斎藤元彦知事と斎藤正彦先生について

 最近数学を再開したのだが、斎藤正彦先生の名前を見るたびに兵庫県知事の斎藤元彦氏のことが頭に浮かぶ。論文を出せず、荒みきった私の心をワイドショーがさらっていき、気がついたら百条委員会をライブで観ていた。

 さてこの両人、名前が非常に似ており、X上では間違えて斎藤正彦先生を批判している人すらいる。そこで思った。斎藤正彦先生とは何者なのか。名教科書を生み出した先生は、教科書がその人を表象する。マスターピースというものだろう。なので、どんな方なのか考えもしなかった。

 ここからは全てWikipediaがソースとなる。というのも高等官の役職系はそんなに間違った記述にならないためである。適宜検索して欲しい。

 まず、斎藤正彦先生は間違いなく数学者である。しかし、父親は内務省の高等官斎藤樹氏で、1917年入省、県知事を歴任し、警視総監、貴族院議員になった。また、母親も名士小川平吉氏の娘であり、政治家の家系で、遠縁に宮沢喜一元内閣総理大臣がいる。

 これだけ見ると、斎藤正彦先生は明らかに知事でもおかしくない家系である。

 いっぽうで、斎藤元彦氏はケミカルシューズ製造会社の息子で、「元彦」という名前は昔の兵庫県知事金井元彦氏にあやかって名付けられた。この金井元彦氏も、斎藤樹氏より入省は後だが内務省高等官だった。1927年に入省して、1945年1月に青森県知事になり、戦後兵庫県知事になった。

 そこで思った。斎藤元彦氏と斎藤正彦先生のルーツとなる(あやかったのだからルーツにしてもいいだろう)この二名、内務省で同僚だった時期があるのではないか。

 斎藤樹氏の経歴を改めて調べると、入省から1931年に奈良県知事になるまでは内務省にいた。つまり、1927年から1931年までの間、斎藤元彦知事の名前のもとである金井元彦氏と、斎藤正彦先生の父である斎藤樹氏は同じ内務省庁舎にいたと考えて良い。そして、斎藤元彦氏はその跡地である総務省に勤めた。

 ほぼ偶然だが、このような偶然も面白いだろう。