1/5 ①古い本を読まないか 朝鮮人は静態保存がいいと思うんだ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1262529264/
1 名前:蚯蚓φ ★[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:34:24 ID:???
http://news.donga.com/IMAGE/2010/01/02/25163556.1.jpg
http://news.donga.com/IMAGE/2010/01/02/25164414.1.jpg
兵営城を背景に手をあげ、遠方を示している人物像が一つ立っている。
オランダ・ホリンケム市が寄贈したヘンドリック・ハメル(1630~1692)の銅像だ。
ハメルはオランダ東インド会社の職員で1653年、貿易ではスペルウェール号に乗ってインドネシア、ジャカルタを経て日本、長崎に航海している間、風浪に会って朝鮮に漂着した人物だ。
「今年もイチョウが黄色く染まった。康津だけですでに7年目。私はなぜここまで流れてきたのだろうか。私の故郷ホリンケム市はどのように変わっただろうか。ああ、これ以上耐えられない…。」
1662年秋のある日、今の康津郡兵営面兵営城。労役でつらい一日を送ったハメルは家の前にある樹齢500年のイチョウの下の支石墓に座って郷愁に浸った。
9年前の夏が走馬灯のようにかすめて行った。
1653年8月16日。台湾をすぎて長崎へ向かったスペルウェール号は突然、台風に会った。
ハメル一行は多くの辛酸と苦難の末、済州海岸に漂着した。
船員64人のうち36人だけが生き残った。
漂着地は今の済州市翰京面高山里の海辺と推定される。
(中略:その後、虜囚として悲惨な生活、日本に脱出して帰国)
1668年オランダ、アムステルダムで「1653年バタビア発日本行きスペルウェール号の不幸な航海日誌」という本が出版された。
その年と翌年アムステルダムとロッテルダムの他の出版社で同じ本が相次いで出版され、1670年にはフランス語版、1671年にはドイツ語版、1704年には英語版が出版され、19世紀まで版を重ねた。
韓国で「ハメル漂流記(邦題:朝鮮幽囚記)」で知られる本だ。
この漂流記はハメルが朝鮮で13年間の抑留期間の月給を請求するために長崎で作成した報告書だ。
ハメルの漂流は「静かな朝の国」コレアを西洋に本格的に紹介する契機になった。
ハメル一行がオランダに帰還するや東インド会社は朝鮮との直接交易を推進し始めた。
日本が朝鮮から綿布・麻布・高麗人参・虎皮などを持って大きな利益を得たという報告のためだった。
17世紀末~18世紀始め「ハメル報告書」の旋風的な人気も朝鮮に対する西洋の関心を反映したものだった。
オランダは朝鮮との貿易のために1669年千トン級のコレア号を建造した。
しかし朝鮮との貿易を独占しようとする
日本幕府の妨害でコレア号は
一度も朝鮮に航海できなかった。
朝鮮自らの優秀さを知らせる
間接的な契機にもなった。
17、18世紀、東インド会社は日本と中国の青華白瓷を輸入していった。
当時、日本の青華白瓷は長崎から遠くない九州の有田で作られた。
そちらは壬辰倭乱の時、日本に連れて行かれた朝鮮陶工、李参平が青華白瓷などの磁器を日本で初めて作った場所だ。
ハメルの朝鮮漂流の便りが知らされて李参平の磁器に対する関心が大きくなり、そのおかげで東インド会社を通じてより一層、積極的にヨーロッパに伝えたのだ。
昨年12月末、康津兵営を訪れた時、康津郡庁キム・ジョンシク氏は
「当時、ハメル一行は韓国人の夫人を得て子供も産まれた。その子孫が何人か残っている」とした。
兵営ナム氏だ。
しかし、彼らには会えなかった。
キム氏は「これまで韓国でオランダ人の子孫として生きて、異国的な容貌のために多くの困難を経験したのだろう。それで外部に知られることを避ける」と伝えた。
ハメル記念館の入口には次のように書かれている。
「1653年8月某日、異国万里見慣れぬ朝鮮の土地。想像もできない高波に会って亡くなった名も知れぬスペルウェール号船員48人の御霊を慰め、厳しい逆境の中でも希望を失わず、無事に帰郷した船員16人の朝鮮での人生を賛えます。」
イ・グァンピョ記者
ソース:東亜日報(韓国語) [道歴史について文化について]<1>漂流の道-コレア、ヨーロッパに会う(部分訳)
http://news.donga.com/3/all/20100102/25163049/1
7 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:39:01 ID:eyWbKzac
>朝鮮自らの優秀さを知らせる間接的な契機にもなった。
こいつら、本当に世界に韓国マンセーして欲しいだけなんだよな
すげぇ気持ち悪い
8 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:39:37 ID:5GF6WGsc
朝鮮は鎖国中で支那と日本としか交易していかなった。
だからオランダ人は幽閉されていた。
何で日本のせいになるんだ?
