NATROMのブログ

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ビタミンK不投与事件から自己決定権、親権の及ぶ範囲、医療専門職による説明義務を考える

山口市において、乳児がビタミンKを投与されず、「自然療法を提唱する民間団体の砂糖製錠剤」を与えられ、ビタミンK欠乏性出血症による急性硬膜下血腫を起こし死亡したという事件があった(■(cache) 損賠訴訟:山口の母親、助産師を提訴 乳児死亡「ビタミンK与えず」 - 毎日jp(毎日新聞)*1 )。まず、亡くなった赤ちゃんに哀悼の意を表する。母乳育児を行うとビタミンKが不足し、約2000分の1の確率で出血による重篤な事態に陥るが、ビタミンKを投与することで予防できる。この件で助産師が与えたとされる砂糖製錠剤は、ホメオパシーのレメディのことである。有効成分は含まれていないので、当然、出血の予防はできない。

この事件から、多くのことが学べると思う。代替医療の是非、ホメオパシー団体の対応の妥当性、助産師などの医師以外の医療従事者の裁量範囲、標準医療を拒否する親に対する対応、医療ネグレクトの定義、医療過誤に対して刑事責任を問うべきかどうか、マスコミの対応は十分か(なぜいまだに「ホメオパシー」という言葉を報道しないのか?)などなど。既にさまざまな議論がなされており、そのいくつかは本エントリーの一番下で紹介したので、興味のある人は参照して欲しい。本エントリーでは、ツイッター上でHayakawaYukio(早川由紀夫)氏と行った議論(■山口市における助産師ビタミンK不投与について)を元に、自己決定権、親権の及ぶ範囲、医療専門職による説明義務の3点にわけて考えてみた。



成人は死ぬかもしれない選択肢を選ぶ権利を持つ




登山者は、死ぬかもしれないことを承知の上で山に登る。そして登山することを日本社会は許している。

十分な情報を提供された成人の自己決定権を尊重するべきという主張については異論はない。「登山者は、死ぬかもしれないことを承知の上で山に登る。そして登山することを日本社会は許している」と早川氏は言った。その通りである。医療においても、成人は、自分に対する治療方針を自分で決定する権利を持つ。たとえばの話、「副作用のほとんどないこの薬を飲んだら100%の確率で病気が治ります。薬を飲まなくてもたいていは治りますが2000分の1の確率で死にます」と説明され、十分に理解した上で、薬を飲まないことを選択することは許容されている。というか、この程度の小さいリスクであれば、ほとんど問題にもされないであろう。リスクが大きくても、医療においての自己決定権は尊重される。エホバの証人の輸血拒否が良い例となろう。輸血の医学的なメリット・デメリットについて情報提供され「輸血をすれば助かりますが、輸血をしなければまず間違いなく死ぬでしょう」と説明され、十分に理解した上で、輸血拒否を選択することは許容されている*2。


親権の及ぶ範囲は広いが、自己決定権が及ぶ範囲ほどではない




新生児の命をどう育むかは、母親と父親(もしくは親権者)に全権委任されていると考えられませんか。

早川氏による登山のたとえは、自己決定権については述べられてあるが、親権の及ぶ範囲、および、医療専門職による説明義務については何も言っていない、不十分なものである。早川氏による「乳児の法律的権利の行使は親権者が代行することになっている」という主張はある程度は正しい。たとえば、乳児が手術が必要な病気に罹った場合、手術をするかしないかの判断は親権者が行う。けれども、全権委任されているわけではない。少なくとも医療については、親権者が乳児に不当に大きなリスクを背負わせることを日本社会は許していない。新潟県立看護大学の井上は、親権は親としての権利ではなく、子どもに対する義務だと捉える視点が重要だと指摘している*3。



