可視化は重要だが、可視化で失われる価値がある。
数値化は重要だが、数値化で失われる価値がある。
言語化は重要だが、言語化で失われる価値がある。
可視化も数値化も言語化も、残念ながら多くは本来持つ価値から劣化してしまう。
だから表現者でいるときはその価値を伝える努力を惜しまないでいたい。受け手に向けて「……好きですっ///」だけでその思いの多くを伝えられるほどの間柄であることは稀なのだ。おいしかったのならどれがどれだけおいしかったのか、素晴らしかったのなら何がどれだけ素晴らしかったのか。
受け手であれば、なんとかしてその思いを受け止める努力を惜しまないでいたい。「素晴らしかったすごかった最高だ」の10点満点と、インセンティブのクーポンほしさに一律で適当に付けられた10点満点は残念ながら同じだ。じゃあその思いを違う角度で受け止める別の質問を投げかけられているか、自由度を渡せているか。
そして、最終的にはどうしても失われてしまう価値にときどき思いを馳せる努力をしたい。思いを馳せるのは難しいけれども。
そう、私たちが見ているダッシュボードは、レビューのスコアは、フィードバックは、それがすべてではないのだ。