新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『リズと青い鳥』は傘木希美の嫉妬と敗北と諦めの物語である

映画冒頭、学校の階段や廊下を一緒に歩く希美とみぞれ。2人は決して並ぶことはなく、常に希美が前を行く。朝の音楽室、みぞれが希美に寄りかかろうとする瞬間に、希美は席を離れて行ってしまう。みぞれが一人で希美の方を見ている時も、希美の周りにはいつも仲のいい後輩や友達が集まっている。希美が声をかけてきただけで頬が紅潮し嬉しそうにするみぞれ。それらの描写をこれでもかと入れてくることで、原作やTVアニメ版を見てない人でも、みぞれと希美との間にある温度差、感情の一方通行性が手に取るように分かる作りになっている。原作で言われているように「互いに対する熱量が、みぞれと希美ではまったく違う」(『響け! ユーフォニアム 2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏』、267ページより)ということを、観客に見せつけてくる。

冒頭に出てくる「disjoint」の文字。これは数学でにおける「互いに素」の意味であり、「disjoint sets」となると、重なり合う部分のない、つまりA∩Bとなる部分がない2つの集合のことを指す。映画の前半は、希美とみぞれの、常に近くにいるようでなかなか重なり合わないdisjointな関係を描き出している。

しかし、北宇治高校吹奏楽部のコンクールでの自由曲『リズと青い鳥』をめぐって、2人の関係は緩やかに変わっていく。

リズが青い鳥を鳥籠から解き放つ理由が分からない、鎧塚みぞれはそう語った。しかしそれは当たり前なのだ。みぞれがリズなのではなく、実は青い鳥で、傘木希美こそがリズなのである。リズには羽がなくて、大空を自由に飛び回ることなど夢のまた夢で、町の外れの小さな家で、地べたに這いつくばって生きていくことしか出来ない、ちっぽけな存在。だからこそ、自分が望んで止まなかった羽と自由を持つ青い鳥に、自分とは違う幸せを掴んでほしいと願い、リズは鳥籠を開けるのである。それは単に、青い鳥のことを思ってそうしたという以上に、青い鳥に対する嫉妬や羨望や、籠に閉じ込めておきたいという黒い願望、そして、自らの境遇に対する嘆きと悲しみ、その先にある諦め、そういったものを全て乗り越えた先に、青い鳥を解き放つという行動があるのである。

みぞれがリズの気持ちを理解できないのは、みぞれには羽があるからである。希美とは違い、音楽を駆使して遠くの世界まで飛び立つことのできる天賦の才能があるからである。しかし、これは希美にとっては、とてつもない痛みと苦しみをともなう残酷な事実である。

進路を決めかねていたみぞれに新山先生が音大への進学を進めてくる。みぞれが持っていた音大のパンフレットを見て、一気に表情が曇り、とっさに自分も音大に行くと言ってしまう希美。新山先生も酷いものである。みぞれには自分から音大行きを進めたくせに、希美が音大行きたいと言ってきても塩対応。まあ、担任でもないのに生徒からいきなりそんなこと言われても困るだろうけど。とにかく、そんな事を通じて希美はみぞれとの才能の差をまざまざと見せつけられていきます。

新山先生との面談を通してようやく自分の演奏を確立したみぞれは、全体練習でその才能を希美に見せつける。今までとは別人のように堂々と感情豊かにオーボエを吹くみぞれと対照的に、希美のフルートはみぞれの迫力に押され気味で今にも消え入りそうな弱々しい音。演奏後、部屋を飛び出して一人で泣く希美。この瞬間こそが、彼女にとっての決定的な敗北の瞬間であり、同時に彼女は、みぞれと並び立つという夢を諦め、みぞれを籠から解き放つと決めたのだ。

希美にハグしながら好きなところを次々に語っていくみぞれ。一方の希美は、喉の奥から絞り出すように一言だけ「みぞれのオーボエが好き」と答える。毎日一番近くで聞いていた音、でもそれは、どんなに手を伸ばしても届かない、聞くたびに自分の才能の無さを思い知らされる残酷なオーボエの音。それでも希美は、自分の中にある嫉妬や、無力感や、焦りや苛立ちや、挫折感や絶望感や、その他あらゆる感情を心の中にしまい込んで、その音を「好き」だと言うのである。

映画の前半で希美は吹奏楽部の練習が好きだと言っていたが、おそらく彼女は、吹奏楽部での部活動、そして音楽そのものを嫌いになってしまう瀬戸際まで来てしまったのだろう。もちろん希美も演奏が下手なわけではないが、みぞれと比べれば差は歴然であり、音大からのスカウトとかも箸にも棒にも掛からない状況。みぞれには、希美にはない天賦の才能があり、おまけに、音楽のために他のすべてを犠牲にする覚悟がある。そしておそらく、原作でも映画でも詳しくは触れられていないが、みぞれは家族や周りから期待され十分な経済的援助を受けて音大に行けるのに対して、希美の家は娘を音大に送り出すのは少し厳しいかもという感じだろう。このまま神経をすり減らしながら希美がみぞれと同じ道に進んでいたら、希美は遠くない未来に音楽が嫌いになっていただろう。だからこそ、希美はここで諦めて、大空に別れを告げ、別の道に進むことを決意したのだ。それは、後ろ向きな理由ではなく、この大地の上に堂々と立って、未来に向かって歩いていくために諦めたのである。

一方のみぞれもまた、希美とは異なる道を歩み始める。剣崎梨々花をはじめとする同パートの後輩と仲良くなったのが、その端緒だろう。クライマックス、図書館で本を借り、みぞれは音楽室へ、希美は図書館の机へと、別々の道に進み始めたのが、2人の関係性の変化を最もよく表しているシーンだろう。

一連の出来事を通じて絆を深めた2人は、「disjoint」ではない、A∩Bとなる部分を持つ「joint」な関係になったのだ。だが、それは2人が完全に重なり合っているという意味ではなく、多くの重なり合わない部分も当然存在しているのだ。みぞれが希美に向ける感情と、希美がみぞれに向ける感情には違いがある。みぞれは大空を自由に飛べるが、希美は飛べない。みぞれには才能があるが、希美には無い。2人はこれから、別々の大学に進み、別々の人生を歩みだす。

だが、それでも、2人の人生は時々重なり合う。エンディング曲を聞きながら、私はそう確信していた。