親権者が子どもの治療を決定する根拠は、治療行為は本来ならば患者本人が自己決定権を持つが、子どもは判断能力が未熟であり、年齢によっては意思さえ表明できないこともあるので、親権者が代諾をするということである(日本弁護士連合会子どもの権利委員会,2006)。親権とは、親子という固有の身分関係から派生する、未成年の子どもを監護養育するために、その親に認められた権利義務の総称である。親権とは「親」の「権(利)」と書くが、親のための権利として捉えられるものではなく、未成年の子どもの利益を実現する、親の「義務」「責任」として理解されるべきである。従って、児童虐待のネグレクトの一形態である医療ネグレクト(小崎2002)の問題を考えるには、親権を親としての権利ではなく、子どもに対する義務だと捉える視点が重要である(日本弁護士連合会子どもの権利委員会,2006)。

ビタミンK不投与が、子供に対する輸血拒否と類似していることは既に指摘されている。宗教的な理由で子供に対する輸血を親権者が拒否したとしても、子供の生命に危険があると判断されれば、公権力が介入し、親権を一時的に停止され、適切な医療がほどこされる(例:■輸血拒否した両親・親権停止が男児の命を救った)。ここで注意しないといけないのは、成人の自己決定権と異なり、公的権力の介入の妥当性については、リスクの大きさが関係していることだ。親権停止といった強い処分については、生命の危機があるという大きなリスクが存在する状況に限られているし、そうであるべきだと私は考える。異論はあるかもしれないが、ビタミンK不投与による2000分の1程度のリスクであれば、強制力を伴った介入をするべきではない。ただし、検診や予防接種拒否も、広義の医療ネグレクトとされていることが多い。念のために強調しておくが、山口市のビタミンK不投与事件については、狭義・広義に関わらず、どのような意味であろうと医療ネグレクトではない。母親は、ビタミンKの不投与についての十分な情報を知らされていなかったからだ。


医療専門職は水準に則った医療を提供する義務があり、説明義務もそれに含まれる




法的責任は問えないだろうと考えています。

では、ビタミンK不投与事件における問題点は何か?私は、助産師がビタミンK不投与のリスクについて十分な説明をしたかどうかだと考える。仮の話として、助産師がビタミンK不投与のリスク、ビタミンKの必要性、ホメオパシーのレメディがビタミンKの代わりにならないことについて親権者に対し十分説明し、それでもなお親権者がビタミンKの投与を拒否したのであれば、助産師の責任は問えないだろう。実際には、助産師は毎日新聞の取材に「錠剤には、ビタミンKと同じ効用があると思っていた」と話している。報道だけでなく、この助産師が所属していたとされるホメオパシー団体のウェブサイトで、ビタミンK投与の必要性を軽視していることが確認できる。ビタミンKを与えた方がよいのかという質問に対し、「K2シロップの件ですが、産院で与えなくてもいいのであればその代わりにそのレメディーを与えていただいてもかまいません」と言っておきながら、ビタミンK欠乏性疾患についての説明が一言もない*4。母親に十分な説明をしたとか言う以前に、助産師自身がビタミンK投与の必要性について理解していなかったとしか考えられない*5。

医療従事者は、水準に則った医療を提供する義務がある。ビタミンKの投与が法律で義務付けられていなくても、助産師はビタミンKの必要性を説明しなければならない。仮の話として、母親が「ビタミンKを投与するのは嫌です。ホメオパシーのレメディを投与してください」と頼んだとしても、助産師が十分な説明をしなかったのなら責任を問われるべきである。今回の事件については、母親はビタミンKの不投与を知らなかったのでなおさらである。助産師は、民事で責任を問われるのは当然であるし、刑事責任を問われる可能性もある。■ホメオパシーとビタミンKと刑事罰(fuka_fukaの日記)においては、業務上過失致死罪が成立するのではないかという考察がなされている。私は、医療過誤に対して刑事責任を問うことはそぐわないと考えているが、この件のようにあまりにも医療水準からかけはなれた事例については、判断を保留している。


