IPA
で、今回RailsConf 2008に参加したことで、自分なりに結論が出た。
「IPAに存在意義はなく、存在そのものが害悪である」と...
Rubyは日本人matzが生み出したけど、それを支持してRailsとして育て、Agile開発と結びつけて、さらには「Big Rewrite」などということに挑戦している人の多くは日本以外の人達なんだよ。彼らにとってはIPAなど無関係。情報処理試験も受けたことはないはず。でも、彼らはどんどん技術を進化させているし、実プロジェクトでも活用を進めている。
こういう「日々進化していく」領域に役所が(IPAは役所ではないことになっているけど、みんな役所だと思ってるよね?)介入すると、結局は進化の芽を摘み取ることになる。
役所が介在すると、「こういう技術領域が必要だ」「こういうスキルセットが必要だ」「こういう資格試験が必要だ」みたいなくだらない議論がお役人や業界重鎮の間で繰り替えされる。そこから出てくる結論は、これらお役人や業界重鎮の知識を越えることはありえない。当然、お役所の基準を守れば良いと思う企業に進化も革新もあり得ない。職場は旧態依然とした文化を継承していくだけだ。技術が成熟した産業ならともかく、ソフトウェア業界はまだまだ進化を続けており、その進化の速度はお役人たちの想像力が及ばないものなのである。
天才プログラマ認定制度
でもねー...IPAの天才プログラマ認定制度はおもしろいと思っているのですよ。映画「Idiocracy」みたいな状況を生み出している、という意味でね。
Idiocracyは、「極めて平均的な青年」が人体冬眠実験の失敗で500年後の世界で目覚める、というお話。そして、500年後の米国は人類の知能が退化し、「極めて平均的な青年」は、とんでもない天才として見られるようになってしまった。
500年後の世界では、一般人はあまりにも知能が退化してしまったので、畑にゲータレードを撒いている。当然、作物は育たない。しかも、その状況を不思議だともなんとも思わない。そして、「天才青年」が「水を撒かなければだめだ」といっても、大衆はその真意を理解できない。もちろん、実際に水を撒いた所で「すぐに」農作物が育つわけもない。あわれな青年は捕らえられ裁判にかけられて...(続きはDVDで)
石器時代みたいなSIタコ部屋に「天才プログラマ」が就職してきても、Idiocracyと似たような状況を生むだけではなかろうか。石器時代的な開発手法とトンデモ知識がまかり通る中で天才プログラマが何を言っても周囲は理解できるはずもない。石器時代人は彼らの知識レベルで行動するから、変に天才の真似をしてもうまくいくはずがない。結局何らかの失敗が生じ、天才君がその災難を生んだ原因として扱われる。そんなとこじゃないかね。
ここで重要なことは...石器時代みたいな開発手法とトンデモ知識で仕事が回るようにしてしまった原因を作ったのは、他ならぬIPAなんだよね。そして、その構造が天才君の活躍場所を狭め、日本のソフトウェア業界が飛躍する可能性を(ほぼ完全に)封じ込んでしまっている。その一方で、旧態依然とした職場で「10年は泥のように働け」と平然といいのける人でも経営者として生き残れるわけだ。そして、その人の言葉を臆面もなく座談会で披露できるIPAの体質。素晴らしい。そしてアホくさい。
しつこく主張する。