新製品の宣伝記事」になって しまったならば、消費者は、そのようなモノにお金を 払う筈が無い。 だから、カメラ誌等は絶滅危惧種になった訳だ。 --- ちなみに、現代での流通サイドによる、Web記事等は、 それを閲覧する自体は無料であるが、アフィリエイト 等での、別の収益構造が存在している。 しかし「タダより高いものは無い」訳であり、それらの Web情報の、ほぼ全てが「宣伝記事」であるならば、 全くもって消費者には役にたたない情報となってしまう。 --- そんな広告宣伝の情報に、過剰な迄に反応するのは、 何もわかっていないビギナー層だけだ。 だから、近年において高価な(高価すぎる)カメラや レンズの新製品を購入するのは、そうしたビギナー層 ばかりになってしまった。 --- 本来、消費者/ユーザー目線での情報を提供する立場で あっただろうマニア層やハイアマチュア層は、近年では 激減してしまった。中には、マニアから流通サイドでの 宣伝記事を書く立場に転換してしまった人すら見かける。 --- でも、なんか根本的におかしくないか? いったい何で、 こんな消費者が弱い世情になってしまったのだろうか?) ・・で、「付加価値」は、時代とともに変化する。 まずは銀塩時代、例えば1960年代位だと カメラが一般層に普及し始めたが、一眼レフや フィルム代は、まだ高価であった。 だから、この時代では、コンパクト機で、かつ ハーフサイズのものが人気となった、つまり、 ハーフサイズ機は、同じ1本のフィルムで2倍 の枚数が撮影できるからだ。つまりハーフ判の カメラが、この時代での消費者側の「付加価値」 となった訳だ。 しかし、この時代での「付加価値」は、まだ「まとも」 である、あくまでユーザー側の利点に沿っていた訳だ。 1970年代、高度成長期とともに、一眼レフの 一般層への普及も始まる。それ以前の時代の 一眼レフは、フルマニュアル(手動露出、手動 ピント)であり、専門的知識が無いと扱えない 機材(カメラ)であった訳だ。 この時代、「誰にでも写真が撮れるようにする事」 がカメラ技術発展の根幹であり、それがユーザー 層に対する「付加価値」にも繋がっていく。 この時代に発展した技術には、AE(自動露出)が あり、シャッター優先や絞り優先の機能が実現した。 これで、ユーザー層は、絞りがいくつで、その場合 シャッター速度がいくつか?などを、一々調整を したり考えたりする必要がなくなった訳だ。 (注:とは言え、上級層であれば、自動露出等は 不要な場合もある為、この「付加価値」は、一概に ユーザー層側の立場となっているとも言い切れない) しかし、この時代、市場やユーザー層の一部では 「絞り優先と、シャッター優先と、どちらが 優れているか?」という無意味な論争に 走ってしまっていた。 そんな事は、まるで、「ゴジラとモスラとでは どっちが強いか?」だとか「ラーメンとカレーの どちらが美味いか?」といった、結論が出ない話だ。 それらのAE機能の優位性は、被写体の状況に よりけりだし、両者、各々長所も短所も存在する。 優劣を議論するより、まずは、そういう「自動化」 のコンセプトそのものを評価するべきであろう。 1970年代の末になると、数社から「両優先」 のカメラ(すなわち、絞り優先AEも、シャッター 優先AEも、どちらも搭載されている)が出現 すると、「どちらが優れているか?」論争は、 急速に沈静化する、まあ、当然の話であるし、 そもそも、論争をする必要性も一切無かった。 「両者は得失があるから、両方積んで欲しい」 と、メーカーにニーズを訴えれば良かった話だ。 1980年代となると、次なる自動化のニーズは AF(オートフォーカス、自動ピント合わせ) となる。なかなか困難な技術開発だが、数社は 良く、これを成功させた。 だが、ここでAF化に追従できなかったメーカーも 多かった事も、認識しておくべき歴史であろう。 「シャッターを押すだけで、(何も考えずに) 写真が撮れる」という付加価値は非常に大きく、 1980年代後半からバブル時代にも入った為、 「AFカメラ万能」を皆が思っていた時代であった。 1990年代後半、既にバブルは弾け、阪神淡路 大震災等の大きな災害もあって、消費者の価値観 は大きく変っていく。 もう「AFカメラが万能だ」などという意識は ユーザーの誰にも無くなり、むしろそういう新型の カメラに反発する意識が強かったからか、そこから 空前の「中古カメラブーム」に突入してしまう。 