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2024年アニメ映画簡易感想 その2

 

 

 2024年もあとわずかとなり、やり残した多くのことを片付けている人もいるかと思われます。かくいう僕もそうした「やり残し」に目を向けている真っ最中です。特に映画の感想に関しては個別感想で取り上げた作品を除いて、大分溜まってしまいました。

 ここらで暇なうちに一気に感想を書き上げ、各作品への想いを残しておきたいところ。そのため今回は既に公開を終えた映画ばかりを取り上げますが、それらを観たことがある方々に読んでいただければ嬉しい限りです。

※ここから先は映画の内容に触れているのでネタバレ注意!!

 

 

 

 というわけで以下、今回の映画感想です。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記

 去年から夏に公開することとなった『クレヨンしんちゃん』の劇場版。今年は「恐竜」というクレしんとしては珍しいモチーフの映画ということで以前から注目していた作品です。(どちらかといえば恐竜というと『ドラえもん』のイメージがありますからね)そしてそれ以上に野原家の愛犬・シロが久々のメインで、本作のカギを握る恐竜「ナナ」との友情に見入ることとなりました。コミカルなシーンも例年通り満載で、要所要所でクスっとくるので気軽に見られたのもありがたかったです。(中盤のマサオくんのダンスシーンで映画館の子どもたちの笑いがドッと湧いたのは良い思い出)

 そんな映画の見どころは上述の通り、シロとナナの友情が大部分を占めています。1人ぼっちだったナナをシロがこっそりお世話をし、野原家で飼ってもらえるようになる前半は特に2匹のやり取りに魅せられました。この辺りはセリフが全く無くても声色と動きだけで何を考えているのかわかる、両者の声優さんの演技も魅力を引き出すのに一役買っていたと思いますね。何よりしんのすけがシロを拾ってきた時のエピソードを引用することで、ナナが家族の一員になっていくまでを丁寧に描かれているのが素敵なポイント。かつてしんのすけに助けられたシロが彼のようにナナを助けてみせる構図が、昔のクレしんを知る人ほど目頭が熱くなるものに仕上がっていました。

 それでいてナナが狂暴な恐竜であることを強調し、違う種族同士の友情が成り立つのか?にフォーカスしたストーリーが展開されたのも大きな特徴。頭に血が上り周囲を傷付けてしまうナナが度々描かれ、彼女が「恐竜である」ことを否が応でも印象付けてくるので見ていて何度も胸がザワつきました。同時にナナは劇中に登場するただ1匹の恐竜として、孤独な存在であるかのように触れられていたのも目に付きましたね。ただだからこそ、ナナを友達として受け入れようとする終盤のしんのすけとシロの姿が頼もしく見えてきたのもあります。難しいことはわからないけれど、怖いところも寂しいところもひっくるめて一緒にいて楽しい仲間として認識してくれる「子どもの理屈」に救われる作品でもありましたね。

 それだけにナナがしんのすけたちを庇って亡くなるラストには本当に愕然としました。直前までしんのすけ&シロ&ナナの友情がハッピーエンドに帰結する雰囲気だっただけに、それをぶった切るかのようにナナの死亡を描いたことに唐突感を覚えずにはいられなかったです。これからも一緒に暮らしそうなナナをしんのすけたちから切り離す必要があるというメタ的事情は理解出来るものの、もう少しやりようがあったのではないかと考えてしまいます。過去の映画『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』でもそうでしたが、アニメクレしんのほんわかとした世界観にいきなり“リアルな死の概念”を持ち込むのは止めてほしかったですね。(個人的には戦国大合戦のラスト事態にも長年疑問を覚えていますし)ナナとの友情が非常に良かっただけに、このラストで一気にガッカリしてしまった印象は否めません。

