nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

働くって大変

日曜日の夕方。というより夜に差し掛かろうとしている。この時間帯はいつも憂鬱である。理由はいうまでもない。明日から地獄のような仕事が始まるからだ。失楽園の際に人間に対して罰として労働を課したと旧約聖書にあるようにそもそも労働自体がつらいことなのだが、それにもましてつらいのは今の仕事がひどい局面にあるということである。


完全なる愚痴エントリである。まずは建前として断っておきたいのは、これから述べることはまったくのフィクション、架空の作り話である。そもそも現在進行形の話ではないかもしれないし、もしかするとカインとアベルがいまだ仲良くやっていた時代にまでさかのぼることかもしれない。

端的に述べると所属しているプロジェクトが炎上している。詳しいことは書けないが、それでも簡単に概要を述べておくと、元請が提案したパッケージ製品が要件に適合しておらず、その「適合していない部分」が完成直前になって判明。その結果として「適合していない部分」を作り変えるはめになったのである。なおこの「適合していない部分」というのは、私見では全体の40-50%をしてめている。パッケージ製品の根幹部分――とまではいわないものの、パッケージ製品が売りにしている機能のひとつを作り直そうというのだから、炎上もやむを得ない。

それにしても「パッケージ製品が要件を満たさない」ということが提案局面あるいは最上流局面においてわからなかったのか? 風の噂に聞いたところによると、プロジェクトを立ち上げたITコンサル(爆笑)が技術はおろか業務もよくわかっていなかったような女性だったらしく、自社製品をいけいけどんどんで売ってしまったとのこと。そうそういい忘れていたが、このパッケージは元請SIerの製品である。もうひとつ断っておくと、このパッケージ製品のできはよく、正しく利用すれば十分な効力を発揮すると思われる。炎上は製品が悪いのではなく、製品が要件にマッチしないことを見抜けたかった元請が大元凶である。製品に罪はない。

話がずれてしまった。くだんの彼女だが、以前はちょくちょくプロジェクトにやってきていたものの、プロジェクトがきな臭くなるや否や、顔を出さなくなっている。それはおろか彼女の担当タスクすら満足にこなしておらず、それを催促するメールを出しても帰ってこない。現状は彼女の怠慢を咎めたり怒ったりする気力も失われてしまったというのが正直なところである。

プロジェクトが炎上するにあたって不満があるとすれば、元請の態度である。細かいことがあげだすときりがないが、個人的にもっとも不満に感じていることがあるとすると「作業者の割に管理者が多すぎる」に尽きる。たかだか10人前後のプロジェクトにおいて、プログラマを管理する自称マネージャが4-5人も必要なのか? もちろんマネージャという職種や役割が不必要といいたいわけではない。むしろこのような炎上状態においてこそ、マネージャの力量が問われる。しかし残念なことに元請SIerのマネージャどもはそろいもそろって無能ぞろい。プロジェクトの進行をたすけるどころか、障害になっているとすら感じる。

まずは統括的役割のマネージャ。ピンチのときに人間の本質があらわになる――というのはよくいったもので、彼も平素であれば優秀なマネージャなのだが、この炎上状態においては焦りを見せるばかり。朝会や夕会と称してほかのマネージャどもを集めては、いらだちをぶつけている。ときには作業者たるプログラマまでその罵声が向くから質が悪い。怒鳴り散らすその1-2時間があれば、もっと別のことができたのではないだろうか。

マネージャにもいろいろ区分があるらしく、主に顧客折衝を担当するマネージャがふたりほどいる。ひとりが男で無能。もうひとりが女だが、彼女も無能。男のほうは穏やかな性質の持ち主で、人間的に非常によくできているのだが、その性格があだになり、顧客の要望や仕様変更、あるいは怒鳴り散らす統括マネージャの朝令暮改な命令をほぼ無制限に受け入れてしまう。要するに伝書鳩をやっているだけで、折衝係としての役割を何もこなさない。

次に女だが、彼女は自分のチームとプライベート生活を守ることしか頭にない。炎上時における顧客とのコミュニケーションのあり方としてはこれでよいのだが、本来彼女が行うべきタスクすら突っぱねるため、結果としてひとのいい男マネージャとそのチームに仕事が降りかかってしまう。しかも普段は女性らしく扱うことを嫌がる割に、仕事を拒否するにあたって女性性を前面に押し出すきらいがあるため、個人的な印象は相当悪い。

最後にプログラマを直接管理する役割にいるマネージャがひとりいるのだが、私見ではプロジェクト最大の癌はこいつである。彼の癌たるゆえんは技術力のなさ。わたしの技術力を100とすれば彼は5かそこら、かなり甘く見積もっても10には届かないだろう。技術力がないと何が困るかというと、工数が正しく見積れないのである。ソフトウェア開発には「簡単そうに見えて実は難しい作業」と「難しそうに見ても実は簡単な作業」がそれぞれ存在するが、技術がわからないとその区別がつかず、結果として難しい作業に少ししか工数を割り振らないなど、とんちんかんな工数見積もりをしてしまう。またプログラマにも能力の差スキルの差が存在するが、技術力がないとこの差を見分けることもできない。そのためスキルアンマッチなタスクをプログラマにあてがってしまったり、能力の低いプログラマに難しい作業を担当させたりと、効率的な工数管理とはいいがたい状態になっている。