14 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:43:38 ID:iDXwYtY7
>>8
中国と朝鮮はヨーロッパとの交易を禁止しており、
オランダなどは中国人や朝鮮人の倭寇を使って
中国や朝鮮と密貿易を行っていたのにね。
32 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/03(日) 23:52:15 ID:nQtP0rmp
三行というと、
オランダ人ハメルへの虐待は華麗にスルー
ハメルの日記で脳内韓流ブーム、マンセー!
とにかく日帝(幕府)が悪いニダ!!!
そもそも「大清属国」に
外交自主権なんてあったのかね?
35 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/03(日) 23:53:28 ID:TQiUqfoP
>>32
俺もそれ思った。文句は日本に言うより、中国様に言えと。。
33 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/03(日) 23:52:26 ID:r7z/A48C
何が言いたいのかよくわからんが
「韓国に漂着した外国人を粗末にあつかったけど
その外国人が書いた手記のおかげで韓国の名が世界的に広まったよ」
って事なのかな?
日本人的感覚ではとても恥ずかしくて公にしたくない内容だけどな。
49 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:01:30 ID:516PMWOg
そもそもこれってオランダ人が
長崎が目的地なんだよ!ナガサキ!貿易してんの!って言ったのに
朝鮮王府が「日本は鎖国してて外国人はぶち殺すから行くな、ウチにいろ」
と意味不明な引止めしてかつ奴隷身分にしたって話でしょ
同じく家康に引き止められたウィリアム・アダムスは俸禄貰って武士になってるけどねー
53 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 00:03:13 ID:2hcwWBmr
>>49
挙句の果てにもてあましてろくすっぽ給料も払わなくなった上に
生き残った船員は分散させちまったしな。
56 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 00:07:29 ID:fmjiG84l
この辺ってソースになるか?
http://www.hamel.go.kr/jp/hamel02_04.html
第2に、オランダの朝鮮貿易の試みに対して日本側の強い牽制があったという点である。
具体的に日本がどんな行動を取ったのかは明確に提示された記録はまだないが、
対馬藩の朝鮮貿易の独占のための排他性などを見ると、
一連の牽制があったということは十分に察することができる。
日本側の立場も、VOCと朝鮮との貿易は決して自国の利益のためにも願わしいものではなかったのである。
明確な記録もないのに「牽制があったと察せられる」→「牽制があった」→「妨害した」
に勝手に飛躍してる。
66 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:10:30 ID:ZLf2OV3j
>>56
こいつらいっつも妄想で物を言うよな。
結局は根拠になるような証拠は皆無なのにさ。
しかも現在の韓国人の情緒から発せられる妄想で当時の状況とか細かい事は一切無視。
197 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 00:58:05 ID:OBa4eTIk
>>56
今気が付いたけどそのソースは韓国政府のものなの?
記録は無いけど勝手に察っして結論づけるのって一般的には「捏造」って言うんだがw
完全にケンカ売ってますな
76 名前:ぬこめ~わく ◆NUKOOSsJck [sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:17:22 ID:wgvMRjJR
朝鮮幽囚記、読めば判るけどw
朝鮮から脱出できて本当に喜んでいるんだよねww
なにしろ、奴隷にされてたんだから。
88 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:24:01 ID:O2HY34h6
一、物珍しさから丁寧に扱われたのは最初の数ヶ月だけ、後は実質奴隷同然となる
一、清の使節に日本への送還を嘆願するも朝鮮の賄賂で無かった事にされる
一、役人が変わる度に待遇が変わり、物乞いをして生活せねばならないほどだった
一、35名の船員+別の漂民2名内、日本に脱出できたもの8名。その後、対馬藩の尽力で帰国したもの7名(他残留希望1名)
126 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:33:29 ID:XS63O0Vr
>>1
>(中略:その後、虜囚として悲惨な生活、日本に脱出して帰国)
ここ、誰か訳してくれないかなぁ・・・
概要は>>88なんだろうけど。
192 名前:真紅 ◆Sinku/l/vA [sage ] 投稿日:2010/01/04(月) 00:54:58 ID:23n9l4pE ?PLT(25242)
>>1
朝鮮が鎖国してた事も知らないのね・・・
219 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 01:14:10 ID:j2n0cQx6
これ結構ヨーロッパでは、有名な本らしいね。
実は、2年前にちょっとしたことがきっかけで邦題の「朝鮮幽囚記」を読んだよ。
分量はたいしたこと無いから、簡単に読めるけど、日本に行こうとしたら、嵐にあって難破。
朝鮮に着いたところから、悲劇の始まりなんだな。
何度も、日本に行きたいと王に願い出るんだが、聞き入れられず、脱走の船を作って、バレて牢獄。
でも最後には、脱出して日本に着くのだけれど、その時の場面が少々感動的に書かれてます。