 他の要素に関しては本作の敵キャラである「バブル・オドロキー」が印象的。恐竜ロボトットで恐竜を現代に蘇らせたとホラを吹き、世間から大バッシングを受けてから暴走を始める様子は胸にくるものがありました。周囲の期待を一身に受け、新しいことを次々と実現させなければならないという強迫観念に駆られていたのが回想シーンなどから伝わってきます。それ故オドロキーは「哀しき悪役」としてのイメージが強く、「ビリー」と「アンジェラ」という2人の子どもまで巻き込んでしまう家族のエピソードが悲しく映りました。そして子どもたちが自分のやりたいことと向き合い、その時の想いを蘇られせていくのも味わい深かったですね。最後にオドロキーが同じように初心に戻れたのも含めて、どこか目の離せない存在感を放っていました。

 

 

インサイド・ヘッド2

 ディズニー・ピクサーの長編アニメーション映画の新作。2015年に公開された『インサイド・ヘッド』の続編として、「感情の擬人化」という題材の面白さは健在でした。感情の世界とライリー視点の外の世界が平行して進んでいくストーリーは、ワンダフルな世界観と緊迫した現実のバランスが見事で見ていて実に楽しかったです。そして同時に体の主であるライリー・アンダーソンに訪れた“思春期”についてを克明に描いており、羞恥を覚えながらも共感が得られる内容に仕上がっていたと思います。

 何と言ってもヨロコビたちを中心とした感情のグループに新たに「シンパイ」といった新入りが加わり、物語をかき乱していったのが印象的。新しい環境に馴染ませるためとはいえ、ライリーの過去やヨロコビたちを追放する排他的な行動にはフラストレーションが溜まりました。ただシンパイたちなりにライリーのことを考えていたのもしっかり描かれており、彼女たちもまたライリーにとって必要な感情(前作におけるカナシミと同じポジション)であることを印象付けてくれたのは流石といったところ。片方を否定するのではなく、ポジティブとネガティブ双方があってこそ自己形成は成り立つことを改めて見せてくれていました。かなり身に迫るものがあるので、思春期という感情からアイデンティティ確立までの流れを、わかりやすく描いてみせたことには感嘆せずにはいられません。

 新しい感情の動向だけでなく、既存の感情たちの成長と変化も大きな見どころでした。仕切りたがりのヨロコビは柔軟性を覚えた一方、みんなの前で前向きでいなければいけないという想いが先走っていたのは相変わらず。(乾いた笑顔から発狂したかのようにプッツンキレるシーンには本当にびっくりしましたね)それ故前作と似たような失敗をしてしまいますが、そこから立ち直る過程もキチンとあるので彼女への愛おしさを覚えます。都合の悪いことを排斥していた点ではシンパイと同じだったことを反省する場面も同様、上述の自己形成に繋がる目を逸らしてはいけない過程として深く刺さりました。

 またヨロコビ以外の感情たちの活躍が多かったのが個人的に評価したいポイントですね。「ハズカシ」との友情を築くカナシミや思慮深くなったイカリなど、それぞれの魅力が一気に掘り下げられていたのは驚くべきことです。他にもビビリやムカムカにも見せ場が用意されており、前作以上に5人の一体感が強調されているように感じました。良くも悪くもヨロコビとカナシミがメインだった前作から、感情各々に活躍の機会をもたらした点はある意味で正統進化と言えるでしょう。そのため本作は「全ての感情が主役足りえる」ことを、これらの描写ではっきり示してくれました。

 あとはライリーの感情の中に登場する感情以外のキャラクターについても外せません。中でも秘密の保管庫に入っていた、ライリーの好きなキャラクターたちには思わず吹き出してしまいました。教育番組的表現を多用する「ブルーフィー」やどう見てもFFⅦのクラウドな「ランス・スラッシュブレード」は、それぞれセル画のカートゥーンだったり少し粗いポリゴンだったりと画質が全くの別物の時点でおかしかったです。(この中で1番出番が多かったのがポーチという)さながら違う漫画の作品同士の共演のような趣があるほか、当人たちのキャラも濃いので見ていて飽きなかったですね。本筋以外でこうしたお遊び要素を込めていく点も非常に好みでした。

 

 

 

風都探偵 仮面ライダースカルの肖像

 平成ライダーシリーズの1作『仮面ライダーW(ダブル)』の正統続編である『風都探偵』の劇場アニメ。原作漫画における6巻を主軸としたアニメ化であり、同時にかつて公開された『ビギンズナイト』や『仮面ライダースカル メッセージforダブル』を再構成した仮面ライダーダブルの補完的な作品となっていました。そのうえ何と言ってもおやっさんこと鳴海荘吉/仮面ライダースカルを中心としたストーリーということもあり、当時おやっさんに魅了された身としても見逃せなかったです。(アニメの津田健次郎さんのボイスのおやっさんを魅せつつ、主題歌で吉川晃司さんのおやっさんを意識させてくれるのが良い……!)