古い、手動調整が必須なカメラが、飛ぶように売れ、 希少なカメラの売買で差額利益を稼ごうとする 「投機層」まで多数現れた、昏迷の時代であった。 (注:近年のコロナ禍の時代でも、金の使い道が無く、 各市場で「投機」や「転売」が横行するようになった) (下写真は、α99 + STF135/2.8) 2000年ごろ、幸か不幸か、デジタル時代に突入 すると、銀塩機は急速に人気を失い、同時に 中古カメラブームや、中古カメラバブル(投機) も(一旦)終焉する。 デジタル化での大きな付加価値は「フィルムが 不要になった、便利なカメラ」である。 ただ、あまりにデジタル化への移行はスムース すぎたかも知れない。デジタル(一眼レフ)機の 外観が、旧来の銀塩機とあまり変わらず、かつ 同じレンズが、銀塩機でもデジタル機でも共用が 出来たため、デジタル化に際して、様々な 写真(撮影)的な要素が大きく変貌した事に、 多くのユーザー層は気づいていなかった状態だ。 (参考:「画像編集(レタッチ)は邪道だ」等の 極めて奇妙な事を言うユーザー層が多い時代だった。 →要は、そういう事を言う人は、フィルム(銀塩)撮影 での中上級層クラスであり、自身が、それまで、多大な 時間や金銭を費やして得た銀塩写真撮影のノウハウが、 デジタル化により、全くのゼロからの再出発になる事が、 許せなかったから、自身が出来ないPC等での「画像編集」 を、一切認めたく無かった訳だ。 --- →なお、銀塩撮影での上級層あるいは職業写真家層ですら デジタル関連の知識を全く持っていなかった時代の為、 自身の銀塩撮影スキルが高ければ高いほど、デジタル撮影 に反感を持つ事は、極めて多くあった。 →他の例としては、デジタルカメラの機能を全てデフォルト のままロックしてしまい、一切の撮影設定操作を行わない 上級層や職業写真家層も多かった。 そこには「誤操作防止の為」という言い訳もあったのが 要は、デジタル撮影の概念を理解しておらず、デジタル機の 設定操作をしてしまうと、もう元に戻せないのでは?という 不安が存在した次第だ。勿論、勉強不足・理解不足が原因 であるのだが、銀塩撮影のスキルが高ければ高い人ほど、 自分が、ゼロから「学びなおし」となる事が、どうしても 許せない事だと思ってしまったのであろう。 情けない話だが、これが、その時代での真実だ) ・・「デジタル撮影に銀塩での経験値は通用しない!」 この事を危惧した業界等では、「デジタルの常識は フィルムの非常識」といったスローガンを 広めようとしたが、これでは「何をどうしなさい」 といった具体的な表現では無いので、それも全く 広まらない。 結局、それからの時代も、ユーザー層の「デジタル への不理解」は長い期間続いている・・ で、2000年代を通じて、デジタルカメラは大きく かつ速く進化した。新鋭機が次々に発売されると、 機能や性能は勿論向上し、値段が下がる傾向さえも 見られた。メーカー側としても、このあまりに速い テンポに追従していくと、湯水のように研究開発費 を使ってしまう為、事業の継続が苦しくなる。 この時代、いくつかの老舗カメラメーカーも カメラ事業から、潔く撤退してしまっている。 (潔いが、ユーザーからしたら困った状態だった) 残ったカメラメーカーは、さらなる性能の向上を 目指した。その主眼は「記録画素数の増加」だ。 「画素数が大きいカメラは、綺麗に写る良いカメラ」 という常識を、メーカーは消費者に植え付けようと した。まあ、概念的には単純だから、誰もがそれは 正しいと思い込んでしまう。(注:常にそうだとも 言い切れないのだが、詳細になる為に割愛する) この時代の、新製品のレビュー等を見ても、 「従来機が600万画素だったのが、新型機では 800万画素となった、圧倒的に良く写る!」 等の、「オイオイ、それは本当の事か?」といった 単にカタログスペックだけを比較して、優劣を 語るような風潮が当たり前となった。 (→雑誌、Web等でのレビュー記事等の信憑性が 大きく下がったのも、2000年代前半からだった。 やはり、新規技術である「デジタル光学」への 不理解・不勉強が、最大の課題だったのだろう。 