要するに元請SIerの能力が低いがゆえに炎上し、プログラマが精神的にも肉体的にも疲弊している――それにもましてひどいのが、プロジェクトがそれだけひどい状況にあることを知りながら、引き上げようとしない弊社である。もっとも引き上げられない理由もわからないでもない。弊社の売り上げのうち馬鹿にならない部分をこの元請SIerに頼っている以上、関係を維持する必要があり、またこのプロジェクトは比較的「きっぷがいい」らしく、会社としても金づるを逃したくないのである。それならつらい目にあっているプログラマやシステムエンジニアの給料やボーナスに反映してほしいのだが、それは夢のまた夢。がってむ。


転職。しかしこれも簡単なことではない。プログラマの身の振り方として考えられる業界はおおきくわけて3つある。すなわちSIer、社内SE、そしてWeb業界である。まず社内SEは論外。そもそも企業のIT部門は人事異動の一環でいやいや行かされるような部門であり、技術を片手に食っていきたい人間の行くべき場所ではない。仕事内容もメインフレームのお守りやPCのセットアップが大半で、はっきり言って魅力的には感じられない。少なくともわたしにはそうだ。SIerの仕事をしていると、企業の情報部門と打ち合わせをすることが多々あるのだが、そのミーティングの場で生き生きとした目をしている人間を見たことがないというのが、日本企業における情報部門の立ち位置を端的に示している。

ではWeb系はどうか。ここも選択肢としては厳しいがある。まずもって関心が低いというのが大きい。そもそも自分の生活を振り返ってみると、それほどWebサービスを使っていないのである。スマホアプリはおろか、スマートフォンすらさほど利用しない。また技術的にもWeb業界においてよく使われるのはRubyやPHPなど、LL系言語だろう。競技プログラミングなどのプライベートではRubyやPythonをよく利用するが、果たしてこれで仕事をしたいかと問われると即答しづらい。個人的にはJavaやその関連技術に関心があるので、これを仕事にしてみたいのだが、現在の日本のWeb業界においてJavaは明らかに傍流--というか異端だろう。確かにJavaの特徴でもある「大クラス主義」、つまり「とにかくたくさんのクラスを作ってそれを組み合わせることこそがプログラミングなのだ」という思想とスタートアップ的なビジネスモデルとは相性が悪いのはよくわかるのだが。

閑話休題。社内SEとWeb業界がだめとなると、残るはSIerだけだが――転職したい理由が「SIerでつらい目にあっている」である以上、これも選択肢から外れてしまう。実をいうと受託開発というビジネスモデル自体にそれほど悪印象はない。むしろ一生の仕事にしてもよいとすら思っている。しかしSIer業界あるいは受託開発業界の抱える闇--徹底したプログラマ軽視や上流至上主義あるいは長時間労働体質などなど、それらを考えると一生居ついていられるような場所ではないと感じられる。 要するに八方ふさがりということである。ホワイト受託開発会社を探すのが現実的な解のような気がするが、果たしてそんなものが存在するのかしらと絶望してしまう。


ここまでのエントリ、すなわち怒りと涙の愚痴エントリを書いたあと、焼き肉屋で夕食をとった。そして帰ってきてこれを書いているのだが、わかったことがある。腹いっぱいの肉は人間の怒りを鎮めるということである。食べに行った焼き肉屋だが、必ずしも上等な類のそれではない。いわゆるチェーン店系の格安焼き肉屋である。提供される肉も値段相応の味と品質だが、そんな肉でもおなか一杯食べると実に幸福である。ソフトドリンクもドリンクバーを利用してたらふく飲んだが、なおさら幸福である。肉には人間を幸福にする成分が山ほど含まれているか、もしくはわたしの思考回路が腹いっぱいの肉程度で満足するような単純な構造になっているか。いずれにしろ私は幸せです。


もうひとつ発見を書いておく。精神や身体が疲れているときに中島みゆきを聴くと、おそろしく心にしみる。歌詞もメロディも素晴らしいが、何より素晴らしいのはあの声。一聴すると洗練されているが、その奥底には土着的な宗教性が宿っており、傷ついた人間にはそれがあたかも救いのようにしみわたるのである。

中島みゆきのすごさをもうひとつ述べるならば、コンスタントに売れ続けているということだろう。言い換えれば「自分の世代年代にとっての中島みゆき」といえる曲が日本中のあらゆる世代に存在するのである。とある過去の一時代においてはよく売れ流行したという歌手や作家は多数存在するが、中島みゆきは節目節目においてヒット曲を書き続けている。それは中島みゆきの持つ普遍性を示すこの上ない証左であり、カナン地方の民族宗教を世界宗教にまで昇華したナザレのイエスと同じーーとまではいわないものの、それに近しいカリスマ性を感じるのである。


すでにタイトル通りの内容を書く気はないのだが、ここ数か月コンスタントに1000pv/monthを達成している。不思議(´・ω・`) 何か悪いことをやらかしたのかしら。アフィリエイトやSEOに特化したわけではないし、内容的にも大して価値がない、ただただ20代男性が読んだ本の感想と仕事の愚痴を書き散らすだけのブログである。よくわからんが、頑張って生きていきたいとおもいます(`・ω・´)シャキーン