 そんな本作は翔太郎がときめにおやっさんにまつわる過去を話す構成になっているものの、本筋はおやっさんの視点で進んでいくのが最大の特徴。それ故当時の翔太郎たちでは知る由もなかった情報や、その時のおやっさんの心の内が判明していくので特撮の方を知る人ほど大きな驚きがあったと思います。特に少年時代の翔太郎に対しての、おやっさんの心情が見逃せません。やんちゃで向こう見ずな翔太郎に手を焼きながらも、優しく真っ直ぐな彼の心根を誰よりも評価していたことがわかるシーンの数々は胸にくるものがありますね。翔太郎の中でおやっさんの存在が大きかったように、おやっさんにとっても翔太郎は眩しい存在だったことが伝わってきます。

 そしておやっさんの“弱さ”を描いていたのも見逃せないポイント。回想が始まった時点で探偵業をやめかけていたおやっさんですが、親友(マツ)を手にかけてしまったショックを引きずっているという理由には納得しかありません。同時に仮面ライダーとしてドーパントを倒すことにも躊躇しており、序盤はどこかヘタれてしまっている様子に心配せずにはいられませんでした。しかしだからこそ表向きは突っ張って、周囲を不安にさせまいとするおやっさんのカッコよさが強調されていたと言えます。まさに本作でも流れた挿入歌「Nobody's Perfect」を体現していましたね。強いと思われた鳴海荘吉のそうではない部分は、実にNobody's Perfect(誰も完璧ではない)でした。

 本筋以外のアニオリ要素も「大嶋凪/オーシャン・ドーパント」との戦闘など盛りだくさん。こちらは翔太郎とフィリップの活躍を用意する場面として適切でした。(何より冴子の大嶋への扱いの悪さが予想通りで同情を覚えます)また最大のサプライズだったのが「仮面ライダーダブル サイクロンスカル」ですね。シュラウドが想定していた、フィリップとおやっさんの2人で変身した場合のダブルを独自のデザイン付きで公開してきた時は度肝を抜かれました。ちょっと独特な「お前の罪を数えろ」ポーズやスカルボイルダーに跨る姿など、様々なカットを1分以上たっぷり見せてきたことにも舌を巻くばかり。ダブルのオタクの妄想を叶えてくれたかのようで、正直感嘆せずにはいられません。総じてダブルファンにはたまらない、ファンサービスに満ちた映画だったと思います。

 

 

 仮面ライダーの映画といえば、毎年恒例となっていたライダー冬映画は今年は制作しないことが先月辺りで確定した話にも触れておきたいですね。『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』から10年以上続いていたシリーズですが、それが無くなってしまったのは非常に残念です。ただ撮影スケジュールの過酷さや東映の制作体制の見直しといった事情を考慮すると、この決断も仕方ないと納得出来ます。現在放送中の『仮面ライダーガヴ』も余裕を持って撮影しているようですし、それが後の作品にも続くのであればそれらを尊重したいところです。

 また風都探偵の映画が公開された年に冬映画が終わったのが面白い話。思えば仮面ライダースカルは上述のMOVIE対戦2010で初登場したライダーであり、いわば冬映画の始まりのライダーとも言える存在。それが主役のアニメ映画と共に冬映画の歴史が幕を閉じるというのは、何とも感慨深いですね。スカルから始まりスカルで終わったライダー冬映画の思い出に浸りつつ、新しいライダー映画の在り方などが開かれる可能性も楽しみになってきました。

 

 

 ではまた、次の機会に。

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