百条委員会に行ってきた

兵庫県知事問題に関心がある方は別の記事を読んだ方がいいと思います。

人生。

この1年は「人生」だった。

まあ色々あったが、7月から兵庫県知事斎藤元彦氏の問題をずっとウォッチしてきた。9月の証人尋問ではついにリアルタイム視聴してしまった。

不信任から選挙再選の経緯に、完全に「民主主義の危機」が見えてしまった。アメリカではTRUMPが再選され、ウクライナ、ガザでは人が大量に死んでいる。もっと酷い民主主義の危機なんてどこにでもある。しかし、なぜか兵庫県という地がもっともREALでACTUALに見えた。なにが兵庫県をこんなに特別たらしめているのか。わからない。しかし、兵庫県というパワーに弱っていた俺は引き寄せられていった。

12月、人生がやばくなりなんかそろそろ寿命を意識してきた。そんな中降ってきた情報、百条委員会最終回。俺は直感した。これが日本の民主主義の正念場だ。ここで守らねば、暴力が許容される政治になってしまう。俺は都民。しかし関係ない。兵庫県知事レベルでこんなことが起きているなら、国政で何が起きてもおかしくない。最悪アメリカ議会議事堂襲撃事件のようなことが起こる。

俺が合意したいレベルは低い。政治で殴るな。恫喝するな。それができていたらそこから先は争ってもいい。俺は中立で、民主主義にのみ従う。兵庫県特有の事情は県民が決める。

じゃあわざわざ兵庫になんて行くなよ/来るなよ。わかる。しかしここで一つ申開きをしたい。基本的に、本気で民主主義を守りたければ、自分の地域の自治に自分ごととして関わり、地域そのものを強くしていくのが良い。それが最終的に国につながっていく。しかし、俺はある種おかしいので、一定の理があろうが本質的には人生から逃げて遊びにきただけだ。

だが待って欲しい。政治や自治に楽しみは必要なのではないか?現に先進的な民主主義を実践している台湾では、オードリータンという天才がデジタル民主主義を推進している。彼女の功績は大きい。しかし、それ以上に周囲のg0vなどのコミュニティが、楽しく、もしくは楽に巻き込む形で民主主義をやっているのだ。別の例を出そう。韓国大統領の戒厳令だ。あれは無理筋だったので早急に解除されたが、その後議事堂前ではパーティーが行われた。本質的に真剣なものだからこそ、そういうものが、大切なのではないか?

web.pref.hyogo.lg.jp

ということで日帰りで神戸に行くことにした。12月25日、なぜか新幹線より飛行機のが安かった。おそらく抽選になるが、ダメだったらどうにかしよう。

当日、兵庫県庁3号館。ぶっちゃけ県庁内部で迷って抽選券を取り逃がしそうになった。県庁建て替え問題が選挙の争点になっていたが、ぶっちゃけ建て直した方がいいと思う。

抽選は108人から112人程度で枠が30人。トップジャーナルの採択率より高いからどうにかなる。当選した。「よっしゃああああ」と野太い声が出て、その直後に「すみません…」と言った。

さて、百条委員会本体に関してはマスコミが記事を出してるから俺は書かない。君はマスコミを信じても信じなくてもいい。ただ、1つ面白かったのが、斎藤知事の尋問の最後の方で、あの手この手で攻めようとする百条委員会委員と、だいたい4種類くらいの答弁を機械的に繰り返す斎藤知事の応酬を見ていくうちに、傍聴席の斎藤派と反対派の全員に笑いが生じてきたということだ。

これは通常考えればおかしい。基本的に自分が支持していない側がポカをすれば笑う。なので、斎藤派と反対派が同時に笑うことはおかしいのだ。そこで少し分析をした。その結果気づいたことがある。同じ現象が斎藤派と反対派で別に見えているのだ。

斎藤派から見たら、百条委員会委員は同じことをずっと質問しているバカな連中に見える。その証拠に我らが斎藤知事は同じことを答え続けている。

反対派から見たら、斎藤知事はかなり違った質問に対しても、同じことを答え続ける。やばいんじゃないか。

その2つの視点が合わさった結果、全員に笑いが起きた。しかし、それは斎藤派と反対派の限りない溝もまた示している。

ともあれ、百条委員会も斎藤知事も「法に任せる」方向で合意しそうなので、民主主義は曖昧に守られた。片山元副知事という怪物は除く。おそらく彼の方が知事に向いている。

あと、一つ直接観察して確信したことがある。斎藤元彦はイケメンである。しかし、俺がインターネットで見ていた線の細い像と違い、どちらかというと筋肉がついている系のイケメンだった。俺は、彼のフェミニンさと真っ直ぐさがよく混ざったメンが好きだった。しかし、そうでないように見える写真もいくらでも流通している。俺もまた、中立なんかではなく、見たいものしか見ていなかったのだ。

しかし、それでも、俺はまだ信じている。岸田文雄はイケメンである。