カテゴライズからタグ付けへ-牧村朝子『百合のリアル』 感想

 私は、この夏から大学のセクシャルマイノリティサークルに入りました。元々、ジェンダーにすごく興味があり、大学で勉強していたのですが、講義で先生から紹介されて、存在を知りました。

 活動を通して、「私ってセクマイについてあんまり知らないな……」と思うようになりました。じぶんは「少なくとも『異性愛者』ではないな」という感覚はありました。しかし、モテなさ過ぎて恋愛に関して深く考えることがなかったため、セクマイだからと強く悩んだり病んだり、という事があまりなかったのです。家族には言えないな、とうすぼんやりと思っているくらいです。それ故に、大学でちょっとかじった程度の知識しかありませんでした。そんなわけで、何か分かりやすそうな本ないかな、と探していた時に見つけたのが、牧村朝子さんの『百合のリアル』でした。

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 タイトルから、レズビアンについての本なのかなぁと思っていました。しかし、そうではなく、レズビアンを含めたセクマイ、というか生き辛さを感じている人のための本だと感じました。いや、もちろんレズビアンの恋愛事情とか日本の法律の壁とか、そういう話も詳しく書いてあって、とても勉強になったのですが。特に、日本の法律(籍を入れていないカップルの権利が保障されてなさ過ぎるとか)については、セクマイに関係なく大事なことですよね。

 

 でも、それ以上に印象的だったのは、「カテゴリーに拘ることなく、また他人に縛られることなく『じぶん』を生きようよ」というメッセージでした。

 世に数多ある「カテゴリー」という物は、それぞれイメージと結びついています。例えば、「女=感情的」というイメージはかなり広く共有されていますよね(感情的な男性もその辺にゴロゴロいますけど)。でも、他人と全く同じ人間はいません。だから、じぶんの属性と、それに当てはめられるイメージのギャップの大きさはそれぞれ違います。それに悩む人はかなりいるのでは? また、じぶんの中だけではなくて、他人からのイメージの押し付けが苦しいよ、という人もいるでしょう。私も、女性は将来的に男の人と結婚して子どもを産む、というイメージを持っている人に、それを基にして色々言われることが時々あって、すごく苦しいです。……まあこれはセクハラですから、本当は言うべきではないと思いますけどね。

 だから、そのイメージと「じぶん」は別物であると切り離して考え、そのイメージで嫌われても「じぶんが嫌われたわけではない」と解釈すること。そして、カテゴリー(のイメージ)主体ではなく、個人としての「じぶん」を主体として、それに属性を名札みたいに引っ付けたり外したらいい。と、本の最後で書かれていました。

 

 思春期の頃は、他人からのカテゴライズが嫌過ぎて、「いかにみんながわたしに抱いてるイメージをぶっ壊してやるか」ばかりを考えていたような気がします。物騒なガキですね(笑)。その時に、こんなにしなやかで素敵な考え方に触れられたらよかったのに。でも、どんなに遅くても知らないよりはマシですよね。

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