受験シーズン、小学校6年生の娘からは、あの友達があそこに受かったとか、あの友達はダメだったから同じ公立に行くことになったとか、いろいろ話が聞こえてきます。
その話を聞いて思い出すのは、ボクも中学受験に落ちて公立中学に行ったこと。
そして高校受験で、落ちた中学の高校に合格したことです。
その経験から思うのは、中学受験に落ちても受かっても、人生においては大した話ではなく、その後の中学時代をどう過ごすかで、ナンボでも取り返せるし、取り返されるということです。
まぁ取り返すも何もなく、毎日を充実して生きることこそが大切なわけなのですが。
ボクが中学受験に落ちて学んだこと
4年生くらいから塾に通ってました。そこの先生はとにかく勉強を面白く教えてくれて、今でも年賀状を交わしています。
6年生で引っ越して、やはり塾にも通ったのですが、なんとなく受け身で授業を受けてました。
たくさんの生徒の中の一人一人に対して、先生が雑談するようなタイプの塾ではなかった。
精神的に幼稚だったボクは、ただなんとなく勉強する感じになりました。確認テストで、わからないところは、となりの友達の内容をチラ見したり、まぁいい加減でした。
そんなボクですが、それなりに関西では優秀な部類の中学を受けました。
そして、案の定、落ちたのです。
そのときボクは初めて分かりました。
世の中は甘くないんだなぁと。
いい加減になんとなくやってたら、結果はこうなるのだと。
落ちた私立中学の高校に編入して思ったこと
中学は1年生から塾に行きました。
ひとつひとつ理解しようという強い意志が芽生えていたのかもしれません。
塾の中でも上位クラスをキープしながらスタートし、最後までそんな感じでいけました。
そして、落ちた私立中学の高校の部に合格し、リベンジを果たしたのです。
そのとき、ああ、ちゃんとやったら結果はついてくるのだと思いました。
周りを見ると、中学から上がってきた友達は自由を謳歌している感じで、少し大人に感じました。
自分は勉強への意識にかなり支配されながら3年を過ごしてきたのですから、当たり前です。
でも、だらけすぎて、学力は普通だったり、学校に来なくなってたりする人もいました。まぁ、ひとそれぞれでした。
しかし大学受験が迫ってくると、そんなに差は無くなってました。中学から入ってた人と高校編入組に大きな差がつくようなことにはなりませんでした。
やはりすげぇというヤツもいましたが、それは中学で受かった人も高校で受かった人も同じ。
そんな感じでした。
まとめ
とまぁ、つらつら書いてしまいましたが、言いたかったのは、
中学受験の結果なんて、人生において、どうでもいい。ということです。
確かに、受かったら、早くから意識の高い友達と切磋琢磨して才能を伸ばしたり、友達とじっくり時間を過ごすことで人間性を深めたり、好きなことに没頭し人間としての深みを増すことができる可能性もある。
しかし受かっても、ある限られた友達と過ごすことで世界を狭めてしまう可能性もあるし、のんびりとダラけた日々を送ることになる可能性もある。
たとえ落ちたとしても、多様な友達やより雑多な環境の中で、世渡りやコミュニケーション能力を磨くことができるかもしれない。
中学受験という経験のなかで、何かを学び、ひとつ大人になって、ひたむきに中学3年間を過ごせたならば、何の問題もないのだ。
結局、ある時間の断面で少し差がついていても、今ここからどう過ごしていくか。
それによって十分追いつけるし、そもそも追いつくも何も、今の時間をいかに充実させるか、納得して生きていけるかが大事なんであり、それはどこ学校に行ったかどうかとか、あまり関係はない。
環境の影響はやはり大きいが、それに左右されない強さがあれば、あまり関係ないのである。
振り返れば、つくづくそう思う。
とにかく、中学受験に本気で挑むというのは、親も含めて大変なことは間違いなくて、無事走りきれたことだけでもすごいとおもいます。
結果がどうかということよりも、そのプロセスはやっぱり大きな財産になるのかもしれません。
一息つかれたみなさま、ほんとにお疲れさまでした。。