ICHIROYAのブログ

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映画をつくろう!「快傑ゾロ」の思い出


by pigeonpie


映画監督にはなりたくなかったっていう男の子はいるのだろうか。

カッコの良いヒーローを創造し、煌めくばかりの俳優たちに、ディレクターズチェアから指示を出し、湯水のごとくお金を使って、最高傑作をつくる。
公開された映画は大人気で、巨額の制作費は興行収入で軽く回収。
自分は、女優たちと浮名を流す。

じつは、37年前のある期間、僕は映画監督だった。

作品のタイトルは・・・
忘れた。

なにせ、「快傑ゾロ」の学園ものである。

高校の文化祭で映画をつくることになったのだ。
誰が監督をやるか、ということになり、僕は手を上げたのだった。
「おまえ、できるのか?」という小声もあったが、僕の決意は固く、目立った異論もなく承認された。

その時の気持は、いまとなってはリアルに思い出せないのだが、「自分にできる」という確信があったはずもなく、また、「大失敗してクラスのみんなに恥をかかせたらどうしよう」という心配がないはずもなかった。
でも、なぜか、自分がやるんだ、という気持ちは揺らがなかった。

それから大急ぎで、映画のことを勉強した。
コンテの描き方やカット割り。すでに全部忘れてしまったが、かなり難しい専門的な本も読み、知識を詰め込んだ。

Tくんが8ミリの機器を持っており、モノクロのフィルムで撮影した。
無声映画で弁士がつく(録音)、というスタイルにした。

仲の良いWくんが助監督として100%支えてくれ、俳優はひょうきんなIくん、男前NO1のNくん、クラスのマドンナOさんなど。
音楽は、クラス一の音楽通のOくんで、弁士は、Nくん。
撮り終え、編集を終えたフィルムに、Nくんが、即興を交えて、滔々と語る物語をかぶせた。


学園祭のことでもあり、興行的にどうだったのか、映画としての魅力は充分であったのか、いまではわからない。
だが、少なくとも、クラスのみんなのなかには大成功という満足感が流れていた。
みんなの得意な部分を集めて、存分にそのチカラを映画に集結できた、と思っていた。
いまも同窓会では、よくその映画の話になり、また、DVDに焼かれて保存されている。
思い出のなかでは、その映画がどんどん美化されているので、いまさら見たくはないのだけど。


最近、北杜夫のことをブログに書いた。
そのときに、初めて、氏が映画を作ろうとして、大きな借金を負い、自己破産においこまれていたことを知った。
すでに有名作家になっていたにもかかわらず、氏にそこまでの博打をうたせる映画の魅力。
映画をつくるという仕事は、たしかに、それほどの魔力をもっている。


男の子たちは、思い描く。
大人になったらなりたいもの。
サッカー選手、作家、ミュージシャン、医者、新聞記者、宇宙飛行士・・・そして、映画監督。
で、映画監督を真っ先に消す。
いったい日本に何人の、職業的にも金銭的にも成功をおさめている映画監督がいるというのか。
みんながよってたかって、無理、無理というのだ。

たしかに、正しい選択である。

しかし、いまでもそうだろうか。
映画監督を目指す道へ踏み込むための、敷居は非常に低くなった。
録画・録音の機材は安く、Youtubeなど、安くネット配信する方法もどんどん生まれている。
安く良いものをつくって、低コストで配信し、それなりに収益を得る道もできつつあるのではないだろうか。
ただただ、才能さえあれば、映画監督になれる時代になってきたと思うのだ。
いまもむかしも、映画監督になるには、ずば抜けた才能が必要であることには変わりはないが、少なくとも、試してみることは、容易になっているのだ。

さあ、若者よ、安易に諦めず、映画監督を目指そうではないか!

僕?

もう、歳だし、女優たちと浮名を流すわけにはいかないので、ちょっと、躊躇している。
怪傑ゾロイチは、その才能を惜しまれながら、映画の世界に背を向け、その平凡な日常、大切な家族のもとへと、去っていくのだった。

ー終ー
 


by Kim Marius Flakstad


おまけ。キャサリン・ゼタ・ジョーンズが、ゾロにドレスをどんどん切り刻まれて、最後には、ドレスがパラリ! どきっ!