奉行所の者が出てきて、彼らは助けてくれたことで米を渡そうとするけど、
その日本人の役人は受け取らず、長崎まで彼らを丁重に扱って連れて行くのです。
さらに、朝鮮に囚われているオランダ人が居ることを聞いた長崎奉行所は、
対馬藩を通じて釈放させ救うのですが、ここクライマックス。
それから、面白かったのは、最初の時点でシナの役人が朝鮮に居て、
そのシナ人にオランダの船長が日本に行きたいと言うと、
一旦は朝鮮王にオランダ人を釈放し、日本に行かせなさいと命令するのだけど、
賄賂をもらってシナ人の役人は黙ってしまうと言うのが笑ってしまうのです。
一読を勧めるよ。
223 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:18:32 ID:R2r8V4Un
>>219
それでなんで>>1って結論になるんだろうかw
231 名前:Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQ [sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:25:01 ID:p5wq2ZMN ?2BP(4444)
>>223
この「朝鮮幽囚記」は
題名から南鮮人は気に入らないらしく、
南鮮では長い間かなりロクでもない
ダイジェストしか読めなかったはず。
>>1のある程度事実を書いてるだけ記述はまだマシで、
一般には朝鮮で結婚して幸せに暮らしたことになってたり。
揚げ句の果てにテーマパークまで作ってる。
233 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:25:26 ID:Dsqj2qQh
>>223
終戦で中国やシベリアで抑留されたのに
向こうの民族・体制支持者になってでてくるでしょ
韓国人の拉致被害者は
戻ってきたらスパイ扱いでしょ
洗脳が監禁の苦痛に勝るという現象が
北アジアでは ごく普通にありえるのだろう
237 名前:ネットぶぶ漬け ◆aRTEgPRLv. [] 投稿日:2010/01/04(月) 01:29:07 ID:Tce1a0C5
>>233
抑留中に「体制側」に与した奴は、帰りの船で悲惨な目にあったらしいけど、な。
(Ex.そろそろ舞鶴が見える頃に海に叩き込むとか、同窓会的な集まりに呼ばないとか)
238 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:31:34 ID:lFlEtsLm
>>237
どこの帰還船でも
将官は隔離されて乗ってたらしい
うちの大伯父(シベリア帰り)の話
244 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:35:12 ID:Dsqj2qQh
>>237
それで思想が再改造されるわけじゃないからね
239 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 01:31:43 ID:jRG8rRig
>>233
>韓国人の拉致被害者は
>戻ってきたらスパイ扱いでしょ
「スパイ扱い」と「スパイ」の違いくらいわかるよね?w
240 名前:はんどるとUらふりぃ ◆7DSin/vN4A [sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:31:43 ID:WThV1u2y ?2BP(3333)
>>233
原爆を落とした側への怒りより、
落とされた自国への怒りが大きいひともいるんだから、
そんなに変でもないのかも。
「原爆を落とされたのは日本のせい」
「自分が抑留されて酷い目にあってるのは日本のせい」
そんなに違いは無いのでは。
224 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:19:28 ID:AzMLi8zG
>>219
面白そうだと思ったけど、忘れてた本だ。
今度は忘れずに注文しとく。
226 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 01:20:29 ID:jRG8rRig
>>219
その本に出てくる日本人と朝鮮人と中国人
今でも通用するエスニックジョークみたいですねw
227 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 01:23:02 ID:NupXawh6
>>219
全く成長していない・・・
245 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2010/01/04(月) 01:36:33 ID:j2n0cQx6
>>219
東洋文庫から出てるよ。読んでみな。
252 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 01:54:44 ID:3ou9JxO2
>>245
此れか。
ヘンドリック・ハメル
前略、
日本でのハメル [編集]
1666年、彼らが囚われてから13年後、ハメルを含む8名が脱出に成功した。
彼らはどうにか小船を奪い、長崎県の五島列島に辿り着いた。
五島淡路守盛勝は彼らを保護し、オランダ商館のある長崎湾の人工島・出島へ送った。
長崎奉行はハメルらをオランダ商館に預け、朝鮮の事情や滞在中の生活について尋問した後に帰国を許可した。
いまだ朝鮮に滞在している「デ・スペルウェール」号の生存者についても、宗氏を通じて日朝間で送還の交渉が行われ、朝鮮への残留を希望した1名を除く7名が、対馬を経由して日本へ送られ、オランダ商館に引き渡された。以下略。
ヘンドリック・ハメル『朝鮮幽囚記』生田滋訳、平凡社〈東洋文庫〉、1969年、ISBN 978-4582801323。
ヘンドリック・ハメル wiki
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