障害者に対して石原慎太郎都知事が言ったと思われること全文

以下のところから。
→反米嫌日戦線「狼」(一輝まんだら): 人種差別の石原を支援するバカ著名人はコイツら

それじゃあ、お前のところの障害児に、「ああいう人ってのは人格あるのかね」「これだけ手厚い手当をしながら入所者の症状に回復可能性がない」「安楽死につながるんじゃないか」って石原の暴言をぶつけてやるよ。

そういう部分引用をするのはあまりフェアじゃないと思いました。
一応、新聞が報道している、この件に関する記述は以下のサイトにありました。
→日出づる処のニゥスII 極東板の杜
「1999年9月18付 朝日新聞」と「1999年9月18付 東京新聞」の記事は確認していないんですが、孫引用によるとこんな感じ。

「ああいう人ってのは人格あるのかね」「ショックを受けた」「僕は結論を出していない」「みなさんどう思うかなと思って」 「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、 人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって…。 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな」「人から見たらすばらしいという人もいるし、 恐らく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。 そこは宗教観の違いだと思う」「ああいう問題って 安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」(「安楽死」の意味を問われた知事は)「そういうことにつなげて考える人も いるだろうということ」「安楽死させろといっているんじゃない」 (と否定した。)「自分の文学の問題にふれてくる。非常に大きな問題を抱えて帰ってきた」

「行政者というより物書きをする人間として考えさせられた」「こんにちわ」「環境庁長官として(熊本県の)水俣を 訪れたときを思い出す」「生まれた時から同じような 症状なのか」「どういう治療をしたのか」(知事)「これだけ手厚い手当をしながら入所者の症状に可逆性(回復可能性)がない。徒労感は?」(院長)「時々あります。でも、それを乗り越えなければ仕事はできません」「入所者は自分がだれだか分からない。(彼らに)人生がない、というくくり方を する人もいるが、それなりの人生があるんだという一つの確信を持って仕事をしているのは、 素晴らしいことだ」(「外国にはこういう施設がない」と説明を受けた こともあって、都庁に戻っての記者会見では)「ああいう人(入所者)は人格があるのだろうか。 僕は自分の結論を出してないのだが、おそらく西洋人なんか切り捨てるんじゃないか。 (西洋人は)すぐに安楽死などを考えるのでは…」「ほかの(都立)病院はひどいからね。大改革をやろうと 思ったけど、『それなら、採算度外視で崇高な仕事をしている医師や看護婦もいるのを 見たほうがいい』と側近に言われた」。

ずいぶんいろいろ言ってます。
また、こんな発言も石原慎太郎氏側はしているようです。
→本会議 1999年第3回定例会代表質問 植木こうじ 日本共産党東京都議団

(石原)次に、府中療育センターの視察の感想を述べた私の発言についてでありますが、私の発言の真意は、行政の長というよりも一人の人間として、みずからも思い悩むことを感じさせられ、そのことを自分自身にも、及び記者の皆さんにも問いかけたものであります。ある新聞が、現場にも同行せずに、この発言を意識的に曲解し、あたかも私が障害を持つ方々の人格を傷つけた──多くの読者に印象づけたことは、報道の正確性にもとり、許せぬ行為でもあります。これは卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なことだと思います。
府中療育センターで、重度の障害を持つ入所者と触れ合い、懸命に介護する医師や看護婦と意見を交換して感じたことは、人間の生きることの意義と奥深さであり、また、これに携わる仕事の崇高さであります。
私は、この視察で感じたことを知事としてしっかり胸に受けとめ、福祉の問題に取り組んでまいりたいと思っております。

ある新聞。
ただ、石原都知事が言ったことについては新聞記事でしか確認できなかったので、ここで引用したテキストも本当のことかどうかは不明です。
以下のものは少しその発言を変な形でまとめすぎ。
→反米嫌日戦線「狼」(一輝まんだら): 人種差別の石原を支援するバカ著名人はコイツら

石原の理論によれば、「ねむの木学園」の障害児は、人格もなく、回復の可能性がないので安楽死させるのが妥当だってことだ。

石原慎太郎氏の理論によれば、(「ねむの木学園」の障害児は、)物書きをする人間として「人格」について考えさせられ、「回復の可能性がない」人の世話をする徒労感を思い、日本のような施設のないと聞いている西洋では「安楽死」なんかにつながるんじゃないかという自分の文学の問題も考えた、ってことかも知れず。
ぼく自身は、石原慎太郎氏は「○○氏が××と言った」という伝聞情報を流すにあたって、誠実とは言えない(若干歪曲したり、第三者に確認できない情報を流したりする)点、および政治家としては文学者的問題を意識しすぎている(そしてそれをしばしば口にしたりする)点、の2点において、あまり人間的・政治家的な信頼を置いていません。
しかしそれとこれとは話が別です。石原慎太郎氏が言ったことを、違う形で批判する人間が多いようなので*1、その点に関しては擁護せざるを得ません。
当人が言ったとされること、言おうと意図したことの中で、ちゃんと文脈読んで批判しろ、ということです。
たとえば「政治家は文学者であることをあきらめろ」とか何とか。それだったらわかります。
批判する側は、「藁人形(わら人形)」を作ってはいけません。
→愛・蔵太の少し調べて書く日記:「石原慎太郎」検索結果
→同・一覧表示
以下のもののの続きを掲載するの忘れてた。でももうコピーはどこかに行ってしまったよ。
→愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 週刊女性2001年11月6日号 「独占激白“石原慎太郎都知事吠える!”」を全文掲載
→愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 週刊女性2001年11月6日号 「独占激白“石原慎太郎都知事吠える!”」を全文掲載・2
 

*1:このあたり「藁人形(わら人形)」が入ってないといいのですが。