助産師の責任を問わない限り再発予防は難しい




1/2000確率の賭けに負けた助産婦だけの責任を問うのはおかしい。

報道内容が正しいかどうかを確信できないという理由で、「詳細を知らないままで軽々に判断することは差し控えるべき」という意見は理解できる。しかし、それならば、「今回の件で助産師の罪を問うのはむずかしい」「助産師に過失致死の罪は問えないように思うし、それ以外の罪もないと思います」「(助産師の)法的責任は問えないだろう」とする早川氏の態度は首尾一貫していない。「山口の事例で助産婦の責任をうんぬんするひとは、今月生まれた赤ん坊にビタミンKを投与しない助産婦の責任をどう考える。1/2000確率の賭けに負けた助産婦だけの責任を問うのはおかしい」とあるが、「結果が悪くなければ、水準以下の医療を行っても、医療従事者の責任は問えない」ということだろうか。早川氏は、「ビタミンKの投与は罰則をもって義務付けられたものではないとのことですから」とあるように、ビタミンKの投与は指針に過ぎず、法律で義務付けられたものではないがゆえに、助産師のビタミンK不投与の責任を問うのは困難と考えているようである。

しかし、一方で、■ニセ科学にどう向き合うべきか 火山防災の目から考える(早川由紀夫の火山ブログ)において、「他に優先する何かを持っている人が[ビタミンK投与に]対応しない自由も認めたい」とも早川氏は言ってる。ビタミンK投与を法律で義務付けるのには反対と読める。法律で義務付けるのには反対、助産師のビタミンK不投与の責任を問うのも困難、となれば、ビタミンK不投与による死亡をどうやって防ぐのであろう?もしかしたら、防ぐ必要はない、あるいは、少なくとも、助産師が保護者への説明抜きで非標準的医療を行う裁量権のほうが大事だとお考えなのかもしれない。真意をはっきりさせたかったのだが、「使う日本語が違うようですから、もう会話するのはやめましょう」と会話を拒否された。

最後に、私の考えを述べる。ビタミンK投与については、罰則や強制力を伴った義務付けには反対である(罰則を伴わない義務付けという選択肢はアリ。ビタミンKを投与しない医療従事者に対する責任を問いやすくなり、また、親権者がビタミンKの投与を受け入れやすくなるであろうから)。既に述べたように、「ビタミンK不投与による2000分の1程度のリスクであれば、強制力を伴った介入をするべきではない」という理由と、医学的にあまりにも自明な処置について、いちいち法律で決めるのは無駄であるという理由もある。「胸痛に対して心電図をとる義務」を法律で定める必要はない。法律で定められていないからといって、心電図をとらずに典型的な心筋梗塞を見落とした医師の責任を問うことは困難ではない*6。医療従事者には水準程度の医療を提供する義務があると考えれば、医師には心筋梗塞を否定できない胸痛の患者さんに対して心電図をとる義務があるし、助産師には乳児に対してビタミンKを投与するか、あるいはビタミンKの投与を拒否する親権者に対し十分な説明をする義務がある。その義務を怠ったのであれば責任を問われて当然である。

*1:元記事のURL:http://mainichi.jp/life/edu/child/news/20100710ddp012040012000c.html

*2:「無輸血にこだわって公的な医療資源を浪費するのはどうよ」という議論ならありうる。登山なら、「死ぬかもしれないことを承知の上で山に登るのは勝手だけど、遭難したら捜索のために他人に迷惑かけるでしょ」ということ

*3:井上みゆき、日本における医療ネグレクトの現状と法的対応に関する文献検討、日本小児看護学会誌 16:1 69-75 (2007)

*4:URL:http://www.rah-uk.com/case/wforum.cgi?no=1342&reno=no&oya=1342&mode=msgview&list=new

*5:2010年12月12日追記:単に「代わりにレメディでもよい」という容認ではなく、「(引用者注:赤ちゃんに)血液凝固のためにビタミンKを注射したりしますが、それをやると一足飛びにがんマヤズムが立ち上がるし、逆に出血が止まらなくなることもあるのです。そして難治の黄疸になることもあります。ホメオパシーにもビタミンKのレメディー(Vitamin-K)はありますから、それを使っていただきたいと思います」(由井寅子、ホメオパシー的妊娠と出産、ホメオパシー出版、36ページ)と、積極的にビタミンKではなくレメディを使えと言っていた

*6:十分な説明をしたにも関わらず、心電図をとることを患者が拒否したのなら話は別である