映画「ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-」

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遅ればせながら、映画「ハイ☆スピード!-Free!Starting Days-」を見て来た。基本的に三次元のアイドルのことしか書いて来なかったこのブログで、二次元の映画の感想を書くことになるとは思っていなかった。そもそも私は二次元に萌える体質ではないとずっと思っていたし、今も本当に「Free!」以外の二次元に萌えられるかどうかは怪しい。「Free!」に手を付けたのも興味本位だった。エンターテイメントをかぎ分ける嗅覚が優れている友人たちが、毎週Twitterのタイムラインで、夜な夜な「Free!」を見て騒いでいたのがきっかけで、彼女らが放送日に死んでは1週間かけて蘇り、また次の放送日に死んでは蘇り、を繰り返しているのを見て、私もその蘇生祭りに参加してみたいと好奇心が刺激された。そんな導入でまんまと「Free!」沼に落ち、映画館に足を運んでまで彼らを見届けることになってしまったのだった。

私はアニメについては先述の通り詳しい人間ではないので、この映画がアニメ史の中でどういう位置付けであるか等という話は勿論出来ないのだけれど、一アイドル好きとしてこのアニメに惹かれる理由を述べてもよいならば、「キャラクターの関係性」の描き方が巧妙な点が挙げられる。テレビアニメの第1期の主な登場人物だった、遙・真琴・渚・怜・凛。全員の名前が男性にも女性にもどちらにも付けられる中性的な名前であり、また後ろに「~ちゃん」を付けて呼ぶことが出来る愛らしさも備わっている。実際に全員を「~ちゃん」と呼ばせる年下のキャラクター(渚)も存在していて、これが何処かジャニーズ事務所の後輩メンバーが、先輩メンバーのことを「~くん」と呼ぶしきたりと私の中ではリンクした。

物語は、主人公・七瀬遙を中心に展開していく。通常、ドラマや映画では主人公視点で物語が進行していくため、主人公の心情や台詞が一番多くなるが、七瀬遙は基本的に口数が少ない。「フリーしか泳がない」という揺らがない信念は貫くものの、それ以外は周りの人間による「遙ちゃんは」「遙は」「遙先輩は」という言葉から、視聴者は七瀬遙像を構築していく。今回の映画でも遙が自ら発する台詞は少ない。けれども、周りの人間の台詞から、私たちはすぐに、フリーの天才・七瀬遙像を作り上げてしまえる。遙自身はそんな自分の才能には無頓着であるが、遙には必ず勝負を挑む者が現れる。今回の映画では水泳部の部長がその役割を担っていたが、自信満々に出てくる挑戦者たちのプライドを何食わぬ顔で潰してしまう。悔しがる相手の表情から、私たちは七瀬遙を天才なんだと認識していく。

今回の映画でそんな遙の前に現れた新キャラクターが、椎名旭と桐嶋郁弥。この二人は遙を目の前にして、対称的な動きを見せる。まず、元気なムードメーカー的存在の椎名旭は、あまりに綺麗なフォームでフリーを泳ぐ遙を見て、その日以降フリーだけが突然泳げなくなってしまう。遙の才能にショックを受けて、自分の中にあったものを一時的に失ってしまったパターン。一方、桐嶋郁弥は、兄である部長に対する依存心があり、その兄が遙の才能を認めていたことから、遙のようになりたいと遙の真似を始める。旭は自分の中にあったものを失ってしまった一方で、郁弥は逆に自分の中に遙を取り込もうとする。この2人のキャラクターの描き方が、またも七瀬遙の天才性を強固にしていた。

そして、七瀬遙に最も近い存在である橘真琴は、今回の映画で水泳部のマネージャーである芹沢尚から「真琴は水泳好き?遙が居るからじゃなくて?」という質問を投げられ、その答えを出すのに苦しむことになる。自分は心から水泳が好きだと思いたい一方で、尚が突き付けて来た「遙が居るから」という理由を全否定することは出来ない。最終的に真琴は、「両方ある」という答えにたどり着く訳だが、その話をするのは夜のスイミングスクールのプールの中。衣服を着たまま二人は水の中を泳ぎまわり、プールの天井を見上げながら水に浮いたまま話し始める。ゆらゆら揺れる身体と、水しぶきが散った顔、修復する関係性。遙の周りの人々は、遙に惹かれるけれども、いつもその存在をきっかけに悩み、そしてまた遙のことを好きになっていく。その一連の流れが、心地よいのだとだんだんと気付いてくる。

現実には起こり得ないスピードで、関係性萌え爆弾が爆発していく。これが二次元なのか、とその威力を思い知る。これが人の手によって狙って作られる関係性萌えの威力かと震える。こんな世界はどうか二次元であってくれ。だけど、七瀬遙に狂わされる世界は、ちょっとだけ体験してみたい。
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