なにせ、記事を書くライターや専門評価者ですら、 ほんの昨日まで、銀塩撮影をやっていた人達だ) この時代(2000年代後半)から、個人的には 「カメラ専門誌がつまらない(信用に値しない)」 と判断し、それまで非常に多くのカメラ誌を 購読していたのを、全て停止した。 他のマニア層等も同様に感じたのか、カメラ誌の 売り上げは、ここから急速に下降線を辿り、 後年の時代では、書店に置いていなかったり、 いつの間にか廃刊となってしまったものもある。 カメラ誌に変わって台頭してきたのは、 インターネット上での情報提供サイトである。 消費者層は「雑誌を買う必要が無く、タダで読める」 と喜んでいたかも知れないが、タダより高いモノ は無い、という話もある通り、そういうサイトが どう運営されているか(何で利益を得ているか?) は、良く考えてみる必要があるだろう。 広告、宣伝、アフィリエイト、情報操作、様々な ビジネス的な背景が、そこにも存在している。まあ それは当たり前の話だ、無償での情報提供は困難だ。 私は「ネットも信用がおけん」と感じて、これらを 閲覧・参照する事も、もうやめてしまった。 この時代、最も参考に値したのは、マニア層等が 記載する、詳細で精緻なユーザーレビューであった。 彼らは、別に損得で記事を書いているのでは無い から、正直に、思った事を書いたり、機材の弱点を 咎めたり、(多少信憑性に欠けるかも知れないが) できるだけ正確な情報を読者に提供しようとする。 (注:後年には、ユーザーレビューも激減してしまう) さて、だが、「画素数競争」も、2010年前後と なると、もう限界を迎える。 一番の原因は、製造技術の頭打ちであろう。 撮像センサーのピクセルピッチが、4μmとか、 そのあたりともなると、もうそれ以上の微細な 加工ができる機械も無いし、そういう大掛かりな 機械(製造装置)そのものにも、大改良(や、新鋭 設備への入れ替え)が必要な訳なので、非常に大変だ。 同時に、2000年代末には、スマホが登場し、 旧来からの携帯電話カメラでの「写メール」より、 SNS等と組みあわせた、社会的コミュニケーション ツールとしての用法が始まる。つまり、普通に 日常写真を撮るならば、スマホの方が、本格的な カメラよりも便利になった訳だ。 本格カメラの方は「ミラーレス機」が2008年に 登場(上写真は、史上初のミラーレス機である、 Panasonic (LUMIX) DMC-G1、2008年) これもまた「一眼レフは欲しいけど、大きく重く 高価だし、黒色ばっかりで地味で、お洒落では無い」 というニーズに応えてヒットし、2010年代前半 まで、一眼レフを駆逐しそうな勢いを見せていた。 (下写真は、NIKON Df + AF-S105/1.4) 一眼レフが売れなくなり、慌てた(?)一眼レフ 陣営は、2010年代初頭頃には、自社においても ミラーレス機を発売するとともに、一眼レフには、 新たな「付加価値」を与えなくてはならない。 ここでの「付加価値」は、いわゆる「超絶性能」 であろうか・・ 「超絶性能」の具体例としては、「フルサイズ化」 「超高感度化」「ローパスレス化」「超高画素化」 「超強力なAFやドライブ性能」「動画撮影機能の充実」 「エフェクト機能の充実」「被写体認識型AF」 「WiFi等でのスマホやネットワークとの連携機能」 「連写合成(HDR、その他)」等がある。 これらは、そう簡単にはスマホやミラーレス機では 実現が難しい機能・性能であり、一眼レフならでは の特徴を打ち出し、シェアを盛り返す事が可能と なったり、あるいはこれらの「付加価値」により カメラの価格を上げる事が出来るから、たとえ 一眼レフの販売数が減ったとしても、利益率を 向上できれば良い、という市場戦略と成り得る。 この「超絶性能」の中で、消費者にわかりやすい (訴え易い)要素は何かと、言えば、その筆頭は 「フルサイズ化」であろう。 「センサー面積が広いカメラは良いカメラ」 あるいはもっと単純に「フルサイズは良いカメラ」 という常識を、これまでの「画素数が大きいカメラ は良いカメラ」という市場戦略に代わって、消費者 /ユーザー層に植え付ければよい。 準備段階も含め、この「情報戦略」は、概ね 2010年頃から始まったと記憶している。 その頃から「フルサイズは良いカメラ」という 情報がネット等に、まさしく大量に流れ出す。 インターネットの怖いところは、こうした情報戦略 が通用してしまうところだ。ネット利用者層の 伝播力は、速いし広いから、「フルサイズが良い」 という情報は、またたくまに拡散・浸透していき、 ある意味、パンデミック(≒広範囲での流行病) の様相となってしまう(汗) (→昔の時代の「付加価値」とはユーザーの利便性 であり、ユーザーの事を思っての措置であったのに いったい、いつの時代から、「付加価値」とは 「メーカーや流通が利益を得る為の過剰なスペック」 となってしまったのであろうか・・・? ユーザーにとっては害であり、とても残念な話だ。 --- 消費者(ユーザー)層が、この大きな「仕掛け」に 気付かない限りは、ただ単に高価なだけの新鋭機材 を買う為に、せっせと財布を軽くしていくばかりだ。 なお、この仕掛けに気付いているハイアマチュア層 やマニア層は、もうとっくに、この市場状況を 見限っている。 近代(2010年代後半以降)に、「カタログスペック だけを高付加価値化した新鋭機材」を欲しがるのは、 まさにビギナーだけ、という状況になってしまった) (下写真は、EOS 6D + A135/1.8) また、嫌らしい事に、この「フルサイズが良い」 を広める為か、擁護や援護をする為か?、たとえば μ4/3機に向けての「μ4/3は、フルサイズ機の 1/4しか面積が無いから、良く写る筈が無い」等の 否定的な「ネガティブ・キャンペーン」も、この 時代に(意図的にか?)広められてしまっていた。 (→勝手に「良い、良い」と騒いでいるだけならば まだ許せるが、他社/他者の足をひっぱり、貶めよう とするのは、レッドカード(反則)行為であろう) 「フルサイズが良い」という概念が十分に市場に 広まった頃の2012年が「フルサイズ元年」となる。 具体的には、CANON EOS-1DX,EOS 5D MarkⅢ, EOS 6D,NIKON D4,D800/E,D600,SONY α99, SONY DSC-RX1(コンパクト機)等が、 いずれも2012年の発売である。 勿論、それまでの時代でもフルサイズ機(一眼) は存在していたが、それらは高価な業務用途機で あった。これらの新鋭機の中には、比較的安価で、 一般層でも買えるものも、多く存在した訳だ。 また、翌2013年でも、この流れは止まらず、 SONY α7/α7R(初のフルサイズ・ミラーレス機) NINON Df,D610が、2013年の発売だ。 (下写真は、α99 + STF135/2.8) 巷では「フルサイズ機が良い」という常識(?)が 既に浸透していたし、値段も下がってきたから これらの機種群は、ヒットしたものも多い。 だが、ミラーレス機においては、フルサイズ機は 2018年になるまで、SONY α7/9系が唯一で あったので、この間、SONY αは、市場シェアを 大きく伸ばし、2020年前後では「一人勝ち」の 様相となっていく(注:まさかとは思うが、 他社に撮像センサー部品を供給する立場のSONYが 5年間の間、他社に売らなかった訳では無いとは 思いたいが・・ まあCANONやPANASONIC等では、 自社で撮像センサーを作れた訳だし、NIKONでも 自社センサーの製造実績はある→ただし、色々と あったのだが、詳細は割愛する) (下写真は、NIKON Df + AF-S105/1.4) さて、2010年代中頃にかけ、フルサイズ機が普及 した事は良し悪しがあると思う。まあ一眼レフが 絶滅しなかったのは、1つ喜ばしい事なのだが、 とは言うものの、ここから一眼レフ市場は、 大きく右肩下がり(縮退)を続け、2010年代 後半には、絶滅危惧種となってしまう訳だ。 まあでも、その時代の話は、本記事よりも後の 事なので、本記事ではここまでに留めておく。 --- 総括だが、この時代(2012~2013年)の 各社フルサイズ一眼レフには、キラキラと輝く 希望が灯っていたと思う。 フルサイズ化は、良くわかっているユーザー層 から見れば、前述のように、必ずしも長所 ばかりとは限らない。しかし、勿論長所も存在 する訳だから、それを活かせば良い話だ。 最大の課題は、こうした「超絶性能」化により、 そしてカメラ市場縮退により、カメラが従前の 時代よりも、大きく値上がりしてしまった事だ。 この為、この後の時代では、「気軽にカメラを 購入して、楽しむ」という趣味が成り立ち難く なってしまった次第であり、これは結果的に 「マニア層の激減」という状況を招いてしまった。 マニア層が減っても、それにより、単純なカメラ の売り上げ高には、大きな変動は無いであろう。 まあ、マニア層の多くは、中古品等を買う訳だから、 新品の売り上げには、元々大きな影響や貢献は無い。 でも、マニアでも注目製品は新品で買うケースも 勿論ある、まず、そこで若干の影響はある。 次なる影響は、マニア層のユーザーレビューが 激減してしまった事だ。 ちょっと前述したが、2010年前後、最も信用に 値する情報が、中上級マニア層等による精緻な ユーザーレビューであった訳だ。 他の記事(情報)は、殆どが「商売絡み」で ある訳だから、あまりそれらは参考にならない。 例えば、新製品が出たら「前の機種に比べて、 ここがこう良くなりました、絶対に良いです!」 といった事が書かれていたとしても、そんな 機能は、他社機では既に搭載されていたりも するし、前の機種の若干の弱点が治った程度で、 わざわざ新鋭機に買い換える人も多くは無い。 こういう情報に乗せられて、新しくカメラを 買ってしまうのは、見事な迄にビギナー層ばかり になってしまった。まあ彼らもユーザーレビュー を書いたりもするが、ちょっとレベルが低く、 内容も信用に値しないものばかりである。 (下写真は、EOS 6D + A135/1.8) 結局、フルサイズ機の必要性というのは、 基本的にはユーザーによりけり、あるいは 同じユーザーでも、その写真撮影での用途や 目的、そして装着レンズによりけりであろう。 あまりに当たり前の話だが、そうとしか言い ようが無い。 あくまで「まず、フルサイズ機ありき」という 訳では、絶対に無い訳だ。 (下写真は、α99 + STF135/2.8) では最後に、本シリーズ記事は一応は「対決」 なので、紹介機の個人評価点を上げておく。 この個人評価点は、デジタル一眼レフにおいては 従前の記事に記した8項目を、各々5点満点で 評価したものの平均点である。 総合点3点が標準、3.5点あれば準名機、 4点近くにもなれば名機と言えるだろう。 *CANON EOS 6D(2014年) 個人評価総合点:2.81点(やや悪い) *SONY α99(2012年) 個人評価総合点:2.88点(やや悪い) *NIKON Df(2013年) 個人評価総合点:2.50点(かなり悪い) という結果となり、残念ながら平均点3点を 超える機種は1つも現れなかった。 ちなみに、全所有デジタル一眼レフ(30台弱) での全機種の平均点は、だいたい3.00点となる ように、バランスした評価を行っているので、 もうそれ(標準が3点)以下の得点という事は、 純粋にそこまでの低評価でしか無いという話だ。 何が問題なのか?といえば、いずれの機体も コスパ点の減点が大きい事である。 コスパ評価が低い、という事は、性能や機能に 比べて、価格が高すぎる、という意味である。 中古で購入した機体ばかりではあるが、それでも やはり価格が高価だ。例えば他のAPS-C機で あれば、同様に中古購入でも、もっと安価で あって、場合により、フルサイズ機よりも ずっと高性能である(例:高速連写機能等) でも、高速連写だけの話をしているのではなく、 例えば各社旗艦機であれば、フルサイズで高速 連写も出来るが、ますますコスパ評価が悪化する。 自分(購入者)が妥当だと思う価値観で判断を するならば、この時代のフルサイズ機は、 性能が低く、かつ鈍重なイメージが強い。 で、そうであるのに高価であったならば、 もう低評価となっても、やむを得ないであろう。 ただまあ、フルサイズ機にはフルサイズ機の長所 を活かした用法も、勿論存在する訳だから、 これらの機体を「低評価だから手放してしまえ」 等とは思わず、ずっと使い続けている訳だ。 (下写真は、NIKON Df + AF-S105/1.4) 「カメラは、最高のものを1台持っておけば済む」 という事は絶対にないのだから、複数のカメラを 所有し、必要に応じて使い分ける用法においては、 「フルサイズ機も、必要だ」とう結論になる。 ---- では、今回の「デジタル名機対決クラッシックス(5) 一眼レフ・フルサイズ元年編」編は、これで終了。 次回は、ミラーレス機の対決記事となる予定だ。
by pchansblog2
| 2022-10-16 17:07
| 完了:デジタル